根本仏教講義

10.診療カウンセリング 5

基準が『鬼順』にならないように

アルボムッレ・スマナサーラ長老

先月は、現代社会に見られる病を考えてみました。なかでも、「自我意識」と「目標」は、必要でもあるが、精神的問題の原因ともなるのだというお話をしてきました。今月も、現代社会の病について、続けて考えていきましょう。

基準にこだわる問題点

人間が問題を作るポイントがもうひとつあります。それは、「基準」の問題なんですね。人間というのはどんな物事にも、最初から基準を決めているのです。これは正しくて、これは間違っている、これが正しいやり方で、こういうやり方は違う、そういう決めつけですね。しかし頭の中でいくら基準を作っても、その法則通りに人間は生きていられないのです。

たとえば、学生だから、夜は12時まで勉強して、朝は4時に起きてまた勉強するべきだとか、そういう基準を作りますね。奥様方も、何時にはこれとこれをやらなくてはいけないのだと、自分でいろいろな戒めを作っているのではないでしょうか。そのように、自分自身で生き方や基準や規則を決めて、自分の手も足も全部縛っておくのですが、本当はそれに沿って生活できないんですね。本人の意志で、必ず朝4時に起きますと決めたけれども、起きられる日もあれば起きられない日もある。それですごく悩む。

この会社では昨年の売上はこれだけだった。だから今年はこのくらい売り上げて、このくらいの利益が出る、と期限をつけて決める。そのことで社員みんなに苦労をかける。それは危ないことなのです。昨年は一億儲けたのだから、今年は二億でなければいけない、そうではないのです。なぜ一億儲けられたかというその環境も理解して、今年の環境を考え合わせて予想して二億は可能かもしれない、そのように考えるが、そうではないかもしれないし、或いは四億儲かる可能性もあるということ。とにかく人間はあくまでも人間であること、コンピューターみたいにぴったり基準通りには動かないことを認識しておかねばならないのです。基準というのは人間の、大きな問題なのです。基準というのは作るのは簡単ですが、そのとおりに実行するのは大変なことですから。

人間というのは、頭の中ではあまりにも自分に厳しいのですが、実際にはいい加減に生きているのです。それで自分を責めるのです。頭の中の自分の理想と、今日の自分の生き方を比べる。ああ、今日もダメだ、罰点だ。そして次の日も、また罰点だ…。人生は罰点だらけなんですね。そうすると、精神的な問題につながってくるのです。人間というのはファジーなものだと考えた方がよいのです。学校でも校則を決めたり、会社でもいろいろな規則を決めたりしますが、それらは良い結果だけをもたらすのではなく、確実に悪い結果ももたらすのです。

目標や基準を捨てリラックスして生きる

我々に必要なのは、これまでに述べてきたような、何かに束縛されている生き方ではないのです。規則に、基準に、いろいろな目的に、いわゆるさまざまな数字に束縛されて、それを目指して必死になって自分を捨てて行動するような人生ではないのです。たとえばとにかく子供をいい大学に入れてやろうと、お母さんが自分勝手に目的を決めてしまって、そのことによって何も見えなくなってしまうのです。鬼になってしまう。そういう人生は、人生ではないのです。私の子を天才にしてやると思いこんだら、子供から見れば、ただ自分をいじめる鬼婆でしかないのです。お母さんだけではなくお父さんも社会も学校も、誰もが、基準を作ってしまったとたんに、自分も他人も人間であるということ、生き物であることを忘れてしまうのです。大変デリケートな精神を持つ生き物であることを忘れてしまうんですね。決めたのだからやりなさいと、そればかりなんですね。

我々に必要なのは、そのような非現実的な目標や基準を作らないで、毎日生きる楽しみを味わう心、自由な心なのです。もちろん先に述べたように目標もなくてはならないものなのですが、あったら危険なものでもあるということを理解しておいてください。そして日々を楽しむ心、仕事をして、それによって喜びを味わう、勉強して、それによって喜びを味わう、子育てをして、それによって生きていてよかったという喜びを味わう人生、それが必要なんですね。基準に縛られていたら、それができなくなってしまうんですね。基準というのは一種の妄想概念のようなもので、そういうものにつかまってしまったら、人生を楽しむことができなくなります。いい人生というのはガリガリの人生ではありません。まあ、自由に思う存分、がんばろうじゃないかと、そんなふうにね。目的に縛られることで、ストレスがたまって、緊張したら、良い仕事はできないでしょう。たとえばずっとヴァイオリンの練習をしてきた人が、発表会で最高の演奏をするのだと強い目標というか基準を作ってしまったら、当日はあまりの緊張で筋肉が固まってしまって、何もできなくなってしまいます。ですから、発表会に行っても、自分の家で演奏するのと同じようにリラックスして、楽しく演奏しようと考える。ですから自分の番が回ってくる前になっても、にこにことみんなと遊びながら時を過ごし、自分の順番がきたらごくふつうに演奏して、楽しく終わる。そのような、全くストレスがないリラックスした状態が必要なんです。それを作るのはそれほどむずかしいことではありません。余計な見栄を捨てればね。余計な目的、あまりにも欲張った目的などは、捨ててしまえばよいのです。楽しもうじゃないか、味わおうじゃないか…そのように生きると何でも楽しいのです。山登りでも海を渡ることでも何でも楽しいのです。仕事をすることも楽しいし、リラックスしていると、その人が持っている最高の結果を出せるし、それがまた楽しいのです。

自分の基準に人が合わないとき

別の例を少しお話ししてみましょう。他人が頼んだとおりにやってくれないなど、人に迷惑をかけられることがあります。具体的に言うと、日常的によくあることなのですが、自分の前の人が、バスに乗ってから財布を開けてお金を出す。出したら間違っていたので、また出し直して…そんなことをのんびり続けている。あとには人がずーっと並んでいる。そんなとき、けっこういらだちますね。ぶん殴ってやりたくなったりしますね。JRの窓口でも同じこと。私もそういう経験がありますが、新幹線に乗ろうと思って時間を計算していったのですが4人並んでいる。4人なら大丈夫と思って並んでいたら、大丈夫じゃないんですね。前の人は、なんだか新幹線の歴史まで全部聞いているのではないかと思うほど、長く窓口を占領しているのです。そういうことは世の中にはよくあることなんですね。たばこを吸う人は、たばこが、どのくらい人に迷惑をかけているのかぜんぜん気にしないと。ある人々がそのようにまわりに迷惑をかけていて、そのことによっていらだつ。そういう出来事は毎日のようにありますね。では、どうすればいいのでしょうか。簡単な方法があります。ぶん殴ってください(笑)。ぶん殴りたくなるのは、「迷惑をかけられている」と思っている人の気持ちなんですね。でも普通だったらそれは答えにならないでしょう。なぜならそのような場面で人を殴ってよいのであれば、我々は一体どのくらい人をぶん殴ればよいのでしょうか。自分の子もぶん殴らなければなりません。小さな子に早く準備しろと言ってもなかなか言うことを聞きません。あっちへ行ったり、こっちへ行ったり、ごはんはなかなか食べないし、学校へ行くといってもカバンを忘れるわ、弁当を忘れるわ。追いかけていって、それを届けてあげなくてはならないし。

つまり、そういうことは、世の中にごく普通にあることなんですね。問題はこういうことです。もしいらだつのならば、自分が、自分のことしか考えていないということなのです。自分のために、世の中はまわってくれということなんですね。私は忙しいのだから、あなた方はそれに合わせて忙しくしなさい、と。それを他人の側から見れば、それはあなたの勝手、私にはなんの関係もないですよ、という状態なんですね。駅で切符を売っている人にしても、ただのんびりとごく普通に仕事しているだけなのです。ですからそこに見られる現実は、自分一人が勝手にいろいろなことを考えて、いらいらしているだけだということなのです。

たとえば、仕事の部下に何かを頼んだとき、頼んだようにやってくれないとすると、それは頼む側に何か問題があると考えて間違いありません。スカートでも上着でも何か直しを頼んだときに自分の希望通りにやってくれなかったとすると、そこでは自分の頼み方に問題があると思った方がいいのです。たくさん言葉を使って結局何も言っていないということが多々あります。それはしっかりと考えていないからなんですね。私はこういう風な形でこんな感じにしたいんですと、はっきり言った方がいい。或いは自分がわからないのだったら、私はよくわからないのでとにかく格好よく見えるようにしてください、お任せします、と頼んでしまう。そうするとその人も、この人は私を認めて私に任せてくれたのだから、この人が驚くくらいのことをしなければならない、と責任を持ってしまうのです。するとよい結果が生まれてきます。

バスに乗る場合でも私は乗る前から200円を用意してさっと乗ってしまいます。前のおばあちゃんは遅いかもしれませんが、それぞれの人のスピードというものがあるのですから、こんな風に見てみてはいかがでしょう。何番のバスですかとかこのバスはどこへ行くんですかとか聞いている姿を、やっぱりおばあちゃんだからしっかり聞いているんだとかわいく感じて見たり、やっぱりおじいちゃんだから足腰が弱くてバスの階段が大変なのだ、手を貸してあげよう、そんな風にやさしく見てみるなど。

自分の基準にみんなは合わせてくれませんので、自分がみんなの基準に合わせてみる。いくら東京から大阪へ1時間で行きたいという気持ちがあっても、現在の新幹線ならば2時間40分はかかるので、それに合わせましょう。リニアモーターカーの運転が始まるまでは…。(以下次号)