智慧の扉

2021年6月号(175)

自分を大切にするということ

アルボムッレ・スマナサーラ長老

 世間では「自分を大切にしなさい」と言われます。親族や目上の人、友人から「自分を大切にしなくちゃ」と言われたら、誰だって「そうですね」と答えるでしょう。しかし、どうやって自分を大切にすれば良いのか、という具体的な方法までは、誰も教えてくれないのです。「自分を大切にする」という言葉は、あまり意味のないスローガンになっています。

 お釈迦様もまた、「自分を大切にする」ことを説かれました。それも上辺のスローガンではなく、そのための具体的な方法と、実践して達するゴールまで、明確に説かれたのです。「自分を大切にする」実践とは、satipaṭṭhāna【サティパッターナ】(念処、気づき)です。
 
 自分を大切にしたい人は、いつでも気づきと一緒にいる練習をするべきなのです。そうすることで気づきを成長させます。さらに気づきを繰り返す。少し気づくことが上手くできるようになったからといって止めません。何度も繰り返すことで、気づきを確立していくのです。それが自分を大切にすることになります。気づきがある人は、なにごとにも失敗しません。失敗したり、他人に迷惑をかけたりすることは、自分が何かしら妄想をしていた結果なのです。気づきが確立していれば、いま避けるべきことが分かります。いまやるべきことも見えます。妄想をやめることで、自我が錯覚であることも発見します。自我という錯覚を破って、解脱に達するのです。これが「自分を大切にする」実践のゴールです。

 自分だけではなく、他人を大切にしたい人も、やはりsatipaṭṭhānaを実践しなくてはいけないのです。自分を大切にする人は他人を大切にするし、他人を大切にする人は自分を大切にすることになるのです。他人に対して気づきを実践する場合は、少しアプローチが変わります。他人に対しては、①忍耐(落ち着き)、②害を与えない、③慈しみ、④思いやり(心配)という形で気づきを実践するのです。自分ひとりでいる場合は、常に心身に気づきを保ち生活する。もし他者との関係が発生したら、相手がどんな性格なのか分からないのですから、ある場面では忍耐しなくてはいけないかも。

 例えば瞑想中に犬が近寄ってきて吠え続ける。そこで忍耐を実践します。犬に向かって「あっちに行け!」と石でも投げることは仏道ではありません。あるいは近寄ってくる虫に、殺虫剤でも吹きかけたくなるかも。しかし、殺生はしません。それから、知らない人が近寄ってきたら慈悲の心で対応する。あるいは、皆に対して別け隔てなく思いやり・心配の心で対応します。

 そうして、またひとりになったら心身に気づきを保ち生活する。このように自他に気づきを実践することが、自分を大切にし、他人を大切にすることなのです。