ジャータカ物語

No.105(2008年9月号)

チュッラボーディ物語

Cullabodhi jātaka(No.443) 

アルボムッレ・スマナサーラ長老

これは、シャカムニブッダが祇園精舎におられた時に語られたお話です。

昔々、バーラーナシーでブラフマダッタ王が国を治めていた頃、菩薩は梵天界から降りてカーシー国の大富豪のバラモンの家で生まれ、チュッラボーディと名づけられました。青年となった菩薩がタッカシラーで学業を終了して戻ると、両親は、清らかな生活を望み結婚などしたくないという菩薩の願いは聞かずに、すぐに天女のように美しい良家の娘を嫁に迎えました。ところが実は、その娘も菩薩と同じく梵天界から人間界に降りてきた娘で欲がほとんどなかったのです。気の合った二人は結婚しても清らかで欲のない生活をおくっていました。

菩薩たちが結婚してしばらく経つと、両親が亡くなりました。両親の葬式を済ませた菩薩は出家することを決め、妻に、これからは両親の残した莫大な財産を自由に使ってひとりで幸福に暮らしてほしいと告げました。「あなたはどうするのですか?」「私は出家してヒマラヤで修行生活に入る」「出家生活は男性にのみできるのでしょうか?」「いや、それは女にも可能だろう」「では私はあなたの吐き出した痰を受け取るようなことはしません。私も出家します」「よいだろう」。そこで二人は両親が残した莫大な財産をすべてお布施してヒマラヤに入り、果実や木の実を食べながら修行生活を始めました。彼らは、なかなか禅定は得られなかったものの、清らかな出家生活に満足して暮らし、そのまま十年が経ちました。

ある時、二人が生活に必要な塩などを手に入れようと里に下りて王の御苑に泊まっていると、たまたま御苑に遊びに来た王が端正に坐っている美しい修行尼を見てたいへん心を惹かれ、強い愛着心に囚われてしまいました。王は煩悩に支配されつつ、菩薩に「行者よ、この修行尼は汝とどういう関係なのか?」と尋ねました。菩薩は「大王よ、我々は共に出家して修行しておりますが、特に何の関係もありません。ただ、出家する以前、彼女は私の妻でした」と答えました。王は「彼は、この女は在家の時には妻であったが、今は何の関係もないと言う。では、この美しい女は余が城に連れて行くことにしよう。しかし、彼女を連れ去ったなら、たとえ出家者といえども、この男はひどく怒ることだろう」と思い、詩句を唱えました。

美しい瞳、愛らしき 優しく微笑むこの女
力づくで連れ去らば 何とするか、バラモンよ

菩薩も詩句で、力強く獅子吼しました。

われに起きたとて表わさず 命ある限り表わさず
豪雨が埃を静めるごとく 即座に滅すべきなり

修行尼の美しさに目がくらんだ王は、菩薩の言葉を深く吟味することもなく、「この女を城に連れて行け」と大臣に命じました。大臣は嫌がる修行尼を無理やりに捕まえました。彼女の悲鳴を聞いた菩薩は、一瞬彼女の方を見ましたが、すぐにもとの姿勢に戻り、再びそちらに目を向けることはありませんでした。嘆き悲しむ彼女は王宮に連れ去られました。

城に戻った王は修行尼を丁寧な態度で扱い、高い地位や高価な品物を与えようとしました。しかし彼女は、世俗の名誉や財産の無益を説き、出家の利益を語るばかりでした。王は彼女を部屋に閉じこめさせ、「あの修行尼は何も欲しがらぬ。出家にはたくさんの魔術があるという。彼女の気持ちを変えることは難しいだろう」などと考えていましたが、「ところであの行者は、『怒りなど起こってもすぐに滅し去る』などと言っていたが、ことが起こると怒って女の様子を見ようともしなかった。修行者たちは、こころの中で何をたくらんでいても、見事に隠すものだ。もしかすると私に不幸が降りかかるようなことをしかねない。あの者は今、いったいどうしているのだろう」という思いが起こり、菩薩の様子が知りたくてたまらなくなりました。王は、再び御苑へ菩薩を見に行くことにしました。

数人の従者を引き連れた王は、足音も立てずに菩薩のところに近寄って立ちました。それに気付かなかった菩薩は、もとのところで坐って衣を縫っていました。王は、「この者は、『怒りなどは生じない、もし生じても、そんなものはすぐに抑制するのだ』と言っていたのに、今は怒りで頑固に沈黙している」と菩薩をあなどって、詩句を唱えました。

先に豪語せし、その者が 
怒りの力に身をゆだね
今は黙してかたくなに 
衣縫わんと坐しにけり 

菩薩は、「王は私を誤解しているらしい。私が憤怒の力に支配されてないという事実を述べよう」と詩句を唱えました。

われに起きたが表わさず 命ある限り表わさず
豪雨が埃を静めるごとく 即座に滅すべきなり

それを聞いた王は、「はて、彼は憤怒について述べているのだろうか、あるいは何か他のことについて述べているのであろうか?」と疑問に思い、再び詩句を唱えました。

何を、起きたが表わさぬのか 何を、命ある限り表わさぬのか
豪雨が埃を静めるごとく 汝は何を滅するか

菩薩は「大王よ、憤怒は多くの危難をもたらし、人を破滅させます。私は怒りが起これば、それを慈悲によって鎮めるのです」と、憤怒の危難を説く詩句を唱えました。

起こらば見ず、自他の利を 起こらずば見る、自他の利を
われに起きたが滅すべし 憤怒ぞ無知の糧となる

それが起こらば喜ぶは わが災禍を願う敵のみぞ
われに起きたが滅すべし 憤怒ぞ無知の糧となる

それが起こらば誰にても 自己の善をば忘れ去る
われに起きたが滅すべし 憤怒ぞ無知の糧となる

打ち克たざれば幸を捨て 大利もついに逃すなり
憤怒は暴虐な破壊者ぞ 大王よ、われは憤怒を滅すなり

乾ける薪を摩擦せば 火はあかあかと起こるなり
かの火はそこより生まれ出て まさにその木を燃やすなり

愚かで道理の見えぬ者 かく無知なる人間は
争いて憤怒を生じさせ 怒りで己を燃やすなり

枯れ草を燃やす火のごとく 怒りを燃やす、その人は
闇に欠けゆく月のごとく 誉れをなくし、うち沈む

薪の尽きた火のごとく 怒りを消したその人は
天空に昇る月がごとく 誉れが照らす、煌々と

菩薩の説く法を聞き、彼に怒りがないことに気づいた王は心を打たれ、大臣に命じて修行尼を連れて来させました。そして、「師よ、怒りなき方よ、あなた方はこの庭園で出家の楽を享受してください。余は、あなた方を法に適って庇護しよう」と言って、これまでの乱暴狼藉の赦しを乞い、敬礼して去りました。それから二人はそこで暮らしましたが、その後、修行尼は亡くなりました。菩薩は一人でヒマラヤに戻り、神通力と禅定を得て、死後は梵天界に生まれました。

お釈迦さまは、「その時の修行尼はラーフラの母であり、怒りなき行者は私であった」と言われ、話を終えられました。

スマナサーラ長老のコメント

この物語の教訓

お釈迦様の時代に、たいへん怒りっぽい比丘がいました。少々のことでも激怒して、いったん怒ったらなかなか冷めなかったのです。出家が四六時中怒りっぱなしでいるということは、出家しても何の修行にもならないということです。表面的に戒律を厳しく守っていても、こころの中は怒りで燃えているのです。その比丘が出家した目的から遠ざかっているのを見て、お釈迦様がこのジャータカ物語を説かれたのです。

物語に登場したのは、長い間とても仲良く一緒に生活していた、また性格的な相性も完璧だった菩薩とその妻でした。出家しても二人はお互いに協力して修行していたのです。塩を求めて町に入ったところで、国王に修行尼を強引に連れて行かれてしまった。一心同体のような人を奪われるなんて、普通の人なら我慢できる出来事ではありません。完全に怒りに狂うべき場面に出遭ったからこそ、菩薩は、「怒らない」という修行をするためにはいまがチャンスだと思ったのです。菩薩とは、そういうものです。悪い条件に置かれても、条件に文句を言ったり、言いわけをしたりしない。むしろ悪条件を人格向上のために見事に使うのです。

「怒らないこと」の実践は、怒るべき場面で行うものです。「みなが仲良くしてくれるから自分も決して怒らないのだ」と言っても、何の洒落にもなりません。物が溢れている時に他人に分けてあげても、無欲と言えないのです。物が欠乏している時こそ、布施の修行をするのです。人格を向上するためのチャンスを逃してはならないということを仏教は強調しています。

このジャータカ物語で、「怒ることは愚か者の管轄だ」というニュアンスの戒めを覚えておきましょう。また、木と木を擦り合わせて火を起こすと起きた火はその木を燃やすように、対象にぶつかって我々のこころに怒りの火が起きると、その火は我々の幸福な人生も理性も燃やしてしまうのです。