ジャータカ物語

No.35(『ヴィパッサナー通信』2002年11号)

食べ過ぎたオウムの話

Suka jātaka(No.255) 

アルボムッレ・スマナサーラ長老

この物語は、釈尊がジェータ林におられたとき、あまりにたくさん食べ過ぎて、消化不良を起こし、そのために死んだ比丘について語られたものです。

彼がこのようにして死んだとき、講堂において比丘たちが彼の不徳について話し始めました。「友よ、ある比丘は自分のお腹に収まる分量を知らず、あまりに多く食べ過ぎて、消化できずに死んだのです。」そこへお釈迦さまがおいでになってお尋ねになりました。

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その昔バーラーナシーにおいてブラフマダッタ王が国を統治していたとき、菩薩はヒマラヤ地方のオウムの胎内に宿りました

彼は、ヒマラヤの山腹から海までに住む幾千のオウムの王となりました。彼には一人の息子がありました。その息子が力強くなったときには、菩薩の目は既に弱っていました。オウムは高速で飛ぶものです。それゆえにオウムが歳をとると、まず最初に目が弱くなると言い伝えられています。菩薩の息子は、父母を巣のなかに置いて、餌を運んできて養いました。

ある日のこと、彼が自分の縄張りに行って、山の頂上に立ち、遠くの海を眺めていると、一つの島を見つけました。そこには黄金色の甘い果実のなるマンゴーの林がありました。彼は翌日餌を採りに出かけるとき、(自分の縄張りを越えて)飛んで行ってそのマンゴー林に降り、マンゴー汁を飲んでからマンゴーの実を採って帰り、父母に与えました。菩薩は食べながら味を見分けました。

「おまえ、これは某島にあるマンゴーの実ではないか」と尋ねました。「そうです、お父さん」との答えに、「おまえ、あの島へ行くオウムは生命をながく保つことができません。二度とあの島へは行ってはいけないよ」と父は言いました。しかし息子は父の言葉に従わないで、行ってしまいました。

そんなある日、たくさんのマンゴー汁を飲んでから、父母のためにマンゴーの実を持って、海の上を越えて帰る途中、あまりに飽食したために、また長距離の運搬だったので身体が疲れ、眠気に襲われました。居眠りしながら飛んでいたので、せっかく持って来たマンゴーの実をくちばしから落してしまいました。彼は徐々に帰路をはずれて高度を落としてしまい、水面上にいたって遂に水の中に落ちました。そのとき彼を一匹の魚が捕らえて食べてしまいました。

菩薩は、彼が帰巣時間になっても戻って来ないので、「海に落ちて死んでしまったのだ」と悟りました。そして彼の父母は食物が得られないので、飢え死にしてしまいました。

お釈迦さまは以上のような過去のことを話されてから、悟りをひらいた人として、つぎの詩句を唱えられました。

飲食に関して
節度を守っているあいだは
その鳥は生き長らえ
父母も養っていた
しかし
余分に食物を摂ることに陥った彼は
徐々に高度を落とし
海に沈んだ
まさにそれは
適量知らずの定めである
ゆえに
適量を知ることは善い
食物を貪らないことは善い
適量を知らない者は沈み
適量を知るものは沈まない

お釈迦さまは、これらの話を語られて真理を説き明かされ、過去を現在にあてはめられました。(真理の説法が終わったとき多くの人々が、預流果の悟りに達した者、一来果の悟りに達した者、不還果の悟りに達した者、阿羅漢果の悟りに達した者となりました。)
「そのときのオウムの息子は食べ物の適量を知らない比丘であり、オウムの王は実にわたくしであった」と。

スマナサーラ長老のコメント

この物語の教訓

鳥たちにも動物たちにも、自分の餌をとるための縄張りがあります。その縄張りの範囲内で生活するならば、無事長生きすることができるのです。もしも余計な欲を出して縄張りを越えると、予測できない不幸に遭遇することは避けられません。ほとんどの動物たちは自分の縄張りを越えようとはしないのです。もし縄張りを越えてしまって死の危険にさらされたならば、それは適度を越えた欲か、無知のせいなのです。

人間にも幸福に人生をまっとうできるような縄張りがあるのです。しかし、人間にも縄張りがあることに気づく人はほとんどいません。動物の縄張りは地理的なものですが、人間の縄張りは地理的なものというよりも、精神的なものなのです。

やるべきこととやってはいけないこと、両方にリミットがあります。お金を稼ぐこと、楽しむことなどには、リミットがあるのです。無駄使いはやってはいけないことです。しかし、ケチになるほどであってはいけないのです。無駄話はいけないが、極端に寡黙になってしまうほど会話を慎む必要はありません。必要なことを必要なとき喋るように、リミットを守ればよいのです。強いて言うならば、人間にとっての「縄張り」とは、「道徳」を守った生活の範囲になるのです。道徳という縄張りを破れば、どんな不幸に遇うか分かったものではありません。このエピソードで語っている食事の節度を守ることも、仏教の大事な道徳の一つです。