あなたとの対話(Q&A)

過去や未来を思い悩む ②

(前号の続き)

「今自分がやるべきこと」についても、未来を予測して設定した目標を達成するためには、という観点から、過去の経験に照らし合わせつつ、今何をすべきか決定するものではないでしょうか? (瞑想が進んで「智慧」が開発されれば、未来や過去に囚われず、当意即妙の対応ができるのではないかと想像するのですが)

未来を予測して設定した目標:このような言葉には厳しく注意すべきだと思います。
なぜなら「未来」という言葉は漠然として何の意味も持たないのではないかと思うからです。
そこで、仏教的な言葉の使い方を説明しましょう。

「未来」というのは今の瞬間(時点)から先へ流れるであろうと思う瞬間(event)の流れのことです。今の時点から考察すると、過去は無限から、また未来は無限まで、つまり終着点が見出せないものであると理解出来ます。
出来事は時空の中に起こるものです。
時点のない「事」は成り立たないのです。
そのような訳で、以下のような表現は言葉の空回りで意味を持たないものになります。

例:

  1. 昔は良かった。(いつからいつまでですか?)
  2. 明るい将来が期待されます。(その将来はいつ始まるの? 今の瞬間から? また一億年経ってから?)

つまり「未来を語ったり、予測したりするならば『時点』を決めなさい」という結論になります。
でないと、単なる夢物語、妄想、幻覚を語ることになります。

「明日大阪へ行きます」「来年結婚します」などの言葉には意味があります。具体的に時間の設定があるからです。

具体的で、論理的であるならば、つまり『時点』が定まっているならば、未来の予測、計画などが成り立ちます。その目的に達するための道も具体的に出てきます。
しかしたとえそうであっても、それは単なる青写真のみであることに違いはありません。頭の中の概念のみです。

すべてが『今の瞬間の行動』にかかっています。
未来を描くプロたちは、立派な計画をたてるでしょう。でも「過去や将来に振り回されず、今なすべきことを成し遂げる」という仏陀の言葉は無駄にはならないと思います。

過去の経験に照らし合わせつつ、今何をすべきか決定する:このことばからは、「わたしにとっては、過去も将来も大事だ、今のことはどうでもいい。かえって、過去に、将来に振り回された方が現実から逃避するためには絶好のチャンスだ。私のありがたい苦しみにケチをつけるな」と弁解する姿が見えなくもないのですが。

過去とは何でしょうか。
『今の自分』が過去の結果です。過去の経験の結晶です。ですから今、実在しない、存在しない過去を妄想しなくても今の自分で十分です。
それなのに過去を妄想することはエネルギーの浪費です。本当に過去を生かす人は過去にこだわらないのです。過去の結晶である今の自分を効率よく使うのです。

照らし合わせられる過去:過去について。
先ず、結論ですが、そのようなもの(照らしあわされる過去)はないのです。
過去の経験で作り上げた今の自分が「活動中」(active)状態でいなくてはならないのです。過去というお墓を掘って、調べて、今どうするべきかを決めるという思想は、理解し難いものです。

いろいろな例で考えてみましょう。
4歳の子供が火遊びして火傷する。
35歳になったときにキャンプをして料理しようとする。
そのとき賢明に4歳のときの経験を思い出しながら、あるいは参照しながら、怯えながら行動するでしょうか。それとも何ということもなく楽しく料理をして遊ぶのでしょうか。4歳のできごとを思い出さなかった人は過去の経験を生かさなかった「アホ」でしょうか。

18歳で人が運転免許を取得する。
運転をする暇は中々なかったのですが、60歳になったところでやっと余裕ができた。ではその人は、過去の経験に照らし合わせつつ運転できますか。

敗戦後アメリカから東京に来た子供がいたとします。
その人が3-4年後母国へ帰り平成13年に再び東京を訪ねたとする。過去の経験をうまく生かして東京探検を一人でやってもらいましょう。…

過去といえば無限にありますが、ほとんどの過去は復帰できない状態で『死んで』います。
一部の過去の経験だけが、今active状態になっている。その人にとってそれは、過去の経験というより、今、機能している現在の能力です。 つまり、現在の能力をフルに生かす人こそ、過去の経験を有効に使っている人なのです。

踏ん張って、無理をして、力んで、過去の経験を思い出して、それに照らし合わせて対策を練る人は、夢想家であって活動家ではないのです。

  1. 過去の出来事を思い出せる能力。
    - これは記憶力です。自分のことも人のことも、歴史も、勉強したものも思い出すことが出来る。
  2. 過去の経験を生かす。
    - これは記憶力ではなく、人が今持っている能力なのです。思い出さなくても出来る。運転のように。我々が今、何とか生きているのも、過去の経験を生かしているからです。過去に振り回されているからではないのです。

1.と 2.は互いに異なる二つの機能です。ごちゃまぜにしてほしくないのです。
1.の例:私は子供のときオムツをつけられた。よく寝小便して怒られました。
2.の例:今、寝小便はあり得ない。絶対しないという自信がある。
(2の場合は、1を覚えていようと、さっぱり忘れていようと関係がありません)
この質問は、大人になって寝小便をしてもしなくてもかまわないが、子供のとき寝小便をして恥をかいたことだけは良く覚えて置くべきですよ、という立場を取っているのです。

ひとつ、注意してもらいたいことがあります。
政府、会社などは、データ、研究などに基づいて行動するために計画(plan,program,projectなど)をたてます。これらは具体的な現実的な思考であって、過去に振り回されている妄想ではありません。国家のプロジェクトと個人の生き方が同じだと勘違いしないでください。

(瞑想が進んで「智慧」が開発されれば、未来や過去に囚われず、当意即妙の対応ができるのではないかと想像するのですが。):瞑想してきた人々の経験から推測すると、この想像は合っていると思います。

「妄想」に陥らずに、将来の目標を立てたり、過去の経験を今やるべき行動に活かす方法について、ご教示願えれば幸いです。

今、十分、この問題を分析したつもりです。
結論を繰り返します。今の行動は過去の経験を活かすことです。過去の経験を活かさずには、何の行動も出来ないのです。今なすべきことをなし遂げることのできる人は、過去の経験をフルに活かしているのです。今、箸で弁当を食べているあなたは、過去の経験を十分活かしているのです。母に教わった箸の使い方を、どう活かせばよいのかと『活かす方法』を聞くべきでしょうか。

将来の目標を立てたり:今の生き方を無駄にしている人の悲鳴ですね。
本気で将来を考えるならば妄想を止めることです。現実的に、合理的に物事を判断することです。
計画などを立てるとき、計画の大胆さより、実行出来るか出来ないかに重点を置くことです。「実行できるか?」それは全ての計画の真髄です。

「妄想」に陥らずに:人の脳細胞の中まで管理することはできません。
あれを考えるな、これを考えるなと言うのはあまりも馬鹿馬鹿しいです。
人を殺すなかれと刑法まであるのに、人は人を殺す。皆やりたいからやっているのです。例え脅してもやりたいことはやるのです。刑務所に何回入れても麻薬に手を出す人は麻薬に手を出す。
それなのに「無駄なことを考えるなかれ」の戒めを素直に実践するとは想像もできません。やりたいからやっているのです。言ってあげても止めるとは思えません。本人が止めたいと思ったならば、ただそれだけで問題は終わるのです。妄想をする癖を直してこころを成長させ、汚れから脱出させる方法があります。Vipassanā実践という名で紹介しています。

今までの話をまとめます。

  1. 自分のためになること、回りの人々のためになること、皆のためになることであるならば何の躊躇もしないで行動します。
  2. こころが汚れる、暗くなる、悲観的になる思考を止めて、明るい活発な思考に置き換えます。
  3. 「自分がなによりも偉い」という、こころのなかにある評価は現実的でないと理解して止めます。自分も他の皆も同じだと思います。
  4. 自己中心的な妄想の代わりに、慈しみの思考で頭を満たします。
  5. 論理的、合理的、現実的な人間になります。
  6. 精神弱者の生き方の、何でも信じる、何にでも頼る性格を改めます。
  7. 今の生き方が正しければ将来を心配する必要がないと理解します。
  8. 自分の命よりも智慧を大事にする。生きることは智慧の開発のための戦場だと思います。
  9. 妄想で散乱して弱くなって精神病のボーダーラインにいるこころのエネルギーを、集中力を育てることで強化します。
  10. 一切は無常であるという真理を体験する。

「過去や未来のことに振り回されることを止めて、今なすべきことをなし遂げる」と言う仏陀の言葉について質問されました。
質問者は無意識的に「どうすれば過去と将来に正しく振り回されますか」という疑問を抱いていました。
これは言い換えれば「どうすれば仏陀に逆らえますか」と仏陀の弟子に聞くことです。
もし他宗教の方であれば、親切に質問者の立場を認めて返事しただろうと思われます。
「どうすれば君の母を殺せますか」と子供に聞くべきではないのです。
しかしこの質問で見えてくるのは、以上のような恐ろしさでも矛盾でもないのです。人が誰でも悩まされる問題です。

妄想と現実の境目があいまいになっている。
言葉をマンネリ的に使っていますが、言葉が持つ意味のリミットを理解していないので、判断能力が曖昧になる。
人間の普遍的な問題ですから、質問者に対しては大変失礼であることを承知の上で返事を書いてみました。
失礼を深くお詫び申し上げます。

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