智慧の扉

2012年2月号

みんな「優しさ」を求めている

アルボムッレ・スマナサーラ長老

 生きることは誰にとっても大変です。お釈迦様さえ、覚りを開いてから涅槃に入るまで、決して楽な人生ではなかったのです。ブッダは一切衆生に無条件に慈しみを抱いていました。しかし、周りの人々もお釈迦様に優しさを返したからこそ、釈尊は四十五年間インドで伝道活動できたのです。寒空の下、草の上で寝ていた釈尊を心配して、アナータピンディカ居士は祇園精舎を建ててあげました。それは居士の優しさです。

 優しさは誰にでも必要なもの。すべての生命は他の優しさを期待しています。しかし、私たちは他に優しくする方法を知らないのです。皆、自分に優しくしてほしいけれど、他人は知ったことではない、という態度でいます。それはエゴであって、自己破壊の道です。だから私たちは、『優しさを育てる訓練』をしなくてはいけないのです。

 まず「私は幸せでありますように」と自分の幸せを願う。自分が幸福になりたいという気持ちを確認する。次に周りの人々の幸せを願う。それで周りの人々の悩み苦しみを理解できるようになる。それから一切衆生の幸福を願うのです。すべての生命の悩み苦しみを理解できるようになるまで、優しさを育てるのです

 この『慈悲の冥想』に、宗教や宗派は関係ありません。お釈迦様がすべての人類に「やってみて下さい」と願った実践法です。

 私たちは本来エゴイストだから、優しさを育てる訓練を通して、エゴにとらわれた、無明・無知で覆われた心のプログラムを書き換えないといけないのです。心の流れを「幸福になるように」と書き換えるのです。訓練によって、心は変わっていきます。優しさが完成したら、その人は「生命の燈火」のような人になるのです。