No.57(1999年11月)
悩みは自分の行いから
人は知らず知らず悪い行いをする
なぜ私の人生はうまくいかないのでしょう。なぜいつも何かトラブルが起こるのでしょう。あんなに気をつけていたのに、なぜ自分は病気になったのでしょう。精一杯がんばって大変やさしく子供を育てたのに、なぜ子供がわがままになってしまったのでしょう。真剣にまじめに仕事をしてきたのになぜ私がリストラにあってしまったのでしょう。一生懸命尽くしてきたつもりなのに、どうして離婚することになってしまったのでしょう。なぜ私はいつも失敗ばかりしているのでしょう。なぜみんな、私の陰口を言うのでしょう。仲良くしようと頑張っているのに、なぜ皆とうまくいかないのでしょう。気に入っていたのに、なぜ突然あの人にふられたのでしょう。みんな明るいのになぜ私の心だけが暗いのでしょう。なぜいつも私はつまらなくて退屈でたまらないのでしょう。なぜ何をやっても面白くないのでしょう。なぜやる気が起きないのでしょう。いやなのに、なぜ自分はしょっちゅう怒るのでしょう。気をつけても気をつけても、なぜ、ストレスがたまるのでしょう。なぜ私は知らず知らず、嫉妬したり、他人の悪口を言ったりするのでしょう。
人が普段、不満に思っていることをまとめてみようと考えたのですが、きりがないので、途中でやめることにしました。考えてみれば、どんな人の人生も、何の問題もなく万事うまくいっているわけではありません。大勢の人々がけっこういろいろな不満を抱きながら、生活しています。不満だ、不幸だと思うことを具体的に考え出すと、恐ろしくなるほど数が多いのです。限りない不満はまとめて整理した方がわかりやすくなるかもしれません。
- 他人に対する不満;たとえば、なぜ子供は言うことを聞かないのでしょう、など。
- 自分のからだに関する不満;たとえば、なぜガンにかかってしまったのでしょう、など。
- 自分の性格と心についての不満;なぜ私は失敗するのでしょう、なぜ人間関係がうまくいかない のでしょう、なぜ仕事で認められないのでしょう、なぜ私は暗いのでしょう、なぜしょっちゅう 怒るのでしょう、など。
- 自分でコントロールできない環境についての不満;なぜ会社が倒産したのでしょう、なぜ台風で 自分の家の屋根が飛ばされたのでしょう、など。
さまざまな不満で悩んでいる私たちは、まず、自分の不満が、以上の4つのどれに入るかを理解しておけば、解決方法を見つけやすいと思います。明確に分析すると、不満というのは具体的なものになりますので、具体的な、個々に異なる解決方法が必要です。ここで抽象的に答えてもそれほど役に立たないだろうと思います。
上記のリストに付け加えて考えて欲しいポイントがもうひとつあります。「これさえなければ、或いは、これさえあれば、私は幸せです」と思う人がいます。この病気さえ治れば、子供がまじめに勉強してくれさえすれば、マイホームを建てることができたならば、などです。これは狭い考え方です。ひとつ解決すると、それに関連して新しい悩み、不満が複数生まれてきます。不満は無数にあると思った方がいいかもしれません。
では、不満の解決方法はあるのでしょうか。ふたつ、あると思います。ひとつは、その場その場でなんとかして乗り越えるか、ごまかすか、無視するかです。もうひとつは、なぜ? と、具体的に客観的に原因を見いだすことです。原因を発見しただけで、ほとんど解決したことになります。その両面から、努力した方がよいと思いますが、簡単だからといって一番目の解決方法だけにとらわれることはよくないのです。それだけでは、人は成長しません。同じ問題が再び生まれることを止めることができません。鈍感になって無知のままで生きることにもなります。
正しい解決方法は、二番目です。原因を見いだすことです。そのときには、運命だ、先祖の怨念だ、神の、霊のたたりだ、世紀末だから、など、いい加減な原因を考え出して、逃げ道を探してはいけません。すべての不幸の原因は、自分の心の中に潜んでいます。自己観察さえすれば、徐々に明確にわかってきます。このことは、一般的な仏教の言葉として「行いが悪いからね」という風に言われています。軽い言い方に見えますが、自己観察さえすれば、この意味の深さがわかります。
前出 4. のような、会社が倒産した、地震で家が倒れてすべてがなくなったなどの、自分でコントロールできない悩み以外のすべての悩みが、自分の行いの結果です。人は意志によって行為を行います。この意志自体が、汚れていて、へそ曲がりで、偽善的で、詐欺的で、またそのうえ、これらすべての性質を隠そうとしています。自己観察でこれを見いだして、偽善的な多重構造の心の働きが簡単単純なものになるようにひもとけば、必ず、すべて解決します。
自分にコントロールできない悩み(4.の悩み)だけは、自分の行いに関係ないのではないかとおそらく思うでしょう。たとえば地震が起こるのは自分のせいではありません。会社の倒産もそうかもしれません。でも開き直るのは早いのです。そちらにも何らかの形で自分の行為が関係しています。たとえば土地の値段が安いことに惹かれて、地震の危険が大きいところに、大丈夫だと自分をごまかして家を建てたかもしれません。仕事が簡単だから、給料が高いから、入りやすかったからと欲を出して、実体がはっきりしない会社を選んだかもしれません。そのような理由がひとつも見いだせない場合は、自分の過去生の行為の結果かもしれません。過去生のことは普段理解しにくいものですから、今現在の自分の心をとことん観察し追求して、行為と結果の関係を見いだすべきです。現在の心に何も原因が見つからない場合のみ、もしかすると過去の行為ではないかと推測してもかまいません。過去の行為は、今さらどうにもならないのですが、これから良い行いをするための励みになるでしょう。
自己観察しない愚か者は、気が付かずに悪い行いをして、あとで限りなく悩むことになります。
今回のポイント
- 不満、悩みは、分類して単純化しましょう。
- 人の苦しみ、悩みは、その人の行為によるものです。
- 自己観察は、苦しみから脱出する唯一の方法です。
経典の言葉
- ha pāpāni kammāni – karaṃ bālo na bujjhati,
Sehi kammehi dummedho – aggi daddho’va tappati. - 悪い行いをする愚か者は、それでもそれに気が付かない。
(不注意で)大やけどした人のように、浅はかな愚者は、自分自身のしたことによって悩まされる。 - (Dhammapada 136)