根本仏教講義

7.業と因縁 2

正しく原因究明を

アルボムッレ・スマナサーラ長老

先月は、「業」はとても難しい話で、普通の人が考える必要のないことだが、「因縁」については正しい方法で追及し、ものごとの原因を知ることは可能であるし、すべきであるというお話をしました。

お化けの因縁

私は出来るだけ簡単な例を出そうと思うだけで、例の選び方に深い意味がある釈ではないのでご了承くださいね。例えば、ある古い部屋に入るとします。入ったら何となく薄気味悪く、雰囲気が悪い。これは一体何が原因なのかと考えますね。やっぱり昔の古い家だから、昔の幽霊とか、死んだ人々の霊か何かが付いてるのだろうかと思ったりしますね。そうすると「そうに違いない」と納得いくんです、あの家には幽霊が付いているんだと。そういう話がどんどん信じられて世に出て行ってしまう。

仏教的に音えば、雰囲気が悪いことは自分の体験ですからそこまではいいのです。ですが、幽霊がいるといきなり決めつけるのでなく、雰囲気が悪い原因が見つかるまでとことん捜さなければいけないのです。それが因縁を知る正いやり方です。原因はそうではないとかそうですとか言ってすぐ納得のいくような簡単なものではないのです。大体間違ってること、神秘的な原因を言えば、すぐ納得してしまうのです。
正しいことを言うとなかなか納得いかないのですが。とにかく原因を徹底的に探すことです。

例えば家の雰囲気が悪いというなら、もしかするとクモの巣がいっぱいで、気持ちが悪いのかもしれません。掃除も随分長い間していないようです。では掃除してみてはどうでしょう。

匂いもあるかもしれません。それは空気が通っていないからだと。では空気を通してみましょうと。それでも雰囲気が悪い。光が当たってないからだ。では庭の伸び放題の草木を全部きれいにしてみるとかね。それでも何か雰囲気が悪い。それならあちこちに花でも植えてみようとか、障子でも全部張り替えてみようとか、そういういろんなことをしてみたら、もしかしたら雰囲気が変わるかも知れません。気持ち良いなあと思ったらお化けの話は出て来ないんです。

その証拠に、昔はお化けがよく出ましたが、今はほとんど出ないでしょう。そんなものなのです。もし本当にいるならば、今でも出るはずです。私もずぅっと捜しているんです。(笑)

ある友達が言いました。あるお寺ではよく出るんだそうです。そこで、私も一度そのお寺に行って会いたいと言ったんですね。すると、私が行ったら恐らく出ないでしょうと言うんです。その後も私は捜しているんだけど未だに見つけたことがない。(笑)

暗い、汚れている、人がいない場合など、何となく寂しい、ちょっと心細いと感じるとすぐそういう概念が頭に生まれます。そして生まれた概念をそのまま信じてしまう。それで因縁の話まで届かなくなってしまうんですね。現代では、夜も電気はあるし、何でも揃っているし何も心細いことはないんですね。一人で部屋に居てもテレビでも見ていると全然寂しくも何ともない。そうするとそういうお化けの話がなかなか常に浮かばなくなってくるのです。それで現代人はお化けを信じなくなってきました。

こんな話をしたのは、我々は原因を捜そうとするとすぐどこかで怠けてしまい、ここら辺で原因を決めようとすぐ決めつけるのだということが言いたかったのです。お化けのせいにすれは簡単ですよね。そうしないで徹底的に原因を捜して行かなくてはいけないのです。正しい、本当の原因が見つかるまで捜すべきなのです。

そういう風な、多少きつい話なんですが、それが釈迦尊の因縁の話なのです。お釈迦様の説法は全部因縁の説法なのです。ですからどんなお経、どんな教えを聞いてもそれは正しい因縁の話になっています。へんてこりんな話とか、非科学的な言葉は一つもありません。きちんと具体的で合理的にお話をしています。

攻め滅ぼされない国

ちょっとしたストーリーをお話しましょう。

遠いお釈迦様の時代のことですが、お釈迦様の時代というのは独裁的に一人の王が国を治めているんですね。ですが、王の時代になる前には共和国的な政府もありました。釈迦尊が生まれたのもある小さな共和国なんですね。一人の王ではなくて、長老達がみんなで話し合い、会議で決断して国の政治をやっていたのです。だから完全な民主主義かどうかは分かりませんが、結構みんなの意見を聞いて政治に取り組んでいました。そういう国々が、力の強い人々に攻められて倒れていってしまったんですね。お釈迦様の時代には16ぐらい国がありましたが、全部倒されてしまい二つぐらいになってしまった。共和国も隣の国の王にやられると独裁国になってしまうんですね。

お釈迦様から見れば、おもしろい出来事ではなかったのです。せっかくみんな、仲良くやっているのに、ある一人の人に支配されてしまう。でもやむを得ないことでした。そのころお釈迦様の国より大変大きな国が一つありました。それはワッジという民主主義の共和国でしたがものすごく強く大きいのです。そこでお釈迦様はその国をかげながら応壊していました。
なぜならばその国は力が強いので、共和主義システムがいくらか残るだろうと思ったのです。

そこである日、その国へ行ってこういう風に教えたんですね。あなたがたが自分の国をいつまでも平和に守りたいと思うならば、七つの約束を守りなさい、とね。その国の人は、お釈迦様は宗教家だから、七つの約束というと何か宗教的なことが入るだろうと思ったそうですが、そうではなくすべて因縁の話だったそうです。

お釈迦様はまずこう言うんですね。「みんな仲良く集まりなさい」と。それはいわゆる会議のことで、みんな欠席しないで参加しなさいということなんです。今日は風邪を引いたから私はやめます、今日は子供のおなか具合がちょっと悪いから国会に行きませんとかね、そういうことではなく国の事だから必ず参加しろと言のです。また、議員はケンカするのではなく、いつでもお互いに意見がまとめられるようもっていく。違う意見もあるかも知れませんが、みんなの意見を聞いて、あなた間違っているよと言うのではなく、なぜあなたはそう思うのですかと冷静に聞いてからこちらの言い分も考えその上で、どうすればいいかと一緒に考えて決断しなさいと言われるのです。解散する時でさえも、徹底的に仲良く解散して離れましょうと。

七つ全部を説明する必要もないと思いますがもう少しあげてみますと、決められている法律は大事に守りなさいという教えもありました。
いい加減に法律を犯したり、いい加減に法律を書き換えたり、つまり昨日はそうだったが、今日は違う法律だ、というようなことになってしまったら国はどうにもならなくなってしまう。

ですから昔から決まっている法律は大事に守れと。また力があるからといって、例えば現代風に言えば汚職をしたり、可愛い女の子がいたらすぐ自分のものにしようと思ってしまうようなそういう法律違反はするなというのです。してはいけないことはするなと。そういうふうに七つ言って、それを守りなさいとおっしゃいました。するとその国の人々も、やっぱりお釈迦様は我々のことを心配しておっしゃってくださったのだから守ろうということになって、ずっと守っていたそうです。すると隣の国々がいくら強い軍隊を持っていても、なかなかこの国は倒れなかったそうです。それである王様がとにかくこの国を倒さなくてはいけない、攻めなくてはいけないと、その国に軍隊を持って行くための町を造ったんです。ですが町を造っても心配なのでお釈迦様に間接的に聞いたそうです。

ある王様が町を造っていますが、それは恐らくあの国を攻めるためらしいですよとお釈迦様に言ったんですね。すると間髪を入れずお釈迦様は、あの国はそんなに簡単には攻められませんとおっしゃったそうです。それはどういうことですかと聞くと、私は若者達に7つの約束事を守りなさいと教えてきましたから、それを守るなら倒れませんとおっしゃったのです。その約束事は何ですかと聞くと、別にごく普通の合理的なことだからと、お釈迦様はそれをお話されました。スパイに来た大臣は話を聞き終わって国へ戻り、あの国は攻めないほうがいい、たった一つ攻め落とせる方法は、あの国の国民の仲を悪くすることだけだと言ったそうです。やっぱり政治家というのは、みんな頭は良いんですね。その後色々工夫して、その国の国民がお互いに信頼を失うような操作をしたのです。それでお互い仲が悪くなって、会議にも参加しないようになりその国は倒れてしまいました。お釈迦様の話はいつも徹底的に合理的でした。

神秘的な出来事の原因究明

例えば皆様は仏教に興味がおありでしょうから、護摩供養などにも出会ったことがあるのではありませんか。仏教には、人間の病気を治したりするために護摩を焚くという儀式があります。護摩供養は正しいですかともしお釈迦様に聞いたなら、こう答えられるのではないでしょうか。あなたの体の病気は、体があるから起こるのでしょう。護摩を炊くくらいなら大きな火を炊いて体ごと火に飛び込みなさい。そうすると早く治りますとおっしゃるかも知れません。

なぜなら、何か木に書いて燃やしただけで病気が治るということはちょっと因縁の話としてはおかしいのです。でももし何かあるならば、それはとことん捜さなければいけない。もし本当に木を燃やして自分の病気を治したならば、その原因をとことん捜さなくてはいけません。

私の国も結構田舎でものすごく原始的な国だから、そういう迷信は昔よくあったんです。人が病気になったら踊りなんかをやったりして、治すのです。でも、現代人はそれを信じたくない。こんな踊りで治るはずがないとね。しかし治ることもあるんですね。

毎日病気だ不幸だといろんな事のある人々は結構怠け者だったりして、家のこともろくにやらない。しかしお祭りをやることになれば家を片っ端からきれいにしなければいけなくなり掃除する。またスリランカには木から取るノリみたいなものがあるんです。潰したら粉になり、瞬時に燃えてしまうのです。一瞬のうちに燃えるので火事にはならない。香りもものすごくいいんです。除霊の儀式をやる人々はこれを使って、手に火を持って、呪文を唱えながら家の中の隅から隅まで大量に火を投げるんですね。粉を使って火をつけるとボーンと怖いほど火が燃えるんです。そして瞬時に消える。そこで屋根の下から、あっちこっち片っ端から、すべての場所に潜む悪い霊を追い払うというのです。ホントは火ぐらいが怖くて逃げる霊だったら大した霊ではないんですけどね。結局よく考えるとそこまでやれば細菌もバイ菌も家の中に残るわけもありません。それでみんな元気になり、あの除霊儀式はよく効いた、すごい人だとみんなすぐ信仰してしまうのですが、このように掃除や殺菌の効力まで物事の原因を徹底的に捜して行く道が仏教です。(以下次号)