2014年6月号
ハードルを乗り越えるための力
修行とは、「こころを清らかにする」ことです。それ以外の修行はありません。お釈迦様は、具体的な実践方法を教え、実際にこころを清らかにすることを推薦しています。修行は、滝行や断食行などの苦行、読経や題目や念仏を称えることではありません。そのような行はやってもやらなくても、どうでもいいのです。自らのこころを清らかに保つ人が、修行者なのです。
修行の頭は、「忍耐(khantī)」と「堪忍(titikkhā)」です。これは同義語です。仏教用語としては「忍耐」です。こころを清らかにし、覚り・解脱に達するまでこころを育てるのです。その成長の道程には、数々のハードル(障害)・問題があり、それを乗り越えなければいけません。そこを、よく理解してください。
ではハードルとはなんでしょうか? 私たちは何の努力もしないで楽を目指しています。それは苦に達する道です。努力して成長することで、楽に達するのです。これは法則で、どうにもなりません。成長しようと思うなら、そこに何かしらの目的に応じたハードルが現れます。
例えば、勉強しようと思うと眠くなるのです。そうすると、「じゃあ今は寝て、後で勉強します」ということになります。寝ても、また眠くなるのです。その人にとっては、それがハードルなのです。
「忍耐」の意味は、成長過程にあるハードルに対応できる力のことを言います。忍耐があってこそ修行です。そのハードルを乗り越えることができれば、それを「成長」と言います。このハードルというのは、自然法則であって、何も気にする必要はありません。
何か困ったことになった・悩んだということは、ハードルに対する対応の仕方が間違ったのです。忍耐できずに、理性を失い、感情的になって、こころが汚れて対応したのです。そうなると新たに複雑なハードルが増えます。
ハードルに対して、正しく対応し成長するためには、ブッダのアドバイスに耳を傾けて「悪を止め、善に至る」道を選ぶのです。それが成長の道であって、修行なのです。
何が起こっても、こころを常に冷静に保ち、自分が定めた目的を全うできるよう、落ち着いていられるようになる智慧にも「忍耐」と言います。忍耐の完成が「覚り」でもあるのです。