あなたとの対話(Q&A)

思考は放射性廃棄物/人間関係と観察の智慧/自我は「怒り」の燃料

パティパダー2013年9月号(192)

思考は放射性廃棄物

何かをする時に、しないといけないことができなかったら、という不安や恐怖が過剰に出てくる時があります。その気持ちはどこから出てくるものなのでしょうか? また、どう対処したらいいのでしょうか?

それは妄想しすぎでしょう。余計なことを考えないで、「これをやらなくちゃ」とさっさとやることです。そういうふうに、ずいぶん気楽に生きて下さい。この瞬間だけの人生なのですから。ごちゃごちゃ考えることがすべての問題を惹き起こすんですよ。明るく、楽しく。知らない人から、「水一杯持ってきて」と言われたら、さっと持ってくればいい。そこであれこれ考えると大変なことになります。その瞬間、瞬間で生きればいいのです。瞬間に生きることで、活発で失敗のない人生が拓けます。

 みな考えすぎなのですよ。だから個人レベルでも国全体でも、解決できない問題だらけ。なぜ考えるかというと、生きる能力が無いからです。考える資格もない失格者たちがごちゃごちゃ考えている。考える資格のある人は、きちんと考えるべき時に考えるのです。プロの歌手だからといって、電車の中でも歌っていると思う? 黙っていますよ。ステージでだけ能力を発揮して歌うのです。資格のない人ほど、能力の無い人ほどうるさいのです。どこでも歌っている。聴いていられない、はた迷惑です。それと同じく、思考する資格のない人々が一生懸命思考するから、はた迷惑どころか地球も危険にさらされるんです。

 ですから、余計なことを考えずに、なんでも明るくパッパッとやってください。できそうもないなぁと思っても、まずやってみて、できなかったら、できないですねと正直に言えばいい。ごちゃごちゃ考えないこと。てきぱきと動くこと。うまく行かなかったら、うまく行かなかったね、で終わり。心の中に余計なゴミを溜める必要はないんです。このゴミはかなり放射線のあるゴミです。思考として溜まるものは、放射能のように自分を破壊するんです。ですからむやみな思考は直ちにやめるべきものです。どうしよう、ああしよう、と考えることは放射性物質を意図的に心に放り込むことと同じです。自己破壊することなのです。


人間関係と観察の智慧

人間関係にストレスを感じています。人間関係でヴィパッサナーを実践しているけど、なかなかうまくいきません。ひとと話をしている時は「音、音、音」と実況中継しているのですが、自分が話をする時はどうやって念じればいいのか、わかりません。

基本的なことを理解していないようです。冥想する時に実況中継するのであって、日常生活ですべきなのは「生きる」ことです。他人の話に「音、音、音」というのは失礼な話です。ちゃんと相手の話を聴くことです。聴いたら心を汚すような話題の時は、緊急避難的に「音、音、音」としてもいいですが、それ以外はちゃんと相手と人間関係を築いて生活しないといけないでしょう。

 では、どのように聴くべきでしょうか? 生命はひとりひとり別々です。「この人はこのような考えを持っている」「この人はこのような考えを持っている」という風に聴くのです。一つの器にビー玉をたくさん入れておくと、仲良く一緒の場所にいるけれど、それぞれの主権を侵害しないのです。一緒の場所にいても、一つのビー玉は他のビー玉の存在を消そうとはしないのです。でも、コーヒーの中にお茶を混ぜちゃうと、お互いの存在を消そうとしてとんでもないことになる。醤油もいれたら飲み物でも無くなってしまう。お互いの存在を殺すのです。殺した結果は最悪です。私たちも他者の話を聴いて、自分の考えで汚染して殺してしまう。また他の人の話を聴いて殺してしまう。残るものは最悪です。三人くらいで対話すると、すごく気持ち悪いことになるのです。それぞれ相手の主権を殺しているのです。それが人間関係でしょうか。人間関係を壊しているだけでしょう。

 ひとの話を「音、音、音」と聴くのは失礼です。この人はこういう思考を持っている、あの人はこういう思考を持っている、自分はこういう思考を持っている、それで終わり。そのようにヴィパッサナー(観察)の智慧を使うのです。どうでもいいことをストレス発散でしゃべりまくる人には、慈しみをもってつきあって「音、音、音」と聴いてあげればよろしい。それは善行為になります。


自我は「怒り」の燃料

仕事のパートナーに威丈高なことを言われて、半日怒りが続いてしまいました。ほとほと疲れてしまいました。繰り返さないために、どうすればよいでしょうか?

私たちは怒りを燃やす燃料を持っているのです。それで大惨事を起こしてしまう。ガソリンスタンドに火をつけるような感じです。怒りが込み上げてきても、わざわざと自分で燃料を補給しないことです。怒りを燃やす燃料とは、「自我」です。オレがえらいという、えらいのは自分だという気持ちが自我なのです。しかし、自分が偉いということは成り立たない話です。頭がおかしくなっている状態です。自我とは自分が燃えている状態なのです。仏教の教えを学んで怒りを抑えたら、その方が気持ちいいでしょう。怒りを抑える人は、周りの怒りも消しますからね。

 仕事の同僚に怒りをぶつけられたら、「この人は怒りで燃えているのだ、放っておきましょう」と客観視する。そうやって明るく見ておけばいいのです。相手は自爆しているのだから、わざわざ周りが被害を受ける必要はないのです。高圧電線にわざわざ触るなかれ、ということです。危険なものは世の中にいくらでもあるでしょう。

 人は怒るものです。「怒らないこと」を訓練するのは、ブッダの教えを直々に学んでいる人だけです。どの宗教や宗派も「怒るな」と言っているけれど、修行に取り入れてないのです。人格向上することはしないのです。世の中を見渡すと、誰一人、怒りを制御する訓練をしていません。ですから、わざわざ触らないこと、放っておくことです。自分で自分の怒りに打ち勝ったら、その人は楽になるのです。一人で頑張って怒らないことによって、周りにも幸福をもたらす立派な人間になっているのです。そうやって自他に幸福をもたらす道を歩んでみてください。