智慧の扉

2013年5月号

妄想は無知のゲーム

アルボムッレ・スマナサーラ長老

 未来のことをあれこれ心配するのは危険な「妄想遊び」です。無知のゲームに興じて、無知を繁殖させることです。遊びと割り切れればいいが、真剣になると心が重病に陥って、人生は土台から崩壊するのです。例えば、自分が犯罪に巻き込まれたらどうしようと悩む人がいます。統計学的に計算すれば、日本で犯罪にあう確率は話にならないほど低いはずです。いま平和で生きている人が犯罪に気を病むことは、満開の桜を無視して地べたの枯葉を探すようなもの。今日のランチの行き先さえ決めてない人が、いつ起こるかわからない犯罪に怯える滑稽さに気づいてください。現実の幸せをしっかり感じてください。

 何か事件や事故にみまわれた時、自分にどんな対応ができるのか? それはその時にならなければ分かりません。確かなのは、心が成長してない人はダメな反応しかできないということ。逆に心が成長していれば、何が起きてもピッタリ正しい対応ができるのです。自分の乗った飛行機が墜落する時、たくさん悩んだからって助かりますか? 自分にできるのは、「ああ、墜落するのか。地上に落ちるまでは『慈悲の冥想』をしよう」と決めることくらい。でもそれで安心です。慈しみの心で死ねば、直行で天国に行けますから。たった一秒でも、心には膨大な仕事ができるのです。

 どうしても妄想が止められなければ、せめて過去形でしてください。未来の妄想はエンドレスですが、過去は終わったことなので、一応「答え」が成り立つのです。それでも自分の過去を妄想すると、「後悔」という猛毒に晒される危険は避けられません。智慧を開発して幸福に達したければ、過去にも未来にも決して引っかからず、いまを明るく生きるしか道はないのです。