智慧の扉

2011年10月号

何にがんばればいいのか?

アルボムッレ・スマナサーラ長老

東日本大震災以来、日本の街角には「がんばれ」「がんばろう」という標語が溢れています。人はがんばらなければ何も得られないのは当然です。目的に進むためには、自分の能力をあげて、邪魔・バリヤーを越えないといけないのです。しかし、きちんと目的語を定めずに「がんばろう日本」と叫ぶのは、ただの空虚なスローガンに過ぎません。理性ある人はそこで、「では、いったい何にがんばるのか?」と考えるべきです。

お釈迦さまは、その疑問に明確に教えています。仏教では、①まだ犯していない悪行為はこれからも決してやらない、②これまで犯してしまった悪行為を繰り返さない、③まだしていない善行為を行うようにする、④これまでしてきた善行為を完成させる、という四項目でがんばるべきなのです。

人間は環境に負けたり、誘惑に負けたりしがちです。しかし道徳は誘惑があるから成り立っています。無人島に四十年間住んでいる人が、「私は一度も盗んだことがない」と誇っても意味がない。「我々がやったことのない悪行為はいくらでもある。これからいかなる誘惑があってもやりません」とがんばらなければ、何一つものになりません。また、私たちは善いことしていても、時間が経つとつまらなくなって止めてしまいがちです。ですから、自分の善行為が消えないよう熱心に精進しないといけない。

このように何にがんばるべきか、何に精進すべきか、仏教ではハッキリ定義しています。仏教徒は他宗教のように『聖書』と首ったけになる必要はありません。「がんばる」というなら何にがんばるべきか、教えがコンパクトに分別されているのです。憶えてすぐ実践できるのです。