2020年2月号
心は真理を拒絶する
私たち人類はいつでも仏教に反対・反論したいと思っているのです。これはかなり強烈な衝動です。異教徒の人々が武器を持ってテロを仕掛けてくるというならば、まだ話は簡単です。厄介なのは、仏教に帰依して修行をする一人ひとりの心の中にも、仏教に対する拒絶反応が起こることなのです。
お釈迦さまは、輪廻への執着を捨てて涅槃・解脱に達しなさいと教えています。話を聞く人は「そうだ解脱に達するべきだ」と上辺では言うのですが、本音・本心は別なのです。「まず善行為で功徳を積み、兜率天という天界に生まれ変わって、そこでブッダに直々お会いした方々と一緒に修行しましょう」などという話をすれば、みな目を輝かせて聴くのです。これは人類の心の機能に由来する宿命的な問題です。
仏典で時々、「マーラ(悪魔)」という比喩が使われているのは、この問題を理解してもらうためです。自分の心の中にマーラがいるのです。生命は輪廻の中で苦しんでいるのだから解脱に達するべき。これが生命にとって唯一の答え・解決策です。具体的に実践できるのは人間だけかもしれません。でも、論理的には「苦」という問題を解決するためには、生命は解脱に達しなくてはならないのです。
しかし、そのように真理を語れば皆が耳を傾けてくれるかと言えば、人類の歴史の中ではそんなことはなかったのです。真理を頭ごなしに却下するのが人間のありふれた態度です。真理よりも、宗教・神話・信仰・物語・ストーリーを大事にします。宗教などに反対して真理を語ったら、残酷に殺されるケースも多いのです。お釈迦さまもそれをよくご存知でした。時代が変わったからといって、文明が発達したからといって、人類の生き方は何も変わりません。ただ使う道具が異なるだけで、人間の精神はいまだ猿の一種に留まっているのです。
お釈迦さまは、真理を語れば激しい攻撃を受けることを承知の上で、人類に対して真理を説かれたのです。結果、お釈迦さまへの攻撃に成功した人は皆無でした。本当なら捕まえられて殺されてもおかしくないのに、誰もできなかったのです。それはブッダの智慧がもたらした結果です。お釈迦さまは対話という方法を使いました。決して一方的にしゃべることはしないで、対話する相手の言葉に沿って、相手の口から真理を語らせたのです。そうなると、「人類に過激的なことを教えた」という批判が消えてしまうのです。
仏教に対する攻撃とは、無知・無明である生命の心そのものから起こるものです。人は感情が好きです。感情は汚れだと言われたくないのです。ゆえに、心は真理を拒絶するのです。私たちは、そのことをよく理解したうえで、仏道修行に取り組まなくてはならないのです。