智慧の扉

2020年11月号

不満を生きがいにしてはいけない

アルボムッレ・スマナサーラ長老

 人間に限らず、生命の世界はフラストレーション・不満・悩みで成り立っています。私たちは若い時分、あれがしたいこれがしたいと悩んでいるでしょう。学生ならば、試験に高得点で合格したい、将来いい職業に就きたいと悩んでいます。いま・ここに無いものを求めているのです。社会人になっても、この仕事よりあの仕事の方が給料は高いと悩みます。そのうち結婚でもしたら、家族を養うことに悩み、子どもができたら子育てに悩むのです。いつでも何か悩むためのテーマを作って、それを解決するため頑張って生きています。

 さて、人生とは一体何なのでしょうか? このワンパターンの生き方で、やがてくたびれ果てて死んでしまう。この大問題について、誰一人も答えを持っていません。もちろん死ぬ時も、不満と悩みを抱えながら死んでいくのです。なぜならば人は死について知識として知っていますが、「私は死なない」という気持ちが根底にあるので、どうしても自分の死に納得がいかないのです。間近に迫った死を前にして、さらに不満が募るのです。これが生命の、人生の実状です。

 生きることは「ない」こと(不満)の連続です。あるいは、これをしなければ・あれをしなければという連続でもあり、結局得られるものは何も無いのです。仮に一時的に何かを得たからといって、それで終わる・止まるわけではありません。苦しんでやっと得たものも、瞬時に消えてなくなってしまう。私たちは、いつ満足・充実を感じることができるのでしょうか? 「苦労したら報われる」というのは嘘です。苦労して幸福に達した人は一人もいません。この「不満」に塗りつぶされた存在のあり方を、仏教用語で「dukkhaドゥッカ(苦)」と言います。生命の不満状態(dukkha)は決して終わることなく、形を変えながら延々と続くのです。

 生命の不満状態(dukkha)を脱した境地のことをブッダは「涅槃」と呼んでいます。涅槃は、生命が一切の束縛を根絶した状態です。涅槃に至ったということは、もう一切の不満が消えているのです。束縛とは、不満状態(dukkha)に依存すること・愛着していることです。つまり、不満を生きがいにしていることです。不満を生きがいにしているからこそ、必ず失望で終わる新たな期待・希望が現れ続けるのです。「不満」に期待・希望をかけるというアベコベな態度こそが、私たちが苦をリピートし続ける根本的な原因です。お釈迦様は「観察」というたった一つの方法によって、「不満」を乗り越えた涅槃への道、一切の束縛を断つ確実な道を世に示されたのです。それこそが苦・集・滅・道という四つの聖なる真理なのです。