智慧の扉

2008年3月号

「何もない」冥想がホンモノです

アルボムッレ・スマナサーラ長老

冥想修行を続けて、「特別なことが何もない」と悩む人がいます。

何もなくてけっこうです、修行しているならば。

何もないのは、修行が本物だからです。こころの成長には、なんの不思議も刺激もないのです。神秘体験や現象を語る人々は、何か摩訶不思議な刺激が欲しくて、無明の穴のどんぞこに落ちているだけ。ふつうは冥想すると、神秘どころか自分の短所ばかり見えてきます。それを何とかしようと、20分で腰を上げるのは情けないから30分は頑張るぞ、妄想ばかりで情けないから何とか妄想を止めてやるぞと、そうやってジリジリこころが伸びるのです。

こころの成長はあくまで自然です。自然の成長だから、堕落しないのです。ヴィパッサナー冥想の成長は、残念ながら本物です。だから、あまり刺激がない。悟りに達した聖者に訊いても、「別になんにもないよ。自慢できることなんて……」と言います。しかしその方の煩悩はきれいに落ちているのです。

あなたは以前からいろんなトラブルを抱えていて、それは今もそのままでしょう。でも、自分は落ち着いているのではないですか? 世の中の不条理に触れても、すぐ怒ったり、感情的になったりしない自分がいませんか? そういうことです、冥想で成長するというのは。

ですから、ふつうの人生はいい加減・中途半端でいいから、冥想に入ったとたん、その時間だけは、とことん真剣に、実況中継に取り組んでください。たとえ15分でも、その時間は鬼になってやること。あとはだらしなくても適当でもかまいません。冥想への気合だけ薄くならないように。では、しっかり頑張って。