ジャータカ物語

No.72(2005年12月号)

説教嫌いの猿の話

Kuṭidūsaka jātaka(No.321) 

アルボムッレ・スマナサーラ長老

これはシャカムニブッダがコーサラ国の祇園精舎におられた時のお話です。

その頃、ブッダの十大弟子の一人であるマハーカッサパ尊者は、マガダ国の王舎城近郊の森の中にある庵に住んでおられました。マハーカッサパ長老には二人の沙弥(見習い僧)がおり、一人は働き者で、もう一人は怠け者でした。怠け者の沙弥は、いつも働き者の沙弥の仕事を自分の仕事のように見せかけようとしました。働き者の沙弥が洗面の水を汲んでおくと、怠け者の沙弥は長老のところに行って礼拝し、「先生、洗面の水が用意できました。顔をお洗いください」と言います。働き者の沙弥が長老の留守の間に部屋の掃除をすると、怠け者の沙弥は、長老が戻られる頃にほうきやはたきを持って、いかにも自分が掃除をしたように見せかけました。

働き者の沙弥は、「この怠け者は私の仕事を自分の事のように見せている。彼の見せかけをあばいてやろう」と考えました。そして、怠け者の沙弥が食後の昼寝をしている間にいつものように沐浴のための湯を沸かし、湯釜にわずかなお湯だけを残して残りのお湯は桶に入れて外に出しておいたのです。昼寝から目覚めた怠け者の沙弥は、湯釜から湯気が上がっているのを見てお湯の用意ができたと思い込み、「先生、お湯の用意ができましたので、どうぞお使い下さい」と長老に言いに行きました。長老が浴場に来ると、お湯がありません。「お湯はどこにあるのか」とたずねたところ、怠け者の沙弥が来て、慌てて空の湯釜にひしゃくを落としてしまい、「カラン!」という音を響かせました。それ以後、怠け者の沙弥は「カラン」とよばれるようになりました。

働き者の沙弥が湯を運んできて無事に沐浴を終えた長老は、夕方になって長老のところに挨拶に来たカランに、「沙門は自分がしたことだけを自分がしたと言わねばならない。でないとウソをつく人間になる。これからは人の仕事を自分がしたように見せてはいけない」と諭しました。

カランは長老に諭されたことを逆恨みし、翌日の托鉢は一緒に行かず、一人で長老を尊敬している信者さんの家に行き、「長老は具合が悪くて来られませんでした」とウソをつきました。家の者が心配して「何か長老様に差し上げるものはないでしょうか」と訊くと、「これとこれを下さい」と自分の好物を頼み、庵に持ち帰るふりをして、帰る途中に食べてしまいました。

次の日、マハーカッサパ長老はその信者さんの家に行かれました。家の者は長老に食事のお布施を差し上げて、「長老様、昨日は庵で休んでおられるとお聞きして、ご入り用のものを持って帰っていただきましたが、お体の調子はいかがでしょうか」とお訊きしました。長老は黙って食事を召し上がり、庵に戻られました。

夕方、カランが長老に挨拶に来ると、長老は「カラン、おまえは私の具合が悪いと言って信者の家で食事をねだり、それを食べたであろう。ねだるというのは、決してしてはならないことだ。食事をねだることなど二度としてはならない」と厳しく戒めました。カランは、「長老は、先日も入浴のお湯くらいのことで私を叱りつけ、今日も、私が信者の家でちょっと食事をもらって食べたと言って、こんなにも怒る。よし、どうするか覚えていろ」とひどく恨みをいだきました。翌日、カランは托鉢に行かず、誰もいない部屋の中を棒を振り回して暴れ、庵に放火して逃げました。

カランは、その後、人間のままで餓鬼道に落ちて悲惨な状態になり、死んで無間地獄に生まれました。怠け者の沙弥の不祥事は、多くの人の知るところとなりました。

ある時、マガダ国の王舎城の比丘たちが、コーサラ国の舎衛城の祇園精舎を訪れました。舎衛城に着いた比丘たちは、まず衣鉢を置いてから、ブッダのところに行って礼拝し、ご挨拶をしてから傍らに坐りました。釈尊は「比丘たちよ、どちらから来たのか」とお訊きになりました。「世尊、王舎城から参りました」「誰の教えを受けているのか」「マハーカッサパ長老です」「カッサパは元気にしているか」「はい、世尊、長老はお元気です。けれども長老と一緒にいた沙弥が、長老に説教されて逆恨みし、長老の庵に放火して逃げました」。これを聞かれた釈尊は、「カッサパは、そういう愚か者と一緒にいるよりも、一人でいる方が良いであろう」と言われ、次の詩を唱えられました。

   自分より、優れた人か
   同等の者がいなければ
   断固一人で歩むべし
   愚か者と行くことなしに(ダンマパダ61偈)

そして、「かの沙弥が説教されて怒ったことは、過去にもあった」と言われ、皆に請われるままに過去の話を話されました。

昔々、バーラーナシーでブラフマダッタ王が国を治めていた頃、菩薩はシンギラ鳥(角のある鳥)に生まれ、雨の入らない巣を作り、ヒマラヤに住んでいました。雨期になって雨が降りしきるある日、一匹の猿が寒さに身体を震わせて、菩薩の巣に入ろうとしました。菩薩は猿の様子を見て、詩を唱えました。

人のごとき手足もち、
なぜに住処をつくらぬか

猿も詩で答えました。

シンギラ鳥よ、手足は人に似たれども、
肝心要の智慧がない

菩薩は再び詩を唱えました。

落ち着かず、動き回って、害意あり、
不品行な者に、安楽はない
ゆえに手だてを講ずべし
正しい行いへと至れ
寒さと雨を防ぐ住処をつくれ、猿よ

猿は「この鳥は、自分が雨のかからない巣を作っていると思って私をバカにしている。このままではおかないぞ」と怒り、鳥に飛びかかろうとしました。菩薩である鳥が飛び立つと、猿は鳥の巣をメチャクチャに壊したあげく、どこかへ行ってしまいました。

お釈迦様は「猿はマハーカッサパの精舎を焼いた沙弥であり、角のある鳥は私であった」と言われ、過去の話を終えられました。

スマナサーラ長老のコメント

この物語の教訓

人間は色々です。育ちやすい人も、育ちにくい人もいます。また、いくら躾されても性格が全然変わらない人もいます。それで、四つのタイプの性格があると言えるのです。

①他人の躾がなくても自分で考えて育つ人
②他人の少々の躾の導きで育つ人
③他人の躾によってのみ育つ人
④他人の躾にも全く反応しないし自分でも考えたりしないので、育たない人

自分自身の理解のみで立派な人間になるということは、とても珍しいことです。ほとんどの人々には他人からの躾や導きが必要なのです。そこで出てくる問題は、我々が人の躾、導きに、どのように反応するかということです。反応の仕方によってもタイプを四つに分けられます。

➊相手が言う前に理解する人
❷簡単に言えばわかる人
❸明確に説明してあげて説得すればわかる人
❹導きは逆さまに理解する人(誤解する人)

これら二種類の四タイプの、四番目に当たる人々は、全然成長しない人です。

他人の教え、躾、導きを素直に聞いて理解する性格は、とても有り難いのです。その人の人格向上を邪魔することは誰にもできません。その性格は、仏教用語でsuvacaというのです。vacaはvacanīyaの略で、「言いやすい」という意味です。性格が明るくて、間違いなどを示しても素直に受け止める人です。カッとなったり、逆恨みしたりしない人間なのです。人の話を聞かない、逆恨みを持つ、怒りと不満を表す人は、仏教用語でdubbacaです。vacaがbacaになっていますが、日本語と同じくパーリ語でもvとbは簡単に交換できるのです。

マハーカッサパ尊者のエピソードで出てくる悪弟子は、現代社会にもいないとは言えないのです。他人がやった良いことを全部自分がやったように見せかけたり、人を騙して人の業績を奪って出世する人は、少なくないのです。これは非道徳的な行為です。資格のない人々が出世すると、社会全体にも良い結果をもたらさないのです。

マハーカッサパ尊者は、道徳的にとても厳しい方だったのです。僅かな間違いでも、厳しく叱るのです。釈尊の従者であったアーナンダ尊者の師匠でもありました。毎日釈尊の側にいて、説法を聞いて覚えていたアーナンダ尊者なのに、マハーカッサパ尊者は、会う度に、「だらしない」と叱っていたのです。アーナンダ尊者はだらしない方ではなかったのです。しかし、自分の役職上、様々な人間に会って話さなくてはいけなかったのです。釈尊に会いたがる人々は、先にアーナンダ尊者に接見しなくてはならなかったのです。マハーカッサパ尊者に「だらしない」と見えたのは、誰とでも簡単に話すアーナンダ尊者の性格でした。マハーカッサパ尊者は、自分の弟子のことを慈しみ深く心配していたのです。アーナンダ尊者も師匠をどれほど尊敬していたかというと、夜お休みになるとき、いつも枕をマハーカッサパ尊者が住んでいる方向に向けて横になったほどです。マハーカッサパ尊者の悪弟子のエピソードと、鳥と猿のエピソードの教訓は、dubbacaの人を躾するのはとても危険ということです。