「私」を離れて、生きるエネルギーを取り戻す(子供たちとの対話より)
パティパダー2012年2月号(174)
私は「みんなの役に立つ人間になる」ことを実践したいと思っています。それに関連してお聞きします。「怒らないこと」という本を読んだのですが、本のなかに、自分が怒りや嫉みが起きないように意識する、実践が書かれていました。たとえば怒って「コンチクショー!」と思うときがあったら、怒っている自分からちょっと離れてそれに気づけば、怒りが収まるというようなことが書いてありました。そういうことは実際どうやったらできるのか、本を読んでいてもコントロールの仕方がなかなか、分かりにくいので教えて欲しいのです。
◇自分を他人のように、「〇〇さん」としてみる訓練法
自分を外に出して見る、という方法があります。自分のことでも、「私」と見るのではなく、「この人は」と見る。自分で「この人は怒っている」、「この人は混乱している」というふうに見られるなら、怒りは瞬時に消えるのです。
そのためには自分を他人にして見る訓練をすることです。仏教で冥想といっているのは、その訓練です。自分の身体の感覚を、そのまま客観的に見てみると、すぐにその能力がついてきます。それは少し訓練をしてみないと、すぐには見られないのです。
しかし、やってみてください。自分のことを他人のようにして、悩んでいるときでも「この人は悩んでいますね」とか、例えば自分の名前が田中だとしましょう。「私は悩んでいる」とは言わないで、「この田中が悩んでいますね、このバカ者が」というふうに見ると、いきなり悩みが消えてしまうのです。
カンカンに怒ってしまったとします。怒りにかられて恥ずかしいことをしたり、おかしくなったりしたら、すぐに自分で「この田中が、怒りに狂っていますね」と言ってしまえば、その場で怒りは消えてしまいます。
ですから、「私」という言葉は使わないこと。憶えておいてください。それで上手くいきます。「私はいま、ひどく悩んでいます」とは絶対に言ってはいけません。「この田中が、コイツが悩んでいる」と。むちゃくちゃ悩んでいたとしても、バカバカしくて、恥ずかしくてたまらない、というふうに自分を第三人称にするのです。秘密は「私は~」という主語を使わないことです。
皆さんもいろいろ発表会などがあると、緊張したりするでしょう。これから試験もあるでしょう。緊張したときに「私が」ではなくて、「(自分の名前)が緊張して恥ずかしいな」と一言いったら消えます。これはとてもいい訓練になります。
この、「私は」という言葉を使わない方法を応用して、日記を書くときでも、自分の名前とかあだ名とかを使って、「~さん・~くんは……です」と書いてみてください。問題は全部消えていくのです。それは仏教で「自分を客観的にみる」、科学者のように客観的に見るという方法です。
◇人は驚異的なエネルギーを持って生まれる
いまの質問に関連してここから、私たちがもっと自分の能力を発揮できるように、「生きるエネルギー」を増やしていく方法についてお話したいと思います。この方法を訓練すると、超人のように抜群に能力を発揮して生きていられるようになります。
みなさん、小学生になる前の人生を憶えていますか? 小さいとき、幼稚園に入る前とか、幼稚園ぐらいのときを、しっかり憶えておいてください。かつては赤ちゃんでしたけど、もうとっくに赤ちゃんだったことを忘れているでしょう。私は憶えていますよ。それは憶えておいた方がいいのです。
なぜかというと、生まれた時はみんなすごいエネルギーを持っているのです。皆さんもこれから経験があると思います。子供が生まれてきた途端に、まわりが全部変わってしまいます。家の中が一日で変わるのです。お互いに呼ぶ言葉まで子供中心に、お父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃん、となってしまう。子供がいない場合は自分の両親にお父さん、お母さんと言っているでしょう。子供が生まれたその日から両親はおじいちゃん、おばあちゃんになる。子供中心に全部変わってしまうほどの大きな力なのです。
ですから、私たち一人ひとりは世界を変えるぐらいの力(エネルギー)を持って生まれているのです。それが、どんどん大きくなってくると、家に帰っても誰ともしゃべらない。お父さんともしゃべらない、お母さんともしゃべらない、自分の部屋に入って黙っているのです。力がなくなっているのです。明るさがなくなっているのです。
力や明るさが残っている人々は、政治家になったり有名になったりする。有名人を見てください。すごい力を持っています。しかし、その力はみんなにあります。
◇エネルギーは大人になると委縮する
この力がなぜ無くなるのかというと、幼稚園に行った途端に怖くなってしまって、何か訳が分からなくなるのです。それで明るさが少し消えてしまう。それで小学校に入ったら、もっといろんなやることがいっぱい出てくるでしょう。幼稚園よりも小学校は大きいし、友達の数も増える。それでなんとなく怖くなってしまって、心配して、自信がなくなって、あの力(エネルギー)が消えてしまう。そんな感じでどんどんエネルギーが消えて、大人になる頃には、なんの光も輝きもない、ただの生き物で終わってしまいます。
ですから、小学生の子供たちはすごく面白いんです。幼稚園の子供たちはもっと面白いんです。この面白く、明るく、元気でいることを、なんとかしてあのエネルギーをずっと保ち続けられれば、たいへんありがたいと思います。
◇有名人の生命力
皆さんの体には、特別な「電池(バッテリー)」が入っています。この電池とは「生命力」のことです。生きるパワーです。この有効期限は、一応死ぬまであって、電池は壊れないのです。電池をきちんと充電している人々は、死んでも世界が忘れないのです。死んで1000年とか2000年とか経っているにもかかわらず、いまだに私たちがその人の名前を憶えている人がいるでしょう? 例えば、お釈迦様のことは世界でかなり知られていて、大学でもビシビシ研究されている。亡くなっていても、まだまだパワーが残っている。アリストテレスやアインシュタインや、そういう人々の名前を知っているでしょう? 音楽関係だとベートーベンやモーツァルトとか。
私たちはお墓に名前でも彫っておかないと、それでも家族は忘れてしまいます。皆さんも自分のひい爺さん(曽祖父)の名前とかは、とっくに知らない。しかし、皆さんの家に誰か大物がいたならば、それは自慢します。そういう人生というのは悪くないのです。
死んでしまっても人類が忘れない人間、忘れられない人間、忘れようとしてもできない人間もいます。その人々は悩んだり、くよくよしたり、怒ったり、ケンカしたり、人を憎んだり、そんな余裕はなかった。一日に自分の仕事をするのです。
アインシュタインという人も、あれこれと悩んだりする暇がなかった。毎日毎日、自分の一日の仕事をしっかりとする。それで死ぬときも、あの生命力が、あの電池(エネルギー、パワー)が満杯に充電されていたのです。人類はそういう人々を忘れません。いまだにそういう人々の恩恵を受けて助かっているのです。
クラシック音楽でもベートーベンやモーツァルト、ショパンなどいろんな人がいるでしょう。私たちは今でも深い尊敬の念を抱いて、そういう人たちが遺した曲を演奏してみるのです。ショパンのピアノ曲は、現代人も苦労して訓練して訓練して演奏します。そういう人々は、決して悩んだり、くよくよしたり、怒ったり、ケンカしたり、人を憎んだり、そういうことを思わなかったのです。
有名な画家たちもいるでしょう。世界に残る絵を描いてやるぞ!と一度も思ったこともないのです。バチカンにある絵を描いたミケランジェロはローマ教皇とケンカしながら、自分の仕事を完成しました。自分が描きたいように描かせてくれと言っても、ローマ教皇は頭がおかしいのですから描かせてくれない。ローマ教皇が言うものは画家として描きたくない。「画家として、こういう仕事を頼まれたのだから、自分の仕事をやる。あなたはお金を出したからと言って文句言うな、私がやりたいようにやります」と。ですから、いまだに残っている作品は、人類がありがたく思う大傑作となっているのです。
◇生命力の漏電:私が~・怒り・欲・悩み・落ち込み
その生命力の秘密を憶えておいてください。皆さんの生命力という電池のエネルギーを漏電しないように生きてほしいのです。どんな時に漏電するのかというと、まずこの「私」という言葉なのです。これは怖い言葉です。「私が、私が、私が」というふうに、いつでも思ったり、考えたりする度にエネルギーが消えていってしまう。その時は充電しない。
一番大きな問題というのは、怒ったりすること、それから余計に世の中を見て、あの人のようになりたい、あのファッションをしたい、あの髪形にしたいとか、いろんなことをやりたくなるでしょう。世の中にいろんな新しい有名人が出る度に、皆さんもそれに体を合わせようと思ってしまうと、これは無理ですよ。欲があり過ぎなのです。それで電池が切れてしまう。
あるいは怒らなくてもよくあることは、悩んでしまうでしょう。悩むことも仏教の世界では怒りだというのです。落ち込んだりするでしょう? それも怒りなのです。悩んだり、落ち込んだりしてしまうとエネルギーが漏電するばっかりで、充電しないのです。
◇エネルギーアップの秘訣は、明るく生きる
ですから、いつでも「私に言われたことは完璧にやります」と自分の一日の仕事はしっかりとする。一日の仕事をしっかりとした途端、いきなり電池が満杯になります。疲れることは関係ないのです。例えばクラブ活動でクタクタに疲れても、お腹いっぱいご飯を食べて寝ちゃえばいいでしょう。それはどうということはないのです。クラブ活動で疲れて「こんな人生は嫌だな」「なんでこんなことやらなくちゃいけないの」とか、そうなってくるとエネルギーが消えてしまうのです。
ですから、毎日一日の仕事はしっかりとする。それから明るさ、笑うために理由は要りません。ただ笑ってしまえばいいのです。なんのことなく笑っていると、またエネルギーがどっと上がってくるのです。どんなことにでも笑ってしまう人間になってしまえば、みるみる頭が働きます。頭がよく回転するのです。脳はそういう法則なのです。笑っているということは、悩まないという意味です。どんなことが起きても笑えれば、そこに悩みはない。すぐに答えも見てきます。ということで、よく笑うことを憶えてください。
よく笑って、勉強するときでもニコニコと心の中で笑いながらすると全部憶えてしまうのです。自分だけの漫才を作ってください。漫才のネタは数学でも生物学でもなんでもいい。そこで自分だけの、自分特有の漫才を作って、自分で笑っている。みんなにバカにされてもいいから、自分が作った漫才をみんなにも言ってみる。サブいと言われても、それに笑ってしまえばいい。自分の冗談がウケなかったら、ウケなかったことに自分が笑ってしまえばいい。
「悩む」ということは怒りなのです。悩んだ途端、エネルギーが40%ぐらい落ちてしまいます。生命力の電池エネルギーが落ちることは危ないのです。なぜかというと、充電が難しくなるからです。ちょっと一日、二日学校を休んだら、友達のことも学校も全部嫌になってしまった、という話がありました。一日ぐらい休んでも死にませんし、どうということはありません。一ヵ月間学校に行かなくても、それはどうということはない。勉強だって家ですればいいだけの話です。
問題は、一日学校を休んだらエネルギーが落ちることです。バッテリーが充電しないのです。ですから次に学校に行くことが大変難しくなってしまうのです。
たとえば仲のいい友達とケンカしてしまったとします。一日40回ぐらいケンカしたとしても、どうということはありません。ケンカしてしまって怒って二人が別れてしまう。別れても友達ですから、また仲良くしたいでしょう。でも自分も相手も、もう怒っていないにもかかわらず、しゃべれないのです。「おはよう」という、その一言が言えない。ですから、一人はあっちを向いて、もう一人はこっちを向いてずっと座っている。これが問題なのです。仲のいい友達ですから、何かのきっかけでまた話をするようになって元に戻りますが、戻るまでは元気もなくなって、ひどく苦しいのです。
ですから、そこが生命の大変ややこしいところです。ケンカしたとしてもどうってことはないのですが、ケンカした時点で自分の生命電池が全部減ってしまう。それをまた充電して、「この間ケンカしてゴメンね、また仲良くしよう」と言えなくなってしまうのです。
そういうことで、みんな大事な生命エネルギーがなくなっています。ですから、赤ちゃんのとき、幼稚園のときのように明るくいられるといいのです。子供はちょっとしたことで泣きます。小さな子供がギャーギャーと泣いていても、あっちに花が咲いているよと言った途端、もう泣き止んで花を見ている。これって面白いんです。子供にはエネルギーがあるから、涙を流しながらワンワン泣いていても、ちょっとしたことですぐに笑います。
皆さんのいまの年では、もうそれはできないのです。悲しくなったら一週間悲しいままで、むちゃくちゃになってしまいます。それだったら、楽しくなったらずっとそのままでいればいいでしょう。でも、それはできないのです。楽しくなっても、すぐに消えてしまいます。嫌な気分の方は長持ちするのです。これはとても危険です。それを何とかした方がいいのではないかと思います。
◇生命力アップの訓練
ですから、いつでも笑う癖を作ること。いつでも人のことを心配する癖を作ることです。ほんのちょっとのことでいいから、人を助けてあげたりする。友達が教室から出ていくときに、「はい、あなたのカバン」と出してあげるだけ。自分の履物を出して、ついでに友達の分も「はい、どうぞ」と出してあげる。それだけで充分です。それで自分の性格が明るくなって、人を助けるような人間になっているのです。友達の履物をついでに出しただけでも、その子との友情関係が強くなっているのです。その人の心はとっくに明るくなっているのです。
そうやって私たちは、生命のエネルギーがなくならないようにすると、皆さんはもしかするとベートーベンやモーツァルトみたいな感じで、将来教科書に載るかもしれませんよ。人間のことは知ったことではないのです。教科書に載っている人々は結構いるでしょう。そういう人々は、大事なエネルギーをなくさなかったのです。それは生まれたときは、誰でも満タンにあります。
辻井伸行さんという目の見えない青年が、ピアノコンクールで世界の第一位になったでしょう。日本でも人気があって、いろんなところで演奏して、世界的なピアニストとして生活しています。まだまだ二十代前半の若者です。目が見えないのだけど、「僕は目が見えないから、あれもできない、これもできない」「一人で歩くこともできない」「お母さんがいないと何もできない」とか、そんなことに悩んでいる暇はないから、お母さんがちょっとピアノを教えたところで、息子の辻井さんも喜んでピアノを学んだのです。それで世界一流のピアニストになってしまった。
ということは、生まれるときは誰でもすごいエネルギーを持って生まれるのです。工場で品物を作るのと同じで、人間が生まれると電池が一個一個みんなについています。弱い電池は入っていません。全部同じ電池です。私たちの使い方が間違っているだけ。使い方が間違っているということは、生き方が間違っているという意味です。
いつも怒っている人は、やがて人殺しまで犯します。テロ行為までします。テロ行為したら、それでその人の人生は終わり。でも、せっかく人間として生まれたのだから、地球に咲く花になってほしい。花のように生きてほしい。花というのは、自分勝手に咲いているけど、やはり見ると楽しいのです。私が花を見てキレイだなぁと褒めたところで、別に植物が、「大変だ、私は忙しい、みんなにキレイに見せるために疲れた」ということはないでしょう。花がただ勝手に咲いているだけで、私たちに楽しみを与えられているのです。
人間も、そのように生活できます。自分がいるだけで環境が明るい。自分がいるだけで自然が守られる。そういう人間として生きていられます。大変なことではないのです。大変だと思うとできないのです。
人のマネをしようとすると難しいかもしれません。有名な画家の話を読んで、あの人と同じ絵を書きたいと思ったらできなくなります。ある絵を描く人が私に聞いたのです。「立派な売れる絵を描きたいのですけど、どうすればそんなものが描けますか」と。私の答えは、「あなたは売れる絵を描かないで下さい。そんなものを描くと気持ち悪い。あなたが見るだけで楽しくてたまらない、描きたくてたまらない絵を描いてみてください」と。自分で描きたくて、描くときは楽しくてたまらない絵だったら、他の人にしても楽しくてたまらないのです。「じゃあ頑張ってみます」と言って別れましたが、芸術の場合は難しいのです。
◇「私に楽しい」はハタ迷惑
私は人生の中でいろんな人を見てきました。日本でも大成功している人々も知っていますが、本人はただ単に生きているだけです。しかし楽しく生きているのです。自分が楽しいとやっていることは、みんなにも楽しい。それだけで上手くいくのです。そういう人生を考えた方がいいと思います。
ですから、「私」という言葉を忘れてください。「これは私には楽しい」と言ってしまうと、ちょっと問題です。あなたは勝手に楽しいかもしれないけれど、周りの人は楽しくないのです。たとえば自分が部屋でバカでかい音量でステレオを聞いていると、私にとっては楽しいですが、はた迷惑ということになります。そこで「自分(私)」ということが出てくると、世界がそれを阻むのです。
そこで、「私は…」という言葉が消えてしまうと、誰も何も言いません。自分が楽しいことは、みんなにも楽しいのです。それで上手くいきます。自分がただ楽しく歌ったら、周りも楽しくなってくる。すると「あぁ、いいですね。もう一曲歌ってください」と言われるのです。
そういう訳で「私は」という言葉を人生から抜いて生きてみると、素晴らしい人間になります。エネルギーは消えません。エネルギーはどんどん生まれてきます。生まれるときはどんな身体で生まれても、バッテリーは同じです。目が見える人も、目が見えない人も、耳がよく聞こえる人も、聞こえない人も、美しい声を持って生まれる人も、とんでもないしわがれた声の人も、同じバッテリーを持っています。ですから、それはどこかで使えるところがあるのです。それは、その人の能力・才能というのです。
◇友人を認めることで、自分の才能が見えてくる
人といっぱい仲良くして、人のことを褒めて、人のことをいつでも感謝して、冗談をよく言う友達がいるとしましょう。冗談をいくら言っても全然面白くない。それでも貶してはいけません。「世界一笑えない冗談で、めちゃくちゃサブい。ちょっと私たちを凍らせてください」と、そういうふうに明るく言うと、逆に褒めていることになります。ですから人をバカにするときでも、褒める・認める気持ちで、友達をバカにしてみてください。バカにはしているのだけど、どこかで認めているのですね。人のアホなところも何となく、この人はアホに決まっている、それが面白い、仲間の中にアホが一人いないと寂しいんだ、という感じで認めてあげてください。
友達を認めて、友達がいいことをしたら褒めてあげるようにすると、結果として自分の才能が見えてくるようになります。自分の才能が見えてくれば、自分がその才能で生きてみればいいのです。「自分にはこれができる」と分かったら、それで自分の人生を生きてみればいい。そういうふうに一人ひとりが持っているすごい能力を発揮してみてください。死ぬまで楽々で生きていられます。生きることはそんなに大変ではないのです。
そういうことで、頑張ってみてください。