ジャータカ物語

No.71(2005年11月号)

苦い新芽を食べた王子

Ekapaṇṇa jātaka(No.149)  

アルボムッレ・スマナサーラ長老

これは、シャカムニブッダがヴェーサーリー近郊の大きな林の中にある重閣講堂におられた時のお話です。その当時、ヴェーサーリーは繁栄を極め、城壁は三重になって幾里にも渡り、三方には大きな門がそびえ立っていました。城壁の中は、七千百七人の王よる共和制で治められていました。ヴェーサーリーには多くの王にふさわしい数の王妃たち、皇太子たち、大臣たち、将軍たち、他の家来たちがいて、大勢の大富豪も住んでいました。

そのたくさんの皇太子の中の一人に、リッチャヴィ王子という凶暴で残忍な王子がいました。彼の心の中には常に、害意の炎が毒蛇のごとく燃えていました。リッチャヴィ王子がひとたび怒り出すと、王でさえ口をはさむことはできません。面と向かって忠告したり訓戒を垂れることができる者は、一人もいない有様でした。

リッチャヴィ王子の両親は「もはや、ブッダ以外に王子を導いてくれる人はいないであろう」と思い、お釈迦さまの元に王子を連れて行くことにしました。王は王子を連れてお釈迦さまのところに行き、礼拝して傍らに坐り、「世尊、この王子はまことに気性が荒く、すぐ激高し、怒りっぽくて困っています。どうぞ教えを説いてやってください」とお願いしました。

釈尊はリッチャヴィ王子に向かい、「王子よ、人というものは、心の中に、憤怒、粗暴、憎悪があってはならない。きつい言葉は、肉親でもある母にも、父にも、自分の子どもたちにも、兄弟姉妹にも、妻にも、親戚にも、友人にも、憎しみと不快感を抱かせるものだ。

噛みつこうと飛びかかる毒蛇のような、森で潜む盗賊のような、食らいつこうとする悪魔のような行いをしていると、来世は必ず地獄に堕ちる。現世においても怒りっぽい人は、いかに美しく着飾っていても、とても醜いのだ。怒る人は、たとえ満月のように美しい顔をしていても、太陽に焼き尽くされて枯れ果てた蓮華のように、ほこりに覆われた黄金の鉢のように、醜くなる。醜い怒りのせいで、人は自らを傷つけ、自ら毒を喰らい、自らを縛り上げて絶壁から身を投げる。その上に、自らの怒りで、死後も自ら地獄に堕ちる。害意ある人も、現世では批難を受け、死後には地獄に堕ちる。たとえ人間に生まれても、生まれつき多くの病気をかかえ、次から次へと様々な病苦に苦しめられることになる。

もしも怒りの思いを去れば、苦はなくなる。ゆえに、すべての生命に慈しみと憐れみの心を持ちなさい。慈しみの人こそ、地獄に堕ちる苦しみから逃れることができる人なのだよ」と、力強く説かれました。

リッチャヴィ王子は、お釈迦さまの説法を聞くと、一度聞いただけで荒れた心が静まりました。慈愛の心が起こり、心から反省の念が起こったのです。慈しみの心に満たされて心が柔軟になった王子は、恥ずかしさと感激の気持ちでいっぱいになり、毒牙を抜かれた毒蛇のように、はさみを切り取られたカニのように、角を折られた水牛のように、おとなしくなったのです。

比丘たちはその様子を見て、説法場で、「両親も、親戚も、友人も、誰も注意することさえできなかった皇太子を、尊師は一度で反省させ、従順にしてしまわれた。まるで優れた調象師が、狂った象を六種の術をもって調御するようであった。『調象師に調教された象は、前にも後ろにも、右にも左にも、自由自在に歩かせることができる。調牛師、調馬師に調教された牛や馬も同じである。同様に、如来、応供、正覚者に調御された人は良く導かれる。八方に導かれ、色を色と見、またそれを如実に見る。正覚者こそ、この上のない力ある真の調御者である』という。まさに、正しく悟りを開いた方によって調御されるとはこのことなのではないか」と話していました。そこに釈尊が来られ、「何を話しているのか」とおたずねになったので比丘たちがお答えすると、「私が一度で彼を調御したことは過去にもあった」とおっしゃって、過去の話をお話しになりました。

昔々、バーラーナシーでブラフマダッタ王が国を治めていた頃、菩薩は高貴なバラモンの家に生まれました。菩薩はタッカシラーで学問を学び、三ヴェーダとすべての学芸を身につけてバーラーナシーに戻りました。しばらくして父親が亡くなると、菩薩に出家の思いが生まれました。菩薩は出家し、神通力と禅定を得て、ヒマラヤの山中で暮らしました。ある時、菩薩は、塩や日常品を手に入れるために山から下りて、町を歩いていました。

ちょうど城の窓から外を見ていた国王が、町を歩いている菩薩を見かけ、その端正な姿と落ち着いた立ち居振る舞いにたいへん心を打たれました。「あの行者は実に正しく心身を整えている。一歩、一歩、千の黄金の上を歩くように、獅子が起きあがるような威光をもって歩いている。この世で正しい法を体得した人がいるとすれば、彼であろう」と考えた王は、家臣に「あの行者をこちらにお連れするように」と命じました。家臣は、すぐに菩薩のところに行き、うやうやしく礼をして、托鉢の鉢を取りました。菩薩が「どうしたのですか」と訊くと、「聖者よ、国王がお呼びなのです」と答えました。菩薩は「私はヒマラヤに住み、王家とは関係ない者です」と断りました。家臣は城に戻って王にそれを伝えました。王は「私には信頼して語り合う相手がいない。あの行者をぜひ連れてくるように」と再度命じました。家臣は再び菩薩のところに行き、無理にお願いして、菩薩を城に連れて行きました。

王は菩薩にていねいに礼拝し、天蓋のある黄金の玉座に菩薩を座らせ、豪華な食事の用意をさせて自らの手で様々なごちそうを菩薩に供養しました。そして、「ぜひ私どもの御苑で雨安居を過ごしてください」と申し出ました。菩薩は王の申し出を受けました。王は直ちに家臣に命じ、御苑に菩薩の夜の部屋と昼の部屋を用意させ、粗相の無いようにと細かい指示を出しました。菩薩は城の御苑に滞在され、王は日に何度か菩薩を訪れました。

王には、ドゥッタ王子という名の、ひどく性格の悪い息子がいました。とても凶暴で、両親でさえどうすることもできません。大臣やバラモンが「王子様、そのようなことをしてはなりません」と諭しても、決して言うことをききません。かえって気が荒くなるのがおちでした。王は、「あの聖者以外に王子の行いを正してくれる人はいないであろう」と思い、王子を菩薩の元に連れて行きました。そして、菩薩に王子に教えを説いてくれるようにと頼み、王子を菩薩の元に置いて帰りました。

菩薩は王子を連れて、御苑を散歩することにしました。歩いていると、ニンバ樹という死ぬほど苦い味をもつ若芽をつけた若木がありました。菩薩は「王子よ、この若芽を噛んでごらんなさい」と、王子に言いました。若芽を口に入れた王子は、あまりの苦さに「あっ」と驚いて、すぐに吐き出しました。そして、「聖者よ、この芽はまるで劇毒だ。今でさえこれほどひどいのだ。大きくなったら、多くの人を殺すに違いない」と言ってその若木を引き抜き、手でもみ砕いて捨て去って、次の詩を唱えました。

   今はまだまだ若芽であり
   指の長さほどしかない
   それでもこれほどの毒ならば
   大きくなれば、ひどいだろう

菩薩は即座に、「王子よ、あなたはニンバ樹の芽を『まだ芽であってさえ猛毒だ。成長したらどれほどの恐ろしい毒か』と、握りつぶしてしまわれた。それと同じような気持ちを、人々があなたに対して感じてはいないだろうか。『あの王子は、まだ若くても、あれほど残忍で激しやすい。成長して王になられたら、どれほど恐ろしいことだろう』と、ニンバ樹の芽のごとく、握りつぶそうとするでしょう。あなたはニンバ樹のようであることを止め、寛大で慈愛ある皇太子にならなくてはなりません」と、力強く説かれました。王子にはその教えがよく心に入り、直ちに、柔軟で、慈愛深く、親切な性質になりました。王子は菩薩の言葉をよく心に留め、国王となってからも善行為をし、その果報によって生まれ変わっていきました。

お釈迦さまは「その時の王子はリッチャヴィ王子であり、王子を教え諭した聖者は私であった」と言われ、過去の話を終えられました。

スマナサーラ長老のコメント

この物語の教訓

●ニンバ樹の芽を食べて
「猛毒だ」と王子は大変驚いたそうです。しかしニンバは毒物ではありません。毒が入っているものを、たとえ躾のためであっても、子どもに食べさせるものではありません。まして菩薩であった行者が、毒のあるものを、「食べてみなさい」と言うはずもないのです。ニンバは薬になる植物です。消化器の機能を促進し、皮膚にも艶を与えるのです。今でもほとんどの皮膚病を治すのに使用されている大事な薬物です。

塗り薬としては誰でも使うが、食べてみるためにはかなりの覚悟が必要なのです。気持ちの良い香りを持っているが、この世でこれほど苦いものは存在するのかとびっくりするほど、極端に苦いのです。ニンバの苦みを知らない人が迂闊に食べると、パニック状態に陥るのは目に見えています。しかし、健康を維持するために若葉を二、三枚食べる習慣は今もあります。


●子どもの性格

どんな子どもでも、自分の性格を持って生まれるのです。皆が良い性格を持って生まれるならば、それほどありがたいことはないのです。しかし、必ずもそうなるものではありません。持って生まれた性格、人の個性を重視した育児法こそありがたいと一般的に思われていますが、これは必ずしも正しい考え方だと言えないのです。たとえ個性であっても、悪性は正さなくてはならないのです。悪性格を持ったままで立派な社会人にはならないのです。

子育ては親の責任ですが、親にはうまく育てることができない子どももいます。よくあるケースは、子どもは色々と才能を持って生まれるが、親がそれに気付かない。気付いてもその才能を磨き上げる能力がないことです。親は子どもに対して「何でも知っている」態度で接することも、度々見えます。また、次のような場合、正しい育児はできなくなるどころか、大変な社会問題になることもあります。親は一般的な社会常識を持つ人なのに、生まれて来た子どもは完全な我が儘で、社会のきまり、しきたりを何一つも守らない反抗的な性格を持つ場合です。そのような子は、学校に入れても学問せずに、トラブルばかり起こすのです。犯罪を犯したりした場合は少年院などがありますが、それは問題解決ではありません。子どもが犯罪を犯す前に、まだ小さいうちにその子の性格を理解し、適切は対応をしなくてはいけないのです。

親というのは、子どもが小さいうちはとても可愛いと思ってしまうから、悪い性格が見えても目をつぶるのです。そのうち良い子になるだろうと期待するのです。これが、「親バカ」のせいで起こる大きな過ちです。性格なんかは、衝撃を与えない限り変えにくいものです。親は子どもに対する感情、愛着があるから、親には子どもの性格を改良するほどの衝撃を与えることはできないのです。また、やろうとしても、結局は虐待で終わる可能性もあります。

このジャータカ物語は、育てにくく性格の悪い子どもをどのように躾して一人前の社会人にするのかと教えているのです。答えは簡単です。小さいうちに子どもの性格を発見し、親が手を加えないで、子育てのプロである知識人に任せるのです。子どもは親の所有物ではなく、人類の財産なのです。子育ては社会の責任でもあるのです。親だけで責任を負うことは、決して正しくないのです。