魔について
1.一番力をもっている天人が悪魔で修行の邪魔をすると聞きました。
阿修羅という生命も魔の一種だと聞いたんですが、どのようにちがうのでしょうか。
マーラ神のこと、お釈迦様も弟子たちも「迷惑なヤツ」だと思われていました。
名前はワサワッティなので、六番目の天界の住民でしょうと思われます。
そちらでの精神力は「支配力」なのです。偉大なる権力者、支配者の前で、その人は親切に挨拶してもこちらはムチャ緊張する。震えてしまう。もしかするとこのエネルギーがマーラとその天界にいるほかの神々の命の土台になっているでしょうね。現象の世界・欲界・世俗世界を全て支配しています。
解脱目的で、修行する時に限って邪魔をする。それは明らかに一切の執着を捨てようとするから、もう支配権から離れるでしょう。その波動は自分の次元では「大地震」に感じるでしょう。(やっぱり地震は嫌なものでしょうね)この邪魔は悟る能力のある人にのみ、また瞑想が進んでいく時のみあるもので、それほど心配には及びません。しかし、悟った人ならショッチュウ (初中後=始終)苛められます。
阿修羅は仏典に後に入った概念みたい。Sura-天・神霊でaは否定形でno,non,de,anti,reの英語の接頭語と同じ。でも日本語で非天・無天・無神霊と訳できませんね。変です。
それで、私の余計な解釈です。
人間でも合法的に堂々と仕事して生きている人々の間で、法を無視して、又は違法的なことで生計を立てて贅沢に生きている人もいますね。(例:ヤクザ、マーピヤ、蛇頭)同じ神々なのに、「性格が悪いヤツラ」だと思います、阿修羅君たちは。
マーラは品格はある、とても高次元の神で阿修羅とは全く違う。
悟りを開こうと励む修行者をからかったり、苛めたりするが、人に邪魔をしない。悪いこともしない。
返って仏教徒も修行なんかやめちゃって法要、供養、布施をしたり、戒を守ったり、祭りをやったりして徳を積むなら、それを応援する。他宗教の「悪魔」の概念と違う。人を地獄に落とされるような野暮なことはしません。
2.結局はマーラは味方ですか? 敵ですか?
中村元訳「スッタニパータ」P88には「マーラよ怠け者の親族よ悪しき者よ。汝の軍隊は見破られた。第1の軍隊は・・・第2の・・・・」とあります。神様なのに敵ですか?
>マーラは見方ですか? 敵ですか?
解脱したい、輪廻転生の苦しみを乗り越えたいと修行する修行者に邪魔をするから「邪魔なヤツ」です。
「敵」という単語はお釈迦様さえマーラに対して使ってないのです。しかし、悪しきもの、怠け者の親族など叱りのことばはいっぱい使っています。
この世で、「敵」といえば「邪魔なヤツだから、要注意」では済みません。
敵を倒さなくてはならない、敵と戦わなくてはならない。敵を憎しまなくてはならない。
仏教は、怒り憎しみに縁のない教えです。Devadatta(提婆達多)のことも敵だと思わなかった。かえって心配しました。
マーラにも目連尊者が心配して叱ったところは経典にあります。
3.悟りへと到達した仏道修行者たちはどのようにしてその邪魔を乗り越えてきたのですか?
悟りへ到達した方にはマーラはそれほど大きな問題ではありません。しかし困ったことは、説法に、指導することに何かの邪魔をすることです。
修行者たちはまだ未熟なもんだからその誘惑に乗ってしまうのです。
それで指導者に無礼な態度をとる。修行者が指導者に無礼な態度をとると、瞑想はできなくなるし、やっても進まない。これはこの世界の法則です。
そうなると、仏教は広げることも、人は苦しみを乗り越えることも出来なるので、仏弟子たちにとってはこれが大きな悩みの種です。
退治する簡単な方法はあるが、これは指導者と成功する見込みのある修行者の間の問題なので、公に発表することは出来ないのは残念です。
これだけ覚えておきましょう。
理性がなくなって、感情的になって、どうでもいい理屈をふるって仏法僧に失礼な態度とる気分になったら要注意。地雷を踏んでいるかも。
徹底的に理性を大事にしているとマーラ君の邪魔は通じないのです。
神秘的な呪文などはありません。マーラ君は個人攻撃することも、一般人を迷わせることも、罪を犯させることもありません。
そんなことがあるとしても、それは低次元の神霊や悪霊のしごとです。
A.Sumanasara