智慧の扉

2019年8月号

自己愛を慈悲に育てる道筋

アルボムッレ・スマナサーラ長老

 自己愛・エゴ(自我)というのは生命の本能であって、悟らない限り消すことはできません。生命は一番自分を愛しているのです。皆、他者に対する慈しみ(慈悲喜捨)を理解できないのです。ですから、慈しみを気持ち悪いとさえ思ってしまうほどです。私は自分の利益しか考えられないのです。しかし、自己愛とエゴは区別すべきものでもあります。自己愛はごく自然な感情ですが、エゴは危険なのです。自分の幸福を願う自己愛は、生命として当たり前のことです。それに対して、エゴというのは、自分さえ幸せになれればいい・自分が幸せになるなら他者を不幸にすることも辞さない、という異常な心理なのです。しかし、そのエゴは自己破壊へと繋がります。仏教では悪であるエゴを捨てて、自己愛をうまく使って慈悲を育てなさいと教えているのです。

 慈悲の実践をするためには順番があります。最初に自分の幸福を願う自己愛を確認するのです。その次に自分と親しい生命である仲間などに、その自己愛の気持ちを拡大・拡張・伸展させてみるのです。自分にある自己愛を確認しないことには、慈悲を育てる土台・基礎・基盤が成り立ちません。それから次第に他の生命へと範囲を広げていきます。そのように慈悲を育てていくのです。
 
 慈悲喜捨を実践すると、エゴが弱くなります。本能としてある自己愛とエゴがより明確に区別されます。エゴは自分さえ良ければいいという身勝手な感情です。例えば他人が私を侮辱する。エゴだと「私になぜそんなことを言うんだ!ただじゃおかないぞ」と脅して破壊の道を作るのです。自己愛であれば「私は余計に苦しみたくない」という態度だけで、相手を潰そうと攻撃はしません。慈悲喜捨を実践しエゴが弱くなると、怒り・嫉妬・憎しみ・欲というネガティブ感情が減ります。

 逆に活発・前向き・明るい・軽快というポジティブ感情で生きることができます。エゴが弱くなっていくに連れて、自他の境が薄くなり、生命は平等であるということが理解できるようになります。他の生命に対して「お前が悪い」ということは言えなくなるのです。さらに慈悲喜捨を実践して、エゴは錯覚に過ぎないと発見できれば、究極の幸福である解脱・涅槃にも達するのです。慈悲喜捨の実践とは、まさに人格向上の王道なのです。