智慧の扉

2010年11月号

仏教と神々

アルボムッレ・スマナサーラ長老

 どんな国でも文化でも、人々は神々を信じているものです。神々は有り難い存在で、私たちを守ってくれるものだ、何かあったら聖霊に、神に頼めばいいと思っています。神を信仰して、死後、天国に行けたら有り難いと思っているのです。そこで、お釈迦さまも、神という概念について語る必要があったのです。
 
 しかし、経典に見える神々のエピソードを読むと、人々が抱く神々の概念が崩れるかもしれません。初期経典にも神々との対話が記録されていますが、まるで友達同士の対話のようです。この場合、人間が神から真理を教えてもらうのではなく、人間たるブッダが神々に真理を説くのです。これらの対話の中で、今まで人間が持っていた神を仰ぎ見る態度が逆転します。神々も嫉妬、無知などで悩んでいることを語るので、人間が神々に与えた権威も失われるのです。ある次元の神は、自分より威力がある、みめ美しい神が現れると、嫉妬したり怒ったりする。その瞬間、その神は死んでしまうのだそうです。人間と比べると可哀相な気がしませんか? 天国に生まれたら、ちょっとでも怒らないように、嫉妬しないように気をつけないと命取りなのです。

 仏教では、ある面で神に対する信仰を軽く見ていますが、ある面で生命は皆「私」という概念を持っているから精神的に大変な問題を抱えている、と言っているのです。だから神にすがっても頼っても助けにならないと、間接的に教えるのです。「自分の足で立ちなさい。たとえ、天国に生まれ変わっても、苦からは逃れられない。」これは仏教が強調するところです。