智慧の扉

2015年9月号

穏やかな心を育てるチェックポイント

アルボムッレ・スマナサーラ長老

「怒り」というものがあります。姑さんがお嫁さんに怒る。なぜ怒るのでしょうか? 姑さんが自分勝手に「嫁はこうであるべき」と決めつけているからなのです。自分が決めた「こうであるべき」というフォーマット・基準に、お嫁さんが合わなかったのです。反対にお嫁さんも姑さんに対して「こうであるべき」という基準を持っていたのです。

 憶えておいてください。私たちが持っている「こうであるべき」という基準が怒りのもとです。とてもシンプルです。こうであるべきという基準がなければ、怒れないのです。激しく怒る人と、たまにしか怒らない人とは、どこに差があるのでしょうか。それは「こうであるべき」という基準に凝り固まっているか否かという差なのです。
 
 仏教ではよく「覚り」と言っていますが、なにが覚りなのか分かっていませんね。では、教えてあげましょう。もし心から一切に対して「こうであるべき」が消えたらどうでしょうか? 覚った人の心は、一切の「こうであるべき」を取り消しているのです。取り消してしまうと、あとは「ありのまま」になってしまいます。
 
 この世の中で「こうであるべき」と考えることは、おかしいのです。すべては因果法則によって成り立っているからです。全宇宙の森羅万象が、私の期待・希望通りになるわけがないのです。川の水が下に流れるように、いつだって自然は因果法則です。私が気に入るか入らないかに関係なく、いつだって自然はバランスを保って調和しています。それは因果法則による「あるべき姿」なのです。

 覚りの世界はいたって簡単です。修行すれば皆さんも覚ることができます。「こうであるべきは成り立たない」と理解するのです。それだけです。

 皆さんもこれから毎日実践してみてください。怒った瞬間、頭にある「こうであるべき」という基準を確認してみてください。そのように毎日のように実践していくと、どんどん智慧が現れてきます。私が決めた「こうであるべき」は成り立たない、森羅万象には因果法則によって「あるべき姿」が流れているだけだと気づくはずです。自分というものも森羅万象の一部であって、自我というのは存在しないということを発見すれば、それが覚りです。ということで、そのように実践すれば、怒りは、いとも簡単に消すことができると思います。