折々の法話

仏教から見る女性

 

K. スリダンマーナンダ長老 訳:出村佳子

◆ 差 別 ◆
 
 女性差別は、どの社会にでも見られる共通の特徴といえるでしょう。女性たちが直面し、克服しなければならないさまざまな不公平や障害は、アフリカ、アメリカ、アジア、ヨーロッパを問わず、どの国でもほぼ同じであると思われます。
 
 世界のいたるところで、女性にたいして、『無権利』という異常なレッテルが貼られています。これは、もとをたどれば宗教家たちの偏見から始まっているのです。つまり、宗教が女性から権利を奪ったということです。世界にあるほとんどすべての宗教が、『女は男を誘惑するもの』と考えて、女性を警戒するようになったのです。
 
 たとえば、ある宗教神話の中で、男性は『神の息子』とされていますが、女性が『神の娘』として出てくることはありません。
 
 また、魂を信奉する人々の中には、『男性だけに魂が存在し、女性には存在しない』と考える人がいます。『女性にも魂がある』という人でも、その魂は、死んだ後、天国に行くことはできないと信じていました。
 
 このような奇異な考えをもった宗教が、いくつかの社会でみられました。
 
 さらに、女性はこの世における一切の罪のもとであるとみなされ、現世および来世で、男性にふりかかる不幸の責任を女性に負わせてきたのです。
 
 『女性は救われない』という信仰もありました。女性が救済されるには、まず男性の肉体に生まれ変わらなければならないというのです。
 
 女性に宗教書を読むことを禁じた狂信的なカルト宗教もいくつかありました。もしそれに逆らえば、舌を切りとるという罰が与えられました。また、礼拝所に立ち入ることも禁止されました。宗教の活動は断じて許されず、女性が参加できるのは、家庭内での儀礼にかぎられてしまったのです。
 
 このようにして宗教が、女性の道徳的、精神的な向上を妨げてきたのです。現在、多くの壁は取り除かれています。しかし程度の差こそあれ、今でもなお、世界の一部の国々で、こうしたことが横行しています。
 
 このような妨害的で偏屈な宗教とは対照的に、仏教は、女性への差別的な見方はまったくないと、はっきり断言できます。
 
 宗教の世界で、女性にも精神を向上できるように、平等で自由な機会を与えた最初の指導者といえば、ブッダです。これには何の疑いもありません。
 
 ブッダは、女性が生まれながらに持つ性質や、弱さをいくつか指摘されました。しかしその才能や可能性に関しては、男性と同等であることを認めていました。
 
 そして、女性にも満たされた宗教生活が送れるように、道を切り開かれたのです。これによって、女性も男性と同じように心を育て、清らかにし、究極の平安である涅槃に到達することができました。
 
 当時の尼僧たちの告白が、この事実を詳細に伝えています。
 
 女性たちが生き生きと宗教活動に専心できるように、ブッダはその扉を開かれました。比丘尼サンガ(尼僧の集団)を設立し、女性が出家することを許可したのです。
 
 比丘尼サンガ ─ それは女性にとって、心の修行をし、社会に貢献するための、まったく新しい生き方のはじまりでした。
 
 これによって女性の重要性が社会で認識され、その地位は大きく高まったのです。

◆ 女性の社会的地位 ◆
 
 仏教が始まる以前の社会では、女性はどのような地位におかれていたのでしょうか。これは、ヴェーダ文献のなかでも最も古い『リグ・ヴェーダ』までさかのぼって調べることができます。このリグ・ヴェーダには、女性は家庭において尊ばれ、宗教面でも、神や梵天という崇高な智慧に到達していたと記されています。
 
 しかしこのような女性に対する公平な見方は、時の流れとともに変化していきました。カースト制度の影響です。動物のいけにえなど多種多様な儀式儀礼が重要視され、司祭者階級たるバラモン階層に社会は支配されてしまったのです。聖典が新たに書き直されました。身体的にも精神的にも女性は男性よりはるかに劣ると考えられるようになったのです。
 
女性は軽蔑され、単なる所有物やモノとして扱われるようになりました。家庭に隔離され、夫の好き勝手にされていました。朝から晩まで家事に縛られ、そのうえ大家族を支えなければならなかったのです。また結婚して妻といっしょに暮らしているにもかかわらず、女性がつくる食事は不浄であり食べるにはふさわしくないとみなすバラモン人もいました。「女性は罪なるもの」と考えられ、その害から免れる唯一の方法が休むことなく子供を産み育て、家事に従事すること、という迷信がつくりあげられたのです。
 
もし結婚した第一夫人に男の子を産むことができなければ、第二番目か第三番目に降ろされます。あるいは家から追い出されることもありました。一族の血の純潔を守り、先祖供養を執り行うことは、息子だけにしかできないという伝統がありました。先祖供養は、死んだ父や祖父に幸福をもたらすために絶対欠かしてはならない儀式でした。もし供養をしなければ、死んだ先祖たちが幽霊となって家族を苦しめるであろうと考えられていたのです。
 
結婚した女性の生活はまったく不安定でした。未婚の女性の場合は、状態はさらにひどかったのです。結婚は神聖な儀式であるとみなされていたので、結婚しない女性たちは社会からひどく非難を受け軽蔑されたのです。
このように、かつて宗教の世界で女性が得ていた高い地位は貶められました。「女性は天国に行くことができない」と考えられ、礼拝することも禁止されました。天国へ行けるたった一つの道が、どんなに行状の悪い夫でも無条件で夫に服従すること、と信じられるようになったのです。妻は夫の食べ残したものを食べて生きていました。
 
 女性に対する激しい差別がインドの社会全体に広がっている最中、ブッダが現れました。ブッダは生と死の真理である因果法則と輪廻転生を説かれました。この教えによって、当時の人々が抱いていた女性に対する偏見的な態度が大きく変わったのです。
 
 因果法則とは「生命は自分自身の行為と、その結果に責任を負う」という教えです。たとえ息子や孫息子が先祖供養を行っても、それによって父や祖父が幸福になることはありません。それぞれが自分自身の行為の報いを受けるのですから。
 
 この智慧の教えによって、多くの人々は自分の誤った見解を正すことができました。当然、先祖供養を行うための息子を産めなかった女性たちの不安も軽減したのでした。

ブッダの時代の初期のころ、悪い行為をせず喜んで両親と弟や妹たちの面倒をみることに従事していた、ある未婚の娘がいました。彼女は巨大な財産家、奴隷の主人、豊かな土地の所有者になれるほど裕福でした。それは金細工師の娘、スバ(Subha)のことです。
 
 けれどもマハーパジャーパティー(Mahâpajâpatî)が真理を教えられたとき、スバはどんな快楽も一瞬で消え去ってゆくという性質を知り、また「銀や金が心のやすらぎや悟りに導いてくれることはない」ということをはっきり理解しました。そして出家して比丘尼サンガに入ったのです。このスバの出家は未婚の女性たちに大きな恩恵をもたらしました。
 
ブッダの教えは、多くの人々の心から、数々の迷信や無意味な儀式儀礼(動物のいけにえなど)の執行を一掃するのに大いに役立ちました。宇宙を支配している「生・死の真理」と「現象の本質」が明らかにされ、人々に智慧と理解が現れたのです。この智慧と理解によって、当時、社会にはびこっていた女性に対する激しい不公平や偏見が阻止され、正されました。こうして女性たちは自分の人生を自らの力で導くことができるようになったのです。

◆ 男性と女性は異なる存在 ◆
 ブッダは女性の地位を向上させたにもかかわらず、男性と女性のあいだには社会的、生理的な相違があることを理解され、それぞれが日常生活のなかで実践すべきことを教えられました。これは増支部経典(Anguttara Nikâya)と相応部経典(SamyuttaNikâya)に明確に述べられています。
 
 男性の義務は、たゆまず知識の探究をすること、技術や技能を上達させ身につけること、仕事に専念し、家族を養い支えるのに必要な収入を得る能力を持つことです。
 他方、女性の義務は家庭を管理し、夫の面倒をみることです。
 
 増支部経典(Anguttara Nikâya)には、ブッダが結婚前の若い娘たちに与えた貴重な忠告も記されています。
 新しい姻戚といっしょに生活する際に、苦労が伴うことをよく理解しておくこと。義理の母と義理の父を心から尊敬し、自分の両親と同じように愛情をもって尽くすこと。夫の親類と友人たちを尊敬、尊重すること。このようにして新しい家庭に溶け込み、幸せな雰囲気をつくるように言われました。
 さらに夫の性格を観察して理解し、行動や特徴、気質も知っておくこと。新しい家庭のなかでいつでも役に立つように協力すること。召使いに対しては礼儀正しく、親切に、そして用心深く接すること。夫の収入を守り、家庭の出費はすべて適切に調整して管理すべきである、と教えられました。
 これらは2500年以上も前にブッダが与えた助言ですが、歳月を経た今日でも変わらず有効です。
 
 それから女性が生きるうえで経験しなければならない苦難や不利な点も明確に示されています。女性は他の家に嫁ぐとき、自分の家族から離れるという精神的、肉体的苦痛を受けます。また新しい環境に順応しようとする際には、さまざまな困難や問題に遭遇しなければなりません。このような試練や苦難に耐えなければならないのです。
 加えて月経、妊娠、出産の期間中、生理的な痛みや苦しみを受け忍びます。これらは女性の特徴的な苦難や状況を示す自然現象です。

経・律・論の三蔵(Tripitaka)の中には、女性の誘惑的な振る舞いについての辛らつな言葉がいくつか述べられていますが、相応部経典には女性の長所も示されています。ある状況下で、女性は男性よりも洞察力があり、賢く、また聖なる八正道を実践すれば涅槃に至るか、あるいは聖者の位に達する能力があると重んじられているのです。
 
 女性に対するブッダの姿勢は、ブッダの友人、コーサラ王に「娘が誕生した」という知らせがもたらされたときのことからも知ることができます。コーサラ王は息子が誕生することを望んでいたため、その知らせに不満を持ちました。しかしブッダは他の宗教家たちと違い、女性へのあたたかい賛辞を呈して、次の言葉で女性の良い特性を述べられたのです。
 
 「女性のなかには男性よりも実に善良な人がいる。国王よ、その娘を育てなさい。智慧があり、徳が高く、義理の母をよく敬い、清らかな女性 ─ このような優れた妻には、国王となり国を統治するような立派な息子が生まれることがある」と。
 
 このようにブッダは、女性の性質を示す際、弱さだけではなく、能力や才能も指摘されたのでした。ブッダが述べられたことに納得がいかないところもあるかもしれません。でもよく観察してみれば、当時ブッダが女性に語ったことは、時を経た今日でもそのまま当てはまると言えるでしょう。というのは、大部分の国々で、女性たちも教育を受けたり、独立して職を得たりする機会が開かれているのですが、苦痛を負うことや感情に支配されやすいこと、差別待遇に脅え、我慢しなければならないこと、ライバルを妬むことなどは、今でも変わらず女性たちが持ち続けている性質であり状況であるからです。

◆ブッダのアドバイス◆
~ 結婚した女性たちへ ~
 
 ブッダは、家庭の平和と調和が主として女性の肩にかかっていることをよく理解されていました。そして結婚生活における妻の役割について、女性たちにアドバイスされたのです。ブッダが与えたアドバイスは現実的で実践しやすいものであり、妻が日々の暮らしの中で模範にすべきことと、すべきでないことをいくつか示されました。以下はさまざまな機会でブッダが妻に忠告されたことです。
 
 【1】夫に対して悪い考えを抱くべきではない
 【2】夫に苦痛や不快感を与えないこと、また、傲慢であるべきではない
 【3】浪費をやめ、収入の範囲内で経済的に生活すべきである
 【4】夫の財産と、苦労して得た収入を大切に守り、しっかり管理すべきである
 【5】心と行動において常に道徳的で清らかであること
 【6】 忠実であり、けっして姦通の考えを抱いてはならない
 【7】言葉使いに気をつけ、丁重な行動をとるべきである
 【8】 親切で、勤勉で、よく働くこと
 【9】母親が息子を愛して守るのと同じように、夫を思いやり、あわれみ深くあること
 【10】 謙虚であり、尊敬の念を持つべきである
 【11】冷静に、穏やかに、ものごとをよく理解すること。必要なときは妻としてだけでなく、友人やアドバイザーとしても夫の役に立つべきである
 
 ブッダの時代、他の宗教家たちも、夫に対する妻の義務について話されていました。その内容はおもに、息子を出産すること、夫に誠実に尽くすこと、夫婦間に喜びと幸せをもたらすことでした。この考え方は儒教にも見られます。しかしながら儒教では、夫に対する『妻の義務』がはっきり定められているのに対し、妻に対する『夫の義務』はあまり強調されていないのです。ブッダの教えにはこのような偏見がありません。
 
 六方礼経(Sigâlovâda Sutta)には妻に対する夫の義務が明確に述べられています。「夫は誠実で、親切であること。妻に世帯を委ね、装飾品を与えることが夫の義務である」 と。  (2002.7)

◆美意識過剰な女性へのアドバイス◆
 うぬぼれが強く、美に対して意識過剰な女性に対して、ブッダは無常の摂理を教えられています。
ビンビサーラ王の妃であるケーマー(Khemâ)はたいへん美しい女性でした。ブッダが外見の美を軽蔑されていると思っていたケーマーは、はじめのうちブッダに会うのをためらっていました。ある日、ケーマーは静かな景色を楽しもうと僧院を訪ねました。ちょうどその頃ブッダは本堂で法を説かれていました。次第にケーマーはブッダが説法するほうへと惹かれていきました。
 ブッダは神通力でケーマーの思考を読み取り、ケーマーの目の前に美しい少女の幻をつくりだしました。ケーマーが少女の美しさに見とれているとき、ブッダはその美しい少女を中年の女性へと変化させ、それから歯が抜け、白髪になり、しわくちゃの老婆になるまで変化させたのです。この変化を目の当たりにしたケーマーは、自分が外見の美にうぬぼれていたことに気づき、生のはかなさを認識しました。そして「肉体はこのように壊れていくものなのか? それなら私の肉体も同じなのだ」と悟ったのです。ケーマーは阿羅漢に達し、ビンビサーラ王の許可を得て、比丘尼サンガに入団しました。

◆感情的な女性へのアドバイス◆
 愛する者を亡くし、ひどく心がかき乱され、悲しみに打ちひしがれた女性たちのために、ブッダは死が避けられないものであることを話され、四聖諦を明確に述べられました。そしてその要点を理解させるためにさまざまな形で法を説かれました。 
 孫娘が死んで、激しく心が動揺していた愛情深い祖母ヴィサーカー(Visâkhâ)に、ブッダはこのように説かれました。
「愛から悲しみが生まれ、愛から恐れが生まれる。愛から解放された人には、悲しみも、恐れもない」と。
 
 キサーゴタミー(Kisâgotamî)は、たったひとりの愛する息子を亡くし、ブッダに、死んだ息子を生き返らせてくれてと懇願しました。ブッダは彼女に、「では、からしの種をいくつかもらってきなさい。ただし死者をだしていない家からですよ」と言いました。からしの種はどこの家にもあるのですが、これまでに一度も死者をだしたことのない家庭を見つけることはできません。探し求めるうちにキサーゴーターミーは「死は私の息子だけに訪れたのではなく、すべての生命にやってくる普通の現象なのだ」と悟ったのです。
 
 パターチャーラー(Pawâcârâ)もまた痛ましい境遇におかれた女性でした。パターチャーラーは2人の子供、夫、父母、兄弟を、悲惨な状況下で一度に亡くしてしまいました。悲しみのあまり気が狂い、ふらふらとさまよい歩いているとき、ブッダに出会いました。ブッダはパターチャーラーにやさしく語られました。「息子も父親も親族も、死を乗り越えることができないものは頼りにならない。親類も頼りにならない。この真理を理解する智慧のある者は、すみやかに心を清らかにし、涅槃に至る」と。
 この真理を聴いて生の本質に目覚めたパターチャーラーは、聖者の最初の位である預流果に到達し、比丘尼サンガに入団したのでした。

◆女性が得た真の自由  出家◆
 ブッダが真理を説き始めてから数年後に、比丘尼サンガ(尼僧の集団)が設立されました。このとき女性に対して、「出家の自由」という全く新しい道が切り開かれたのです。比丘尼サンガは、すばらしい成功を収めました。真理を学び、修行に励む、多くの優れた比丘尼たちが現れたのです。そして仏教は、世界の中でも非常に高い地位を得ました。
 
 仏教の重要な経典の一つである『テーリー・ガーター』Therîgâthâ(長老尼偈)には、個々の長老尼による詩偈が集成されています。
 ブッダは、比丘尼たちが真理を説くことに何の制限も加えませんでした。そのため比丘尼たちの中からはスカー(Sukkâ)、パターチャーラー(Pawâcârâ)、ケーマー (Khemâ )、ダンマディンナー ( Dhammadinnâ)、そして、ブッダの養母であるマハーパジャーパティー(Mahâpajâpatî)など、多くの才知に長けた説法師が現れました。
 
 バラモン人たちの間では、先祖供養を執行する息子だけが重んじられていましたが、仏教はその見解を断じて認めず、娘は息子と同等であると見なしました。また、女性の結婚も、もはや絶対的な義務ではなくなりました。仏教徒の女性たちは、独立して自らの道を歩む自由を獲得したのです。ブッダが女性の出家を受け入れたことは、出家した女性だけでなく、一般社会で生活する女性たちの地位の向上にも役立ちました。
 しかしながら比丘尼サンガはある時期にあまりにも進歩しすぎたため、短期間で滅びてしまったのです。人々の思想が、ある一定の時期に進歩したり発達したりして、社会に革新や改善が起こるときはいつでも、世間の人々はその改善された状況に適応することができず、慣れ親しんでいたもとの社会に逆戻りしようとする傾向があります。当時の人々も、比丘尼サンガという新しい状況をマスターできなかったのでした。
 また、カースト制度を制定したバラモン人による悪意のあるプロパガンダも、比丘尼サンガを衰退させた主要な原因の一つです。
 スリランカの比丘尼サンガは、紀元 1017年、マヒンダ王4世(King Mahinda IV)が国を治めていた頃まで繁栄していましたが、その後消滅し、再び復活することはありませんでした。しかし、スリランカの尼僧たちは中国に比丘尼サンガを伝えていたため、現在でも中国、それから日本にも、尼僧の集団が存続しているのです。しかしながら大乗仏教という伝統のもとで、尼僧たちの地位は低く、けっして男性の僧侶たちと同等の立場に置かれていないのが現状です。

◆自由と平等へ向けて◆
 ブッダの時代から幾世紀も経た19世紀、20世紀の到来とともに、女性の解放と自由・平等を求める動きが、特に欧米諸国で活発に起こりました。これは女性たちが高い教育を受けたことの結果です。
 1848年、アメリカで、スーザン・B・アントニー(Susan B. Anthony)が先頭に立ち、女性平等を訴える旗を掲げました。それ以来、世界の至るところで、有能で指導力のある多くの女性先駆者たちや女性諸組織によって、女性運動と奮闘が、着実に進められてきました。女性たちは愛国心の強い男性仲間とともに、より良い社会や国家を築くことで世界の発展に貢献する役割があると考えていたのです。

 1848年以来、世界では、女性たちが教育の機会均等、政治的権利の平等、経済的平等を獲得するために無数の大衆運動を起こしています。西洋諸国では産業革命や博愛運動、女性平等運動によって引き起こされた社会状況が女性の地位を向上させ、それほど産業的進歩がなかったアジアやその他の国々では、強力な宗教を背景に持つ改革者によって女性の状況の改善が行われました。
 ここ50~60年の間に、政治、経済、社会の分野への女性の参加は着実に増加してきました。20世紀の女性たちが収めた成功は驚異的なものと評することができるでしょう。多くの女性たちが、社会科学、ビジネス、経済、政治などの様々な領域で成果を上げ、政治の最高位である大統領の地位にまで就任した女性たちも現れました。しかし皮肉なことに、今日でもまだ女性に投票権が与えられていない国々もあります。
 
 女性の地位向上に関する国際的な動きは、第一次世界大戦後に、国際連盟が小規模に取り組み始めたのが最初です。その後、国連憲章はすべての女性の自由と平等の原則を認めました。国連機構の一つである「女性の地位委員会」は性差別の問題を検証し、女性の参政権、同一労働・同一賃金の原則、慣習法における女性の地位、既婚女性の国籍、教育的・経済的な機会均等、技術の援助および参加についての問題を審議しました。
 国連の支持を受けた婦人参政権論者と国際的な諸組織は、社会、経済、政治の分野に多数の女性たちが参加できるように多くのことを成し遂げてきました。が、重要なことは、女性たちが真の自由を獲得するという課題はいまだに達成されていない、ということに気づくことです。
 
 「真の自由」 それはあらゆる形の束縛から解き放たれることです。自己の心を正しく成長させ清らかにするときにのみ、それは、達成することができるのです。つまり貪瞋痴の汚れを完全に取り除き、心を清浄にすることです。公開討論やデモ行進、国連憲章などのいかなるものによっても、真の自由はもたらすことができないのです。唯一、ブッダが教えた冥想を徹底的に実践すること、その努力と注意力だけが、真の自由へと女性を導くことができるのです。

 ブッダは、女性の幸福と利益を促進した、世界で初めての女性解放者であり、平等主義者であるとして尊敬することができるでしょう。女性を軽蔑せず見下すこともなく、男性と同様に智慧を開発し涅槃に至るための精神的な修行をする権利を女性にも与えたことは、仏法(Buddha – Dhamma)の不朽の名誉になりました。(完)

(翻訳・文責/出村佳子)