2019年5月号
自我という病の発病を防ぐ
すべての生命・人間に自我の錯覚があります。私たち一人ひとりに、個人としての感情・見方(主観)・意見・判断があります。自分の意見を外に出せず、黙っている人もいます。これは、自我が傷つくのを恐れて腰抜けになり、何としてでも自我を守ろうとする働きです。私たちは自分に感情などなどがあることは知っています。しかし、皆が知らないのは自我があるということです。自我があるということに気づかず、さらにその自我は錯覚であるという事実にも気づいていません。怒っている・楽しいという感情は自覚しています。そこから、次に自分の感情・見方・意見・判断は正しいと思うのです。生命として、これは仕方がないことです。意図的に間違った思考をすることはできません。感情・見方・意見・判断についても同じことです。生命は真剣に生きていて、真剣に「自分の行為が正しい」と思っているのです。
そこから、さらに「私こそ正しい」と主張して、周りが見えなくなるところまで自我が肥大化すると、その人は「発病」してしまったことになります。発病してしまうと治すことは相当困難になります。残念ながら治せない場合もあります。私たちは自我という病原・病巣を手術して取り出す前に、自我が発病し、増殖して破裂し、膿をまき散らし体中に拡がって治療が不可能にならないよう気を付けなくてはいけません。あとは苦しんで死ぬしかない状態になるまで、放置していてはいけないのです。仏教では自我を発病させない状態にして、病原・病巣が小さいうちに凍らせて取り除いてしまうという方法を教えています。
一人ひとりに個人の感情・見方・意見・判断があることは当然ですが、それで「私が正しい」と思い込んでしまうことはやめましょう。私には何か考え・意見があります。そこで「私の考え・意見だけが正しい」と思うことをやめるのです。他の人には違う意見があると認めましょう。どんな出来事・状況・場面においても、それぞれの人がそれぞれの視点で意見を持っているのです。自分だけが正しいと思わないで、自分の意見を無理に押しつけないでください。
自分が正しいと思わないというのは、「自分は間違っている」という意味ではありません。ただ、正しくない可能性もあるという意味です。例えば、地球は平らに見えます。これは間違っているでしょうか? 間違っていません。肉眼で地球を見ると確かに平らなのです。ただし、平らに見えるから「地球は平らだ」と結論付けるのは正しくない。それだけのことです。このたとえで理解してみてください。そうすれば、見解にしがみついて自我を発病させる危険を避けることができるでしょう。