ジャータカ物語

No.55(「パティパダー」2004年7月号)

偉大な猿王物語

Mahākapi jātaka(No.407) 

アルボムッレ・スマナサーラ長老

これは、シャカムニブッダが、ジェータバナという町で語られたお話です。
ある時比丘たちが、お釈迦さまが日々衆生の解脱のために休むことなく憐れみをもって心配なさっているにもかかわらず、自分の親族のためにも行うべき義務を果たされていることを話していました。するとそこにお釈迦さまが来られ、「何を話しているのか」とおたずねになりました。比丘たちがお答えすると、お釈迦さまは、「如来は、過去生でも一族のために行動したのだ」と、過去の物語をお話しになりました。

昔々、バーラーナシーでブラフマダッタ王が国を治めていた頃、菩薩は猿として生まれました。強くて立派な猿に成長した菩薩は、八万匹の猿たちのボス猿になってヒマラヤに住んでいました。ヒマラヤ山に流れるガンガー河のほとりには、小山のように大きくてフサフサと葉が生い茂るマンゴーの大木がありました。その木には、ほっぺたがとろけるほどおいしくて水ガメみたいに大きなマンゴーの実が、あふれんばかりに実るのでした。賢いボス猿は、他の猿たちとマンゴーを食べながら、「もしも川の中に実が落ちて流され、それを人間が見つけたならば、たいへんなことが起きるだろう」と考えました。そして、川の中に実が落ちないよう注意して、皆にもよく注意させ、川にせり出した枝の実を小さいうちにつみ取るように気をつけていました。

ところが皆で気をつけていたにもかかわらず、熟れたマンゴーの実が一つ、川に落ちて流されてしまったのです。ちょうど川の下流では、王様が川遊びをして魚を捕らせていました。マンゴーは魚の網にかかり、漁師がそれを王に差し上げました。王はマンゴーを食べてその最高の味にとりつかれ、「この実がなっている木を探せ」と大臣に命じました。家来たちは方々を探し、ヒマラヤ山中のガンガー河上流にその木があることをつきとめました。王はたくさんの筏(いかだ)を作り、大勢の家来を引き連れて川を遡(さかのぼ)りました。マンゴーの大木を見つけた王は熟れた実を拾い、思う存分食べました。満足した王は、その夜はそこに泊まることにして食事をとり、眠くなって木のそばに立派な寝床をつくらせて寝てしまいました。

菩薩の猿は、猿たちと夜中にマンゴーの木にもどり、皆で果実を食べていました。その時王が目を覚ましました。王は、猿たちがおいしい果物を食べているのを見て腹を立て、猿肉も食べてやろうと思いつき、「この猿どもを取り囲め。明日の朝、射殺して猿鍋にするのだ」と家来たちに命じました。弓矢を持った人間にねらわれていることに気づいた猿たちは震えあがり、「ボス、たいへんです! 我々は恐ろしい人間たちに取り囲まれています」とひどく怯えながら訴えました。

ボス猿はまず、「みんな、恐れなくてもいい。私がおまえたちを助けよう」と力強く言って、皆を落ち着かせました。川向こうに飛び越えると矢は届きませんが、川幅はとても広いのです。普通の猿が飛び越えるのはとても無理です。しかしボス猿には強い脚の力があったので、すぐに向こう岸にビューンと飛び移りました。ボス猿は丈夫な蔓(つる)を探し、「私が飛んだ河の幅はこの長さ、木に結ぶためにはこれだけ必要」とちょうどの長さに切ろうとしました。そのために忙しくて自分の足に結ぶ長さを足すのを忘れました。ボス猿は、丈夫な木と自分の足に蔓の端をそれぞれしっかりと結びつけ、川を素早く飛び戻りました。ところが、足に結んだ分の長さが足りず、木にたどり着くことができません。

それでも、菩薩であるボス猿は慌てません。両手でマンゴーの枝をしっかりとつかみました。そしてそのままで、「さあみんな、早く、私の背中を橋にして、私を踏んで、蔓の上を渡って向こう岸へと逃げなさい」と言ったのです。八万匹の猿たちは、「お頭(かしら)、本当に申し訳ない、申し訳ない」と許しを請いながら、言われたとおりに次々と向こう岸に渡りました。

猿の群のナンバー2がこれを見て、密かに喜びました。「これは俺のジャマ者のボスを追い払う良いチャンスだ」と思ったのです。その猿はわざと最後まで残って高い枝に登り、そこからボス猿の背中に思いっきり飛び降りました。勢いをつけてひどく蹴りつけたのです。ボス猿の内蔵は破裂し、耐えられないほどの苦痛がボス猿を襲いました。ボス猿を蹴りつけた猿は、そのままそこを立ち去りました。

ブラフマダッタ王は、その一部始終をしっかりと見ていました。王は、「あのボス猿は、動物ではありながら、自分の命も顧みずに仲間たちを助けたのだ」と感動し、「この猿の王を死なせてはならない。ちゃんと手当をするように」と家来たちに命じました。ボス猿はゆっくりと木の枝から下ろされ、ガンガー河でていねいに沐浴させられました。そして、高価な薬油を塗られ、砂糖水を与えられ、油引きの革の上に黄色い衣をかけて横たえられました。

ブラフマダッタ王はボス猿の下座に座り、詩でボス猿に問いかけました。

みずからを、踏ませてまでも
河を渡らせ、皆を救う。
あなたは彼らの何なのですか。
彼らはあなたの何なのですか。
大猿よ。

これを聞いた猿の王も、詩で答え返しました。

私は王で、彼らを治める頭(かしら)です。
恐れ怯えて泣き崩れる
彼らを決して見放すものか。
後ろ足に蔓(つる)をしばり、
百本の矢を巧みに避け、
風に飛ぶ雲のように、
河をひらりと飛び越えた。
マンゴーの幹にはたどりつかぬが、
両手で枝をしっかりと捉えた。
蔓と私を橋にして、
猿たちは無事に河を渡った。
蔓の枷(かせ)は私を痛めつけず、
死も私を苦しめない。
彼らに平和をもたらして、
王の務めを果たしたのです。
王よ、これはあなたにも良い例えである。
王たるものは、国、国民、兵隊、村、
すべてのものに、幸せを与えるべきです。
それは、政治家の務めである。

このように王を諭す詩を唱えた後、ボス猿は亡くなりました。ブラフマダッタ王は深く感銘を受け、大臣たちを集め、猿の王の葬儀を国王と同じように盛大に執り行うよう命じました。大臣たちは車百台分の薪の山をつくり、ボス猿をそこで荼毘(だび)に付した後、その頭骨を王に渡しました。ブラフマダッタ王は、ボス猿の頭骨に黄金をちりばめさせました。ボス猿の火葬場にはストゥーパが建てられて灯火を灯され、香料や花が供養されました。王はきれいに飾った頭骨を槍の先につけて先頭にたて、香料や花で供養しつつバーラーナシーに戻りました。ボス猿の頭骨は城内の廟(びょう)に安置され、街はきれいに飾られて、七日間のあいだ国中で喪の供養が行われました。ブラフマダッタ王は一生涯、菩薩の猿の廟を香料や花で供養しました。そして、その戒めの教えに基づいて徳行を行い、国を公正に治めました。王はその徳により、死後、天界に生まれました。

お釈迦さまは過去の物語を終えられ、「その時の王はアーナンダであり、ボス猿を蹴りつけた猿はデーヴァダッタでした。八万匹の猿たちはブッダの弟子たちであり、猿の王は私でした」とお話しになりました。

スマナサーラ長老のコメント

この物語の教訓
仏教が理想と考えている政治論があります。その複雑な政治論のまとめを、このエピソードで簡単に表現してあります。王といえば、現代語では「政府・国家」になります。現代の国々が議員制度で統治されていても、最高責任者は必ずいます。世界中の政治家は、国より先に、自分の権力を安定させることを第一にします。第二の義務は、自分と仲間達の懐を肥やすことです。その二つの目的を全うする上で、国民にも何か良いことが起きる可能性があります。が、ほとんどの場合は、ろくな結果にはなりません。こういう政治体制を、仏教は昔からも批判してきたのです。

仏教が批判したのは、現代のように言論の自由がある民主主義的な政治政党ではなかったのです。政府は王でしたから、専制君主なのです。批判するのは、とても危険なことなのです。しかし仏陀は、怒り憎しみではなく政治家と国民の幸福を切願して論理的におっしゃるので、仏陀に逆らった王はいなかったのです。このエピソードでは、猿のボスさえも、自分の命を犠牲にしてでも群の幸福と平和を守ってあげるのです。「苦しい目にあって、私は何を得るのか」とは、決して考えない。王になったのは、贅沢三昧で民を搾取して生きるためではなく、その民を我が子のように愛し、守ってあげる為なのです。ですから、楽な仕事ではない。国の命が自分に委ねられているのです。菩薩の猿王が人間の王に言った「これはあなたに対しても良い例えです」という言葉が、仏教が政治家に言いたいことをダイレクトに、インパクト強く表現しているところです。

政治家が国を守った、平和にしてあげた、国民の生活を楽にしてあげた、皆を幸福にしたと言えるならば、その充実感こそが、唯一の報償なのです。政治とは、国民に痛みを伴う政治をやることではなく、自分が苦難を受けながらでも国民を幸せにしてあげる、菩薩行なのです。