智慧の扉

2016年11月号

菩提心という、自由の火種

アルボムッレ・スマナサーラ長老

 菩提心とは、大乗仏教で重要視されている言葉です。この単語を宗教的な解釈を離れて、心理学的な観点から定義してみたいと思います。菩提心はサンスクリット語で「ボーディ・チッタ(bodhi citta)」と言います。真理(ボーディ)を発見するこころ(チッタ)、真理を発見しようとする意欲、といった意味になります。
 
 私たちのこころが、「みんながやっていることをやる」「右を見て左を見て、みなと同じことをする」という状態ならば、それは菩提心がひとかけらもない証拠なのです。「あの人は何をやっているのでしょうか? 私も同じようにやります」ということでは見込みがありません。私たちの社会の教育では、そのようにしてロボットを作ろうとしていますが。

 現代教育では、会社に入って褒められるのは優秀なロボットになった人です。プログラム通り正確に動くことが賞讃されるのです。それでは、私たちの人間性はどうなるのでしょうか? 人間というのは、考え判断する生命体でしょう。自分で思考してものごとを判断する能力が不可欠なのに、文明社会ではその人間特有のエネルギーをとことん壊してしまうのです。スマホやタブレットに依存している人のように、自分では何もできなくなってしまうのです。

 私たちのこころに、「なんとかしたい」「理解したい」「知りたい」「発見したい」「本当のことを知りたい」「言われる通りに生きたくない」という自由を求める火種が現れるならば、まさにそれが菩提心なのです。それから、その人は自由になるための具体的な方法を探し求めることになります。結果として、いろいろな宗教に走るかもしれないし、金儲けこそが自由への道だと思ってビジネスを始めるかもしれないし、あるいはテロリストになるかもしれない。

 どんな道を歩むとしても、原点にある「自由になりたい」「束縛から脱したい」という気持ち、自由を求める火種となるエネルギーこそが、菩提心というべきものなのです。これは個人的な定義です。私たち仏教僧侶の仕事とは、菩提心を持つ人が脱線しないように、生きかたを道案内することなのです。