智慧の扉

2022年11月号(196)

今この瞬間から幸福になる仏道の歩き方

アルボムッレ・スマナサーラ長老

 皆さんにぜひ試してほしいことがあります。それは、「私は無い」という前提で生活してみることです。そのために、「あるのは因果法則で、私ではない」ということを覚えておいてください。結果として、楽に生きられるようになるはずです。

 怒りやストレスが溜まったりする時、必ず「私がいる」と思っているのです。「私がいる」と思って仕事をすると大変疲れます。誰かに批判されたり、あれこれ口を出されたりするたびに嫌な気持ちになってしまうのは、「私がいる」という思考のせいです。批判されたのが自分ではないとすれば、いったい何なのでしょうか? それは「因果法則」です。自分とは因果法則によって成り立つ一時的な現象なのですから、「私という実体は無いが、因果法則は確かにある」と言えるのです。

 そう言うのは簡単ですが、「私は無い」ことを発見するのは容易ではありません。修行して智慧を開発することで初めて、「私は無い」ことが腑に落ちて、人生のあらゆる問題が解決するのです。この「無我の発見」が皆さんにいつ起こるか分かりませんが、それまで辛い人生を甘受するつもりでしょうか? 皆さんの中には、最悪で、惨めで、苦労ばかりの人生を送っている方もいるかもしれませんが、それでは仏教を学んでいる甲斐がないというものです。今この瞬間から、私たちは気楽に幸福に、何か挑戦をしたらそれなりに成功して、楽しく生活するべきなのです。

 ですから、「私という実体は無いが、因果法則は確かにある」というフレーズをとりあえず頭にインストールして、「私は無い」という前提で生きてみてください。そうすると、物事は結構スムーズに運びます。結果的に心の余裕がいくらか生まれます。その上で、「では実証してみましょう」というふうに修行もしてみるのです。これが人生を幸福に過ごしつつ悟りを完成させる方法です。

「悟りに達してから幸せになるぞ」という道を選ぶと、それまでは不幸ということになってしまいます。それはお勧めできません。智者になるまではブッダの言葉を信頼して、「私は無い。あるのは因果法則」というモットーで生きてみましょう。それで人生がスムーズに流れることを体感してください。その経験は、本格的に修行するときにも役に立ちます。 それとは逆に、いくら瞑想しても失敗する原因は、「私がいる」と証明したがるところにあります。瞑想を競争と勘違いして、見栄を張ってしまうのです。瞑想が成功しない人には、自我意識が強すぎるという傾向があります。ならばなおさらのこと、日常の中でも「私という実体はない」という仮定で生活して、それを修行で実証してみることです。これが俗世間と出世間の双方で成功する方法なのです。