智慧の扉

2014年5月号

自己と戦うファイター

アルボムッレ・スマナサーラ長老

 世の中には、様々な「戦い・競争」があります。戦争の場合は人間同士が敵味方に分かれて殺しあいますが、暴力を用いない競争の場合も、ライバルを倒さなければならない。お釈迦様は、人間だけでなく他の生命を見ても、何らかの戦いをして生きていると発見されました。これは生きる上で基本的なことで、誰も「戦い」から逃げられません。戦いに勝てば敵・恨みが増え、負ければ悔しさに沈む。結局、勝者も敗者も苦しむのが人生です。ですが、人生を競争なしに生きられるかというと、それも成り立ちません。

 そこで、お釈迦様は「百万人に勝つよりも、自己に勝ちなさい。その人は最上の勝利者である」と仰いました。競争をやめることは成り立たない。しかし、他者と競争したら酷い目に遭う。ならば、挑戦するに値する最高の競争をするがよい。それが自己と戦う道だと説かれたのです。この戦いの敵は、自分自身です。我々には無始なる過去から無明と渇愛に培われた「本性」という性格があります。お釈迦様は、その「本性」と戦うことを推薦されたのです。

 では、誰が「本性」と戦うのでしょうか? 自己と戦うための新たな自己、新たなファイターが必要です。仏道とは、「本性」と戦うための新たな自己をつくる道なのです。ファイターの別名は「理性」です。理性というファイターが心に根づいた状態を、仏教では「信が確立した」と言います。決して、信仰のことではありません。

 この理性を作るために、仏道ではあえて渇愛を梯子として使います。「バカよりも利口な方がいいでしょう? 嘘つきはだらしないでしょう? だったら嘘をつかないように、酒を飲まないように頑張りましょう。優しい人間になるように慈悲の冥想を頑張りましょう。それで幸せになれます。人間関係が円満になります」という具合に、渇愛を刺激するとやる気になります。そうやって、少しずつファイター(理性)を根づかせるのです。そして、無明と渇愛という「本性」と戦わせるのです。「本性」と戦って、跡形もなく壊した人のことを、「最勝者」と呼びます。生命にとって、これ以上の勝利・自由はないのです。