智慧の扉

2020年10月号

伝統という影の支配者

アルボムッレ・スマナサーラ長老

 現代人は「伝統」を真実だと思っています。だから、ちょっとでも伝統を批判すると攻撃を受けます。尊い伝統をバカにするなというのです。譬えるなら、昔から生ゴミを食べている人に、仏教が「白米を食べてみたらどうですか?」と言うと、皆は「これこそ延々と受け継がれてきた大事な伝統です」と拒絶するのです。仏教はそれぞれの自由を尊重するので、仕方なく「そうですか、では生ゴミを食べてください」と放っておくしかありません。
 いくら歴史があって代々受け継がれてきた由緒正しい伝統であっても、その伝統とされる行為の中身・内容が肝心なのです。守ってきた伝統に意味がなければ、その伝統を破って新しいものを作る勇気を持つ必要があるのです。人間は貪瞋痴の中で生きているので、伝統を破る勇気を持てません。先生や師匠に教えられた通り、オウム返しに真似るだけ。宗教とはどんな世界でしょうか? すべては開祖・宗祖の言ったことを、そのまま繰り返してやっているだけです。開祖・宗祖が間違っていたら、どうするのでしょうか? 
 
 これは、ただ単に日本批判や宗教批判としてのみ受け取らないようにしてください。これは世の中にある、すべての文化・伝統・宗教について共通して言えることです。例えば日本にある様々な宗教を見てください。それらは新しいデータやアイデアを発見して提示しているのかというと、そんなことは一切ありません。ただ「開祖様がこう言いました」とそれだけ。「宗祖様が仏教をこのように解説しました」と言っているだけ。元々の仏教を捨てておいて、宗祖様の言ったいい加減な言葉を鵜呑みにして信仰するのです。自分で調べたり学んだりすることさえなく、宗祖様の言葉を経典や聖典にまで持ち上げてしまう。何と愚かなことかと思います。
 
 ですから、「文化・伝統を守る」というのは一概に良いことではありません。昔は、豊作を願って神に生贄を捧げたのです。激しく男尊女卑を守る文化もあったのです。文化・伝統などが社会にとって迷惑だとしたら、人間の発展に邪魔だとしたら、人類の進化にとって障害だとしたら、きれいさっぱり捨てた方が良いのです。理性によって、伝統を捨てる勇気を持ってください。例えば、未だにインチキな神を仰ぐ宗教が世界を支配していますが、神のお陰で開発された科学技術などはひとつもありません。お釈迦様が真理に基づいて強調されるのは、「伝統を鵜呑みにする『邪見』こそが危険である」ということなのです。