智慧の扉

2017年6月号

感覚の法則

アルボムッレ・スマナサーラ長老

 生命は、つねに六根(眼耳鼻舌身意)で対象(色声香味触法)を感じ続けています。無常ですから、「いまの感覚」は瞬時に消えて、すぐに次の感覚が生じます。その感覚をすでに消えた感覚と比較して、苦・楽・不苦不楽(フツウ)という三種類の価値判断を入れてしまうのです。この価値判断の働きは、決して止められません。

 そして感覚には、面白い法則があります。いま、不幸(苦)を感じているとしましょう。次にまた苦を感じる。その次にも苦を感じる。そうするうち、苦に対する感覚の価値判断が「不苦不楽」に変わるのです。これは「苦に慣れてしまう」という現象です。鈍感になるのだ、とも言えます。聖なる真理としての苦(ドゥッカ)は、普遍的な宇宙法則ですが、生命はそれに対して鈍感になっているのです。生命が頑張らないと覚れないのは、この「鈍さ」ゆえでもあります。
 
 同じように、幸福(楽)を感じ続けても、慣れてくると不苦不楽に変わります。たとえば、音楽を聴いて楽しく感じる。次の一秒も楽しく感じる。しかし、どんどん楽しさが薄らいできて、やがて感覚の価値判断が不苦不楽になってしまうのです。それから、不苦不楽がずっと続くと、次は苦の感覚が生まれてきます。嫌になってくる、退屈になってくるのです。楽の感覚もずっと続くと次第に不苦不楽になって、さらには苦を感じるようになるのです。

 このように、幸せな感覚(楽)に慣れると、幸せを感じられなくなってしまうのです。例えば日本人が「日本は素晴らしい」と感じるのは、海外に出たときでしょう。日本にいると日本の基準に慣れきってしまって、すべてがフツウ(不苦不楽)に感じられるのです。フツウを感じ続けていると、次第に苦に変化して、「日本はここが良くない」と文句も言いたくなってきます。それが、いったん外国に行って不便さを感じると、「日本は何でも揃っていて素晴らしい!」と、楽を感じてしまうのです。感覚は、そういう法則で移り変わるのです。
 
 苦・楽・不苦不楽を揺れ動く感覚のパターンは、結局のところ、「苦」に帰着します。集約すれば、感覚とは「苦」なのです。この感覚の法則を、日常の経験で発見してみてください。俗世間でいう「幸福」とは、「苦」という感覚を基準にして成り立つ相対的な現象に過ぎません。皆様は、変わらない安定した幸福は何なのか、どこにあるのかと探し求めているでしょう。でも、そんな幸福は相対的世界には無いのです。感覚の法則を発見して、「幸福の相対性」を見抜いた人だけが、心の安らぎ、落ち着きという本当の幸福に達するのです。