礼拝の言葉

はじめに
この礼拝の言葉を唱えます

ゴータミー精舎本堂の仏像日本テーラワーダ仏教協会で開催する瞑想実践会・法話会などの始めに唱える礼拝の言葉をご紹介します。言葉の原文・日本語訳・音声ファイル(読誦:スマナサーラ長老)をご用意しました。一言ひとことの意味を、心で確認しながら静かに唱えてみてください。
これらの言葉を唱えることの意義については、スマナサーラ長老による『瞑想会などで唱える礼拝・三帰依・慈悲の瞑想について』で詳しく解説されています。またミャンマー僧侶キラサ師による『仏教徒は祈らない』も参考になるかと思います。併せてご覧ください。

礼拝文

Namo Tassa Bhagavato Arahato Sammā Sambuddhassa.
ナモー タッサ バガヴァトー アラハトー サンマー サンブッタッサ(三回)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼したてまつる。

三帰依

Buddhaṃ Saraṇaṃ Gacchāmi.
ブッダン サラナン ガッチャーミ
私は仏陀に帰依いたします。
Dhammaṃ Saraṇaṃ Gacchāmi.
ダンマン サラナン ガッチャーミ
私は法(真理)に帰依いたします。
Sanghaṃ Saraṇaṃ Gacchāmi.
サンガン サラナン ガッチャーミ
私は僧(聖者の僧団)に帰依いたします。
Dutiyam pi Buddhaṃ Saraṇaṃ Gacchāmi.
ドゥティヤン ピ ブッダン サラナン ガッチャーミ
再び私は仏陀に帰依いたします。
Dutiyam pi Dhammaṃ Saraṇaṃ Gacchāmi.
ドゥティヤン ピ ダンマン サラナン ガッチャーミ
再び私は法(真理)に帰依いたします。
Dutiyam pi Sanghaṃ Saraṇaṃ Gacchāmi.
ドゥティヤン ピ サンガン サラナン ガッチャーミ
再び私は僧(聖者の僧団)に帰依いたします。
Tatiyam pi Buddhaṃ Saraṇaṃ Gacchāmi.
タティヤン ピ ブッダン サラナン ガッチャーミ
三たび私は仏陀に帰依いたします。
Tatiyam pi Dhammaṃ Saraṇaṃ Gacchāmi.
タティヤン ピ ダンマン サラナン ガッチャーミ
三たび私は法(真理)に帰依いたします。
Tatiyam pi Sanghaṃ Saraṇaṃ Gacchāmi.
タティヤン ピ サンガン サラナン ガッチャーミ
三たび私は僧(聖者の僧団)に帰依いたします。

五戒文

Pāṇātipātā veramaṇī sikkhā padaṃ samādiyāmi.
バーナーティパーター ヴェーラマニー スィッカー パダン サマーディヤーミ
私は「生き物を殺さない」という戒めを受けて守ります。
Adinnādānā veramaṇī sikkhā padaṃ samādiyāmi.
アディンナーダーナー ヴェーラマニー スィッカー パダン サマーディヤーミ
私は「与えられていないものを取らない」という戒めを受けて守ります。
Kāmesu micchācārā veramaṇī sikkhā padaṃ samādiyāmi.
カーメース ミッチャーチャーラー ヴェーラマニー スィッカー パダン サマーディヤーミ
私は「淫らな行為をしない」という戒めを受けて守ります。
Musāvādā veramaṇī sikkhā padaṃ samādiyāmi.
ムサーワーダー ヴェーラマニー スィッカー パダン サマーディヤーミ
私は「いつわりをかたらない」という戒めを受けて守ります。
Surāmeraya Majjapamādaṭṭhānā veramaṇī sikkhā padaṃ samādiyāmi.
スラーメーラヤ マッジャパマーダッターナー ヴェーラマニー スィッカー パダン サマーディヤーミ
私は「放逸の原因となり、(人を)酔わせる酒類、麻薬などを使用しない」という戒めを受けて守ります。

音声ファイル

礼拝文・三帰依・五戒文

懺悔誓願の文

懺悔いたします。

無明の闇におおわれて、身、口、意、の三業によっておかしてしまったあやまちがあります。

仏、法、僧、に対するあやまち、恩師に対するあやまち、生きとし生けるものに対するあやまち。

これ等いっさいのあやまちを懺悔いたします。

また、自分が受けた他の人々のあやまちも許します。

この様に雑事を離れ、独り静かに自己の心身を念をもって観つめるとき、瞬間、瞬間、変化生滅しつづける現象をヴィパッサナーによって洞察し、真の幸福を得て、解脱の道へ導かれますようにと、ここに誓願をいたします。

音声ファイル

  1. 無明:具体的には貪瞋癡とんじんち。欲望、怒り、愚かさ、という三毒。
  2. 身口意の三業:身体でする行為、言葉による行為、考えるという行為を指します。

懺悔誓願の文【改定版】

懺悔いたします。

貪瞋痴とんじんちにおおわれて真理を知らないが故に、身体からだ、言葉、考えるという、三業さんごうによっておかしてしまった数々のあやまちがあります。

仏、法、僧、に対するあやまち、恩師に対するあやまち、生きとし生けるものに対するあやまち。

これ等いっさいのあやまちを懺悔いたします。

また、自分が受けた他の人々のあやまちも許します。

この様に雑事を離れ、独り静かに自己の心身を念をもって観つめるとき、瞬間、瞬間、変化生滅しつづける現象をヴィパッサナーによって洞察し、真の幸福を得て、解脱の道へ導かれますようにと、ここに誓願をいたします。

  • 以前、スマナサーラ長老の「これは、唱える者が具体的にわかりやすく自分の心に響くような言葉を選んだ文にするのが良い」というご説法を聞いて、文の一部を入替えたものです。

回向の文【総合バージョン】

あらゆる生命に憐れみをもって真理を説かれた本師釈迦牟尼佛陀の聖なる教えに従い、我々がここまで積んだすべての功徳を、神々、先祖、祖父母、両親、親族、恩師をはじめとし、一切の生きとし生けるものに、回向いたします。

この功徳によって生きとし生けるものすべてが幸福に暮らせますように。

そして、解脱を得られますように。

Sādhu!サードゥ Sādhu!サードゥ! Sādhu!サードゥ