あなたとの対話(Q&A)

階級について

非常に閉鎖的で階級に厳しい世界に生きています。
今どき、と思われるかもしれませんが、生まれや「出」ということが言われ、まったく普通の家庭に生まれ育った私は非常に苦労しています。
若いうちは目立たなかったのですが、だんだん年齢があがり、責任のある仕事を任されるようになってくると、そういったことをとやかく言う人が増えてきました。
身分や生まれで人を差別するのは馬鹿なこと、と思ってはいますが、そういう世界で育った人たちに言っても無駄ですし、また実際、普通の家庭育ちでは知りえないしきたりや習慣もあり、引け目を感じることも多々あります。
かといってその世界を改革する力など毛頭なく、そこから出て新しい仕事を探すわけにもいかず、悩んでいます。
本当は人間が作った階級性に人間が苦しめられるなんて、ばかげているとは思うのですが・・・ただ、その階級があるがために、守られているものも、確かにあるのです。
インドはカースト制の社会でしたが・・・低いほうの階級に生まれた人はどうやって人生に対処していったのでしょう。非常に現世的なことですが、アドバイスをいただけると幸いです。

Sutta Nipātaという経典の中でVasala suttaと言う経があります。NO.7です。(Vasala-不可触-outcasteの意味)読んでみて下さい。中村元教授の「仏陀の言葉」は翻訳でしょう。自信はない。この協会の会員でもあり先生の役もなさっている正田大観さんの訳もあります。http://j-theravada.com/sakhi/suttanipata.html#1-7
階級制度を認めたり、批判したり、悩んだり、またお世話になったりしては、全然だめです。解決できない。
昔も今も、人はどんな概念、どんな差別思考をもっていても、世界は実用主義なのです。行いで全てを決める。最高階級に生まれても能力がなかったら、非道徳的であったらどうする? 犯罪をしたら? 人の役に立つように、人に批判されないように生きてみるしかないのです。
又、社会的にお偉い立場でいる方々に適切な敬意をもって接することも、文化人のいきかただから、先生と呼ばれている人を「先生」で、「陛下・閣下」と呼ばれている人々はそのその名前で呼ぶのは常識でしょうし、それなりに決まっている決まりをまもることも常識でしょう。困ることはありません。自分の身分がそれによって低くなることもありません。
自分の身分は低いと悲観的に見ること自体が問題で、とんでもないことです。自慢げに、胸を張って言ってください、私は●●家だと。自分を貶す相手がいるならば、相手に対して「あなたの高貴な家に泥を塗らないで欲しい」と言ってあげたら。

追加:
Sutta NipātaのChap.3(Mahā vagga)のsutta No.9; Vasettha suttaも読んで頂きたいのです。偈no.599-661です。
差別思考に対して仏陀の答えです。

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