智慧の扉

2019年2月号

感覚の仕組みを解き明かせ

アルボムッレ・スマナサーラ長老

 生命は輪廻転生し、終わりなく苦しみ続けます。その恐ろしい苦しみのサイクル・循環から脱出するためには、暗号・カギを解かなくてはいけないのです。その暗号・カギとは、「ヴェーダナー(vedanā)・感覚」です。感覚とは、心を構成する要素の一部です。身体で感じて、それから考える。耳で音を認識すると同時に感じ、それを音と理解する。これが心の働きです。

 どんな人でも感覚を自覚しています。どんな生命であろうと感覚に自覚があるのです。眼耳鼻舌身意で、苦・楽・不苦不楽を感じるのです。たとえば眼で苦・楽・不苦不楽を感じるとします。貪瞋痴が現れるのは、その時なのです。眼で見たものに楽(心地良さ)を感じたら、すでに欲(もっと見たいという感情)が生まれているはずです。見たものに苦(心地悪さ)を感じたら、瞬間に「ダサい」「イヤだ」「嫌い」「気持ち悪い」といった感情が現れるのです。自我が現れるのも、その時なのです。感覚から煩悩が生まれ、同時に自我も生まれるのです。であれば、「ダサい」「イヤだ」「嫌い」「気持ち悪い」という感情が決定する前に、感覚で止めてみたらどうなるでしょうか?
 
 感覚から煩悩が、自我が生じる過程を発見してみましょう。感覚を気づきで観察すると、貪瞋痴が生まれた、自分がいるという錯覚が生まれた、といたって簡単に発見することができます。最初は身体から観察するのが簡単です。これは経典(大念処経)にもある、実践の決まりです。例えば、眼や耳の感覚を感じようとしても、微妙なのでいきなりは難しいのです。しかし、身体に起こる・触れる感覚は、誰でも簡単に感じることができます。身体に対象(硬さと熱)が触れたら、すぐにわかります。耳に音が触れても、あまり意識してないので比較的感じ難いのです。
 
 観察が進めば、眼耳鼻舌身意で起こる感覚の流れも観えてきます。そして感覚から感情が現れ、それも流れていくことを自覚できます。妄想せずに実況中継すれば、私が言ったことは手に取るようにわかるはずです。観察すれば、現象は何ひとつも止まらず、変化し続け、固定した実体ではないという法則を発見します。これが覚りのプロセスです。自我が錯覚であることを、曖昧ではなく明確に、くっきり・ハッキリ・クリアーに理解できるのです。これは理屈ではなく、体験・発見であり、覚りなのです。最終的には、二度と心に煩悩が現れないようになります。輪廻転生から脱出するのです。仏教のプログラムは、これで完了です。