智慧の扉

2018年10月号

仏教は世界三大宗教と言えるのか?

アルボムッレ・スマナサーラ長老

「お釈迦さまの教え(仏教)」は世界三大宗教のひとつであると言われているそうです。しかし、宗教とは、「あなたとわたしは違うものだ」と差別する世界です。「汝より我は優れている」。どんな宗教もそう言っています。しかし、人種差別や生命差別は、明らかに真理に反しています。生命は生命でしかありません。地球上の条件によって現れたのですから、ある生命だけ偉く、また違う他の生命だけ偉くないとどうして言えるでしょうか? 姿形が違っているのは、それぞれの環境に適応しただけです。犬は2+2=4と理解できなくても立派に生きています。犬の人生で何も失敗することなく、子育ての問題もなく、夫婦喧嘩もなく、見事に生きています。生命には自分の命を営む能力が揃っているなら、それ以上は必要ありません。
 
 生命に優劣をつけて差別するのはいかがなものでしょうか? 差別するということは、自分の内側が腐っているという証拠です。完全なる邪見に陥って、間違った考えをしていることになります。「オレ様は偉い」と思ったとしても、その証拠はどこにあるのでしょうか? 自分が目を閉じて「外の世界がない」と言っているに過ぎません。生命を差別する邪見に陥った人々が作った宗教を、なぜ信じるのでしょうか? 

 どんな宗教であろうが、思想・哲学であろうが、「平等」を教えなくてはいけません。「自分だけが偉い」というのはおかしいのです。アメーバから人間まで同じ生命であると理解しなくてはいけません。しかし、宗教は一部の人々(人種・民族・出自など)に特権を与えます。明らかに差別です。神が生命を創造したというのなら、すべて神の尊い作品となるはずです。「オレ様だけ偉い」「このグループだけ正しい」という宗教が、いかに壊れた思考・嫉妬・噂話で作られたものか、愚かにも互いに殺し合いまでしている事実を見てください。

 宗教とは、人類のありさまを神話・物語・迷信などで語って、その物語は真実であると信仰する組織なのです。客観的なデータを調べて、存在の謎を明らかにする組織に対して、宗教というレッテルは貼れません。ブッダは宗教を語ったのではないのです。真理を語ったのです。真理とは、どの生命にもあてはまる厳然たる事実です。根拠のない信仰と違って、決して揺らがないものなのです。