ジャータカ物語

No.123(2010年3月号)

黒猿物語

Kālabāhu jātaka(No.329) 

アルボムッレ・スマナサーラ長老

これは、シャカムニブッダがマガダ国の竹林精舎におられた時、デーヴァダッタについて語られたお話です。

デーヴァダッタは、理由もなくお釈迦さまに恨みを抱き、お釈迦さまを殺そうという計画まで立てて、ナーラーギリという凶暴な象をけしかけました。デーヴァダッタの悪行為は世間に知れ渡るところとなり、人々から非難されたデーヴァダッタは、それまで得ていた食事などのお布施を得ることができなくなりました。国王からも見放され、人々からの尊敬を失ったデーヴァダッタは、家々を「何か食べ物を下さい」と訪ね歩いて、何とか命をつないでいました。

ある時、法話堂で、比丘たちが、「友よ、デーヴァダッタは、尊敬と利得が得られるようになりたいと願い、その願い通りに多くのお布施を得られるようになりながら、尊敬と利得を得る立場を堅持することはできなかった」と、話をしていました。

お釈迦さまが来られ、比丘たちの話題をお訊きになって、「比丘らよ、それは今に始まったことではない。過去においてもデーヴァダッタは、布施も尊敬もなくしたことがあった」と言われ、皆に請われるままに過去の話をされました。

 

昔々、バーラーナシーでダナンジャヤ王が国を治めていた頃、菩薩はラーダという名の、大きくて立派な体格の美しいオウムでした。菩薩の弟はポッタパーダという名前のオウムでした。

菩薩と弟は、ある猟師に捕らえられ、国王に献上されて、お城で飼われていました。ダナンジャヤ王は、二羽のオウムを大変気に入って、金の籠を作らせ、毎日とてもおいしい食事と砂糖入りの水でオウムたちの世話をさせました。

オウムであった菩薩と弟は、そのように王の寵愛を得、この上なく皆に大切にされて暮らしていたのです。

ところが、ある時、森でうろついていた猟師がカーラバーフという名の黒い大猿を捕らえ、王に献上しました。

王をはじめとし、城中の者の目が、新しく来た黒猿のカーラバーフに注がれました。カーラバーフばかりがもてはやされるようになり、二羽のオウムたちはあまり顧みられなくなったのです。次第にオウムたちの食事や飲み物は、おざなりになってきました。

兄であるラーダは菩薩の特性を備えているので、そんなことには動じませんでした。しかし弟のポッタパーダは、菩薩の特性がないため、新参者がもてはやされることにがまんができず、不満をぼやくようになりました。

「兄さん、以前はお城のおいしいものは、いつも僕たちがもらっていた。それなのに最近は僕たちの待遇はさっぱり悪くなってしまった。いつもあの黒猿ばかり、良いものをもらっている。僕たちはダナンジャヤ王から大事にされなくなってしまったんだ。おいしいごちそうももらえないのに、こんなところにいてもつまらないよ。僕たちはもう森に帰ろう、兄さん、森で住むことにしようよ。」そして弟は、次の詩句を唱えました。

かつて、われらが王より得たごちそうは
今は、猿のもとに行く
ラーダよ、われらは、森に去ろう
もはや、ダナンジャヤには顧みられず

兄であるラーダは、次の詩句で応えました。

得ると得ざると、名誉と不名誉と
誉れと貶(けな)しと、苦と楽と
それらは、人間界では、常に遷(うつ)ろうもの
憂うことはない、ポッタパーダよ、なぜ憂うのか

しかしポッタパーダはがまんできず、次の詩を唱えました。

ラーダよ、あなたは確かに賢者であり
まだ来ぬ利得を知る
いかにすればあの卑しい猿が
王家より排せらるるを見るや

ラーダは次の詩句で応えました。

耳を動かし、尊大な風をふかし
鼻息荒く、王子たちを脅かす
それらの行いにて、カーラバーフは
自ら食物より遠ざかるだろう

しばらく経つと、黒猿のカーラバーフは、王子たちに対して尊大に振る舞うようになり、耳を動かして王子たちを脅しました。王子たちは怖がって悲鳴をあげながら逃げました。

「あの声はいったいどうしたのだ」と尋ねた王は、その事情を知り、「あの猿を追い払え」と命じて、黒猿を王の周囲から遠ざけました。

オウムの兄弟は、再びおいしいごちそうを与えられるようになり、とても大事に扱われるようになりました。

お釈迦さまは、「その時の黒猿カーラバーフはデーヴァダッタであり、弟のオウム、ポッタパーダはアーナンダであり、兄のオウム、ラーダは私であった」と言われて、話を終えられました。

スマナサーラ長老のコメント

今月の教訓

デーヴァダッタはお釈迦さまの暗殺をはかったことで、お布施を貰えなくなりました。しかしアジャータサットゥ王子の親友でしたので、社会的な影響力は持っていたのです。彼は家々を訪ねて、食べさせてくださいと頼んで、食事を得たのです。このやり方は、一般的に考えるとなんの問題もないのです。お腹が空いている人が、何か食べさせて下さいというと、喜んで上げたくなるものです。しかし、このような行動は出家に戒律上禁止されています。出家側から食事を要求してはいけないのです。托鉢とは無言で家々を回ることです。

在家の方々は、何か上げたいと思うならば差し上げてもよろしいし、何もあげたくないならば、無視してもよろしいのです。托鉢に行く比丘が、少々長い時間、家の前で立っていることも良くないのです。そうなると、家の人々は「この人は何か上げないと出て行かないつもりだ」と思ってしまうのです。それは強制したことになるのです。托鉢に出るときは、みじめな雰囲気も出してはいけないのです。何か貰って嬉しい顔も、貰わなくて嫌な顔も、してはいけないのです。無表情ではなく、すべての生命に平等に慈しみの念を抱いて、朗らかな顔で托鉢に行くのです。

ですから法話堂に集まった比丘たちにとっては、デーヴァダッタが在家の人々に食事を要求したことは、たいへん大きな問題でした。デーヴァダッタは、アジャータサットゥ王子から毎日ご馳走をいただいていたのです。恐らく、お釈迦さまの周りにいる比丘たちよりも贅沢な生活ができていたでしょう。それで本人は、調子にのってしまったのです。結果として、物乞いしなくてはいけないところまで、落ちぶれてしまったのです。

人々というのは、景気が良いときはかなり調子にのるのです。贅沢三昧で生きようとするのです。吾輩は安全だ、という気分になるのです。しかし、世界の経済状態というのは、昔も今も安定するものではないのです。どのような風が吹くのか予測できないのです。景気が良いとき調子にのる人々は、当然、景気が悪くなると途方にくれてしまうのです。身動きが取れなくなるのです。ジャータカ物語が、この有り様を問題にしているのです。

世の中の状況は止まることなく、観覧車のように回るものです。お釈迦さまは、世の中の状況が変わる度に精神が揺らぐならば、苦しみばかり増える人生だと説かれるのです。我々が気にするのは、損することと得することばかりです。それだけではありません。Yasa名誉、ayasa不名誉もあるのです。名誉という言葉を聞くと、自分には関係ないものだと思われるでしょうが、それは訳語の問題です。Yasaとは、社会に認められることです。社会に認められないと、生きることは苦しくなるのです。我々の人生は、周りに認められたり無視されたりです。それによって心が揺らいではならないのです。

また、よく褒められて話題の人物になる場合もあるし、突然、非難を浴びてしまう場合もあるのです。褒められることも、非難されることも、私たちの日常生活に多大な影響を与えます。この場合も、舞い上がったり落ち込んだりしないで、冷静さを保つ必要があるのです。物事が順調に行って楽に生活できるときも、災害に遭ったり、病に冒されたりして、苦しくなる場合もあるのです。そのときも、ブッダの教えを実践する人々は冷静さを保って、心の安らぎを失わないようにして、様々な社会の荒波をうまく渡るのです。

すべて上手く行くようにと祈願しても、あり得ない話です。個人の希望で社会全体が変わるわけではないのです。地震が起こること、洪水・旱魃になることは人の希望で無くなるものではありません。いくら真剣真面目に商売や仕事に精を出しても、必ず良い成果が上がるとは限りません。常に理性を保って世間の荒波を上手に利用する、腕の良いサーファーにならなくてはいけないのです。