トラウマ
パニック障害のものです。一年ほど前にパニック発作を起こし、以後又起こるのではないかという不安や妄想(そうした妄想でパニックを引き起こすこともあります)に悩まされています。
サティを入れようとしても、客観的になれず妄想に巻き込まれてしまします。そういった具合なので、今はなるべくそういった妄想や感覚を気にせず、いずれ消えるだろうと思い体を動かしたり瞑想もおなかの膨らみだけを見ています。そういったことを続けて多少はよくなってきています。ただ、サティを入れないとそういったエネルギー?が心の奥底にしまわれてるだけにならないのか、不安になってしまいます。実際の所どうなっしまうのか知りたいです。あまり気にせずに他の事に心を切り替えた場合でも、そういった心のエネルギーは消えてるのでしょうか、それとも蓄積されてるのでしょうか? 長文で読みずらいかと思いますが、よろしくお願い致します。
>パニック症
ご自分のサティの実践方法は、それで良いと思います。できるだけ妄想に巻き込まれないように工夫することは巧みなことで、仏教的に言えば「正精進」になります。
パニックであろうか、ほかの精神的な異常であろうか、激しい感情にこころが付いていけない状態なのです。このアンバランスを補うために何かの症状が現れる。とんだ迷惑ですが。
しかし、これは結局「妄想」の結果なのです。妄想一個一個に感情と言う粘着材があります。簡単に張ったり、剥がしたり出来る(Post-it製品のように)感情の粘着材なら症状などはあらわれません。妄想についている粘着力は強くなると危険なのです。感情を無くそうと人にアドバイスしても無理です。だから、仏教では妄想の制御を指導するのです。これで、万事上手くいきます。
パニック症
といっても、色々種類がありますよ。危険な目にあったときも、死に掛けているときも、予測しなかった出来事が起こるときも、何かをしなくてはならないのに、何をすれば良いかと解らなくなるときも、ただ単に気が弱い場合も、自分に対する愛着が激しい時もパニックになります。更にありますが…
サティの実践と同時に自分のパニックの種類を理解して置いてください。それを解決しようとする必要はありません。理解するだけ。それから、サティの実践のみ。
三宝のご加護がありますように。
お返事ありがとうございます!!
> サティの実践と同時に自分のパニックの種類を理解して置いてください。それを解決しようとする必要はありません。
> 理解するだけ。それから、サティの実践のみ。
がんばります! ただ、なぜ理解するだけで良いのでしょうか? 何でも解決しようとするとプレッシャーになり、辛くなることがよくあるように思います。そうした、悪循環を防ぐ為と理解してよろしいのでしょうか?
パニック症も色色あるでしょう。
自分はどんなタイプのパニック症かと自分では簡単にわかるものだと思います。ただ、「私は●●パニックだ」と知っておくことです。それ以上やらないでください。
徐々に、自然に改善していくのです。
三宝のご加護がありますように。