智慧の扉

2014年9月号

一期一会

アルボムッレ・スマナサーラ長老

「一期一会」とは禅の言葉です。この言葉に対応したパーリ語の言葉はありません。パーリ経典でこれに類する言葉は「sabbaṃ pahāya gantabbaṃ」(サッバン パハーヤ ガンタッバン)です。意味は「すべて捨てて逝かなくてはならない」ということで、要するに一期一会という意味なのです。すべてを捨てつつ、先へ進んで死ななければならないのです。
 
 我々の人生は、その瞬間だけの人生なのです。すべて一期一会なのです。次の瞬間に、何を持っていくのですか? 何も持ってはいけないのです。持っていけないものを持っていこうと無理をしているから、無量の苦しみが生まれるのです。
 
 少し考えてみてください。この今いる場所(瞬間)の居心地がいいからと言って、それを他へ持っていけますか? 持っていけないでしょう。ですから、我々に与えられた時間の中で、その場所で気持ち良く過ごすということだったら、すごく楽しいのです。それで外へ出たら、そのときはその時間を気持ち良く過ごす。歩くときも、道路を自分が気持ち良く使う。電車に乗って座ったら、その時間を気持ち良く使う。次には持っていかないのです。
 
 すべてのことに、そういう生き方をしてほしいのです。人と会っても、その時間だけ。あなたに明日も会いますよと言っても、明日会うのは別人なのです。いろんな経験を重ね、年も取った別人です。自分もまた別人です。ですから、明日は別人同士が会うのです。

 本当は「see you again」というのは成り立たないのです。日本で言う「さよなら」なのです。「さよなら」というのは、「また会いません」という意味なのです。今はただのフレーズになっていますが、何か話し合って全部が終了し、最後に「別れましょう」ということです。「また会いましょう」というのは煩悩の世界です。そこには、やはり感情が入っていて、苦しみがあるのです。

「一期一会」これが本物の生き方なのです。これを頭に入れて、子供に会うときでも一期一会、旦那に会うときでも一期一会、友達と会うときでも一期一会です。この瞬間を大事にするのです。物事に囚われて人生を台無しにしてはいけません。周りに迷惑をかけてはいけません。一切を放っておく(無執着)生き方が本物です。「一期一会」ということで、自由になることを学ぶのです。これはスローガンではありません。私たちは、一期一会を実行していません。この言葉を理解し憶えて、真剣に実行してみましょう。