あなたとの対話(Q&A)

意味があるのは現在のみ

パティパダー2006年10月号(110)

妄想にはパターンがあるのか、私の場合、冥想中に、嫌な人の顔がよく出てくるのです。なぜ同じパターンの妄想が出てくるのか。これは、このままヴィパッサナーを続けていたら解決できるのでしょうか。

妄想には人によってパターンがあります。バラエティもそれぞれです。バラエティが極限に少なくて一つ二つの妄想をずっと一日中回転させている人、あるいは極限にバラエティが多い人は、明らかに精神の病気ですね。だけど世間では精神的に正常だとされる人々も、結構妄想で生きてます。その人々は用があると現実に戻れるので誰も危険視はしないが、仏教は危険視する。妄想は時間とエネルギーの浪費。有意義なものは何一つ生産しない。世間での人々の成功・幸福は、妄想に費やす時間でわかります。妄想時間が長い人は失敗者、短い人は成功者と理解しておけば、わかりやすいでしょう。実際、妄想とは、人を地獄に陥れるほど危険なものです。決して良いものではないのですが、妄想の問題は悟りを開くまでは解決しません。
 
 それだけではない。妄想をチェックしたら、その人の性格がわかります。どんな問題で悩んでいるのかという精神状態もわかります。発見するのはその人の悪いところです。だから、これは「精神診断」と言っても良い。したがって、妄想を具体的に客観的に観るのは、とても大事です。
 
 前置きはそこまでにして、質問に答えましょう。あなたの場合は、過去に執着があるということです。(それは誰にでもある問題ですが)過去に囚われていることに気づかず、「今」という現実を無視している。だから冥想しても、囚われている過去が自分を攻撃するのです。先程妄想で性格がわかると言いましたが、あなたは嫌なことに強く執着するタイプですね。「執着? 嫌なものに執着するわけがない」と思うでしょう。しかし、嫌なことは、余計に気になる。忘れがたい。引っかかる。跡を引く。それは執着(upādāna)です。そのこころの性質・性格が、過去の嫌な人の顔ばかり思い出させてくれるのです。思い出す顔が一つ二つなら、何か特に気になることがあるのでしょう。いろんな顔が浮かぶなら、怒りの性格が強いということです。試しに日常の生き方を観察してみてください。ものごとの短所を見る方ではないですか? 意見・感想を聞かれたら、肯定的な意見より、否定的な意見に傾くのではないでしょうか?
 
 解決方法は「過去を捨てること」です。過去に足を引かれて今の仕事を失敗するのは避けるべきです。「生きているのは今現在の瞬間だけだ」と納得したら、その時点で、過去の妄想は消えます。今のあなたは、過去が実在していて、現在は存在していない状態なのです。
 
 具体的な方法は、ヴィパッサナーを続けるしかありませんよう。過去にも将来にも現実性はありません。「意味があるのは現在のみである」ということに納得してヴィパッサナーを続ける。「意味があるのは現在のみである」ということに納得するためにヴィパッサナーを続ける。立場が二つです。繰り返して言ったのではありません。
 
 過去が実在するわけがないでしょう? しかし人は「やはり過去は実在する」と思っている。今現在の瞬間だけしかないのに、皆ずいぶん胸を張ってそれを無視するのです。実在しないものを実在すると勘違いすることは、仏教がいう「無知」です。

「今だ、今だ」と意識しようとすると、過去が出てきてしまうんです。

とにかく冥想を続けてください。ヴィパッサナーで智慧が開発されたら解決します。感情は激しいものです。執着は強いものなのです。木綿糸のように簡単に切れないみたいです。ヤスリでケーブルを切断するように時間がかかるかもしれません。でも、挑戦すれば切れます。心配しないで続けてください。

もう少しリラックスして冥想した方がいいのでしょうか。

それはケースバイケースですが、もしかしてスティルケーブルのような執着を木綿糸のように簡単に切れると思っているのなら、落ち着きがなくなって緊張します。やっぱりリラックスした方が良いかもしれません。リラックスとは「のんびり、ゆっくり」という意味ではありません。「諦めず、めげず、イライラせず、明るく」ということです。妄想するのは「今」に集中できてないからだということを理解して、自分でがんばってみるのです。集中するための工夫は自分の問題で、これだという答えはありません。

僕の場合は、過去ではなくて、ちょっと先のことを考えてしまって、その時やってることに集中できません。集中できたらもっと力が発揮できると思うんですけど…。

こちらの場合は若過ぎですね。若者には悩むほどの過去はないから、ちょっと先のことが大問題です。子供から若者までは、ものごとをとてもインパクト強く脳にインプットします。だから覚えるのが早くて、それはありがたいのですが、ちょっと先のことが頭の中でかなり響くのですね。だから先のことが気になって、失敗する。でもやはり成功したいでしょう? 負けたくない、失敗はしたくないでしょう? それなら「今に集中しないと成功しない」と覚えておいてください。
 
 歳を取ると過去に引っ張られるし、若いと将来を気にするという法則があります。これは実年齢と関係なく機能することもあって、50才になっても将来のことばかり言ってる人もいます。結構な歳なのに将来のことばかり気にするのは、失敗者か、性格が未熟か、大人になってないかのどちらかです。歳が若いのに過去ばかり気にする人は、親父くさいといえば可愛いのですが、本当は少々危ない。恨み、憎しみに支配される人間にもなれる。アダルトチルドレンにもなれる。
 
 将来に引っかかる人は、今までの経験にそれほど充実感を感じてないというか、「まだまだだ」と思っているのです。将来のことばかり考えていると、結局は何もできず、達成感なしに終わってしまう。やはり今に集中して、「一丁あがった」という感じで生きていくのが良いのです。「これは終わった、じゃあ次に挑戦するぞ」という生き方で、成功もできるし、達成感も得られます。自分の功績になるのは自分がやり終えた仕事だけ。その仕事をやるのは今しかない。だから「今に集中して生きる」というのが答えなのです。

何もしてないのに、なぜ疲れるのでしょうか。

過去や将来のことを考えて、精神エネルギーを浪費しているのです。「今」という現実世界で生きていない。だから疲れるのです。では、過去や将来のことを考えず、ボウッとしていて疲れる人は?…その人も今の仕事にエネルギーを使っていません。明るく、元気を出して、エネルギーを使って今を生きていると、新しいエネルギーが生まれてきます。今何かをやらなくても、やっても、「今使用するエネルギー」は「今」消える。明日のためにためておくことはできません。「何もしていない」と思っている人は、今のエネルギーは消えていくのに、新しいエネルギーは十分発生しない。だからかなり疲れるし、ストレスもたまる。時間がムダになる上に能力も減る。それで今の一歩を歩くための力がなくなってしまうのです。
 
 例えば山を見て、「こんな高い山、登れるかなぁ…。でも登ってやるぞ!」と頂上に挑戦する人は、登れません。「ただ一歩先に進むだけだ」という人は、一歩一歩進んで、いつの間にか登っています。人生も同じです。皆、山を登ろうとして失敗するのです。「今」に集中すれば、成功もするし、ストレスもたまらないのです。

仕事が多すぎる時もかなりストレスがたまりますが、会社で暇な時も、耐えられないぐらい苦しいんです。暇というのも苦しみの原因の一つですか。暇な時はどうすればいいでしょうか。

「忙しい」「暇」というのは、どちらも俗世間の言葉であって、真理の世界ではその二つとも成り立ちません。意味がないのです。「忙しい」とは「手に負えないくらいの仕事がある」という意味でしょう? 「暇」とは「することはないんだ」ということです。そのどちらも成り立ちません。

成り立たないとはどういうことですか。

まず「忙しい」ということですが、ひとりの人が1秒間にどれくらい仕事ができるかということは、自然法則で決まっています。1人のお客さんに10分かかる仕事をしていて、300人のお客さんが待っていたら、「ああ忙しい、大変だ」と焦る。しかし実際は、何人のお客さんの相手ができるかは、自然に定まっている。1人に10分かかるなら、1時間に6人。ぶっ続けで8時間働いても48人です。落ち着いて、それだけの仕事をやればいいのです。工夫する人は10分かかるのを5分にできますが、それで90人を相手に仕事をしても、その時その時の仕事をこなしていくだけのことで、「忙しい」ということは成り立たない。「忙しい」と感じるのは、余計なことを妄想するからです。「あれもしなくちゃ、ああ、まだこれもある」と思うと、「忙しい、大変だ」とストレスがたまる。「今」に集中して、過去や将来の妄想がなければ、「忙しい」という気持ちは出てきません。
 
 では「暇」とは何ですか? 今の時間に、自分が昨日やっていたことをやっていない。あるいは仕事はあるが、それは今できるものではない。別な時間に、例えば明日やるものです。それなら「今」は暇でしょうね、面白いことに。では、昨日のことも明日のことも忘れたらどうなるでしょうか?「暇」という概念はないでしょう?

「今」に集中するほかに、気をつけることはありますか。

仕事の優先順位ということも大切です。例えば、仕事が三つあるなら、優先順位をつけて、一番大事な仕事から片づける。一番目の仕事だけやって時間がなくなったら、後の二つは自分の仕事ではなかったのです。他の人がやるか、誰もやらないか、それは知ったことではない。優先順位について理解しておかないと、余計なことを妄想して、ストレスがたまって苦しくなります。その苦しみでまたストレスがたまるという悪循環に陥ります。

暇について、もう少し教えて下さい。

「暇」とは、過去の状態と比べて「あの状態が今はない」と妄想する時に出てくる単語です。存在しない仕事を妄想して、それをやりたがっても、存在しないのだからね。「暇」とは、義理で、義務で、他人の命令でやることは今の瞬間にはないということです。「今」やることが何もないという意味ではありません。
 
 人は、どんな瞬間でも、何かしている。「暇」は成り立たないんです。一秒、一秒、「今」を生きていると、暇も退屈もない。「暇」とは「妄想している」という意味です。「忙しい」というのも「妄想している」という意味なんです。正しい生き方は、いつでも一分毎に「いかにこの一分を有効に使うか」と生きることです。それで、充実感があって楽しく生きられます。

休みの時、家でテレビを見ていると空しくなります。

日本では、二日続けて休みがあると、それがまた悩みになってしまうのですね。「何もせずにダラダラ過ごしてしまった」と苦しむ。それも妄想です。あれこれ考えすぎて、暗くなるのです。「今」に生きている人は、ずいぶん仕事も速いし、仕事が終わっても楽しく過ごします。
 
 例えば、私なら、仕事が早く終わったら、「良かった。余分に儲かった時間だから遊ぶぞ」と楽しくゲームをする。あるいは、ちょっと散歩でもしたり、カラスでも見たり、虫を見たりする。それだけですごく楽しいんです。「俺は何でこんなことをして時間を無駄にしているんだ」と悩むことはしません。
 
 過去や将来を妄想している人々は、楽しみを知りません。妄想がなければ、仕事があることも楽しみで、仕事がないことも楽しみです。頭の観念だけで生きている人には、それはできません。
 
 たくさんの人々は、娯楽にお金を払って強引に楽しみを作っている。それは、すごく苦しんでいるということです。高価な絵なんか家になくても、日没の空を眺めれば、誰にも描けない美しい光景が広がっています。こころの持ち方で、簡単に楽しく生きていけるのです。一秒単位で楽しみがないなら、楽しみなんか見つかりっこはない。何か派手なことをして楽しかったというのは、ただ興奮しただけ。それは体に悪いんです。こころにも悪いんです。
 
 瞬間瞬間穏やかに気分良く生きるのが、本当の楽しみです。そういう人は、派手ではないが、いつでも微妙に明るいのです。寝る時も微笑みで寝て、目覚める時も微笑みで目が覚める。一日中、微笑みがあって生きている。それだけ。それが楽しい生き方です。その人は、今何をすればいいかと具体的に見るだけであって、「あれがやりたい、これがやりたい」という妄想はしません。
 
 充実感をもって生きるというのは、そんな大胆なことではありません。時間があったら、掃除でもしたり、新しい料理に挑戦したり、何かプラスになることをしようとするだけで、ポジティブに生きられるのです。人は、「こうあるべき」ということを勝手に決めて、その通りに生きられないとイライラするのです。例えば、私が「人々に毎日仏教を教えてあげないといけない」と思ったら大変だと思います。でも私には別にそんな義務感もないし、ただ法話の時間だからしゃべろうというだけのことで、ずっとリラックス状態でいます。
 
 人々は世間のいろんな概念を頭に叩き込んで、「こうあるべき」と、妄想で苦しんでいます。「こうするべき」と決めたら、死にそうに苦しい。それは自分が作った計画のせいです。「子育てこそ私の人生だ」と決めたら、ひどい目に遭います。たまたま子供が現れたんだから大きくなるまで面倒見るだけだという感じでいれば、ストレスはたまりません。
 
 お釈迦さまは、堂々と、苦しみをなくすことを説かれています。苦しみが生まれつきついているものであれば、なくすことはできません。俗世間の苦をなくすことができるのは、俗世間の苦は自作自演だからです。(真理としての苦は、解脱することでなくなります)
 
 そういうことで、人間には瞬間瞬間やる仕事がありますので、瞬間瞬間の楽しみを発見していってください。その生き方で、無量に無制限な喜悦感、素晴らしい自由というものが味わえるのです。