智慧の扉

2012年4月号

関心・無関心と「関係性」

アルボムッレ・スマナサーラ長老

 世の中では他に向かって、「もっと社会に関心を持つべき」「無関心はけしからん」などと怒る人がいます。しかし、自分が何か行動する時には、関心・無関心という物差しを使ってはいけません。大事なのは「自分と関係あるか否か」です。いくら関心があっても、自分と関係ないことに首を突っ込むのは傍迷惑です。しかし、自分に「関係ある」問題・トラブル・不正などを放置していたら、自分の生きているシステムが壊れてしまう。だから、何とかして解決しなくてはいけないのです。

 自分と関係あるひとの間違いを指摘する場合は、個人攻撃にならないように、「これは誰にとっても問題なのですよ」というふうに説得することです。特定の相手を攻撃して、正義の味方を気取って世直しをしてはいけません。仏教では他人を変えようとするのではなく、自分が変わることだと教えているのです。

「関係」と一言でいっても、大きさはひとによって違います。例えば作家の村上春樹さんにはたくさん読者がいるでしょう。彼が社会に何か訴えたい事があれば、幅広い範囲の人々に訴えることができるのです。読者もまた、彼にとって「関係ある人々」だからです。

 逆に、たとえ自分の関係がいくら狭くても、それもまた一つの世界です。もし自分の関係にひとりの人間しかいなくても、世界は繋がっています。自分が変わることで、自分の関係する世界も変わるのです。ある一箇所の変化は、全体に影響を与えます。禅の語録にある「一人が悟りを開いたら森羅万象が成仏する」という格言は、この真理を文学的に表現しているのです。