No.184(2010年6月)
聖職者も安全ではない
まことの聖職者はこころを清らかにする Spiritualism is a world of chaos.
経典の言葉
Dhammapada Capter XXⅡ NIRAYA VAGGA
第22章 地獄の章
- Kāsāvakanthā bahavo
Pāpadhammā asaññatā
Pāpā pāpehi kammehi
Nirayaṃ te upapajjare
- 袈裟をば首にまといつつ
性 罪深く自制なき
悪人達は悪業で 地獄に再生するならん - 訳:江原通子
- (Dhammapada 307)
ダンマパダの註釈書に、このようなエピソードがあります。ある日モッガッラーナ尊者とラッカナ尊者が霊鷲山を降りてきました。その時にモッガッラーナ尊者が、体が骸骨である餓鬼の一群を見て微笑みました。ラッカナ尊者が「友よ、なぜあなたは微笑んだのですか?」と訊きました。「そのわけは、お釈迦様の前で訊いていただけませんか」とモッガッラーナ尊者が答えました。
お釈迦様の前で、モッガッラーナ尊者は自分に見えた餓鬼の姿を報告されたのです。
「私は空を飛んでいる五人の餓鬼を見ました。体は骸骨でした。しかし皆、衣をまとっている比丘の姿でした。彼らの身体についていた三衣は、ゴウゴウと炎をあげて燃えていました。持っていた鉢も燃えていました。腰に巻いていた帯も、その他の僧具も、燃えていました。彼らは激しく泣きわめき苦悶していたのです。」
それからお釈迦様が、その五人の餓鬼の因縁を語られるのです。過去、カッサパ正覚者の時代、この五人が出家したのです。しかし、戒律を守ることなく、心を制御することなく、悪行為にまみれて、思うがままに生活していたのです。その悪行為の結果として、いま、餓鬼道に堕ちて苦しんでいるのです。(カッサパ正覚者とは、お釈迦様の前に世に現れたブッダのことです。ですから、一劫経っているのです。)その時、お釈迦様の前に座っていた比丘衆の中で、戒を守ることに興味がなく、悪行為に染まった比丘たちがいたので、彼らの行為の結果を示すために、「袈裟を頭から纏っていても、性質(たち)が悪く、つつしみのない者が多い。かれら悪人は、悪いふるまいによって、悪いところ(地獄)に生まれる。」(ダンマパダ307 中村元訳)と、説法なさったのです。
ここでエピソードが終わります。お釈迦様の在世の時でも、破戒坊主たちがいたのでしょうか、という疑問が生じます。一般人が出家して、それから修行に励んで覚りに達するのが仏道ですが、覚りに達するまでは凡夫なので、いろいろ間違いを犯してしまっても、決して不思議なことではありません。完全無欠だと言えるのは、覚りに達したサンガのことです。しかし、悪行為に染まった堕落した出家者が多いと、心配するほどの状態であったとは、決して思えません。註釈書にある過去ブッダの出家のエピソードは、ダンマパダの307の偈の出典であるイティヴッタカ2の11にも、その註釈書にもありません。
ということは、堕落した比丘集団のことを新たに創作する羽目になったでしょう。お釈迦様が出家比丘たちをしつけしながら説法するので、仏説はすべて出家比丘たちの戒めとして受け取ることは、当然なのです。
堕落した比丘たちがその時いなかったとしても、いろいろ間違いを犯したりして、「まだ凡夫で修行中の身なので、しょうがない」という軽い気持ちでいた人々は確かにいたかもしれません。真剣に修行に励まない比丘たちに対する躾は、人類に一般的に関係のある説法ではないと、無関心になることも可能です。しかし、ブッダの言葉には制限された意味があるとは思えません。律蔵のように、出家比丘たちだけの参考マニュアルであっても、一般の人々にも勉強になるところはあるのです。
ですから、お釈迦様のこの言葉の意味を考えてみることにいたしましょう。Kāsāvakanthakā とは、首に褐色の衣をまとっている、という意味です。この場合の首とは、肩のことです。褐色の衣をまとって生活していたのは、仏教の出家だけではありません。当時のインド社会は、宗教に関しては不思議に寛容的で自由だったのです。組織をくんで特別階級をつくって排他的になろうと思っていたのは、バラモン教のバラモンカーストの人々だけです。バラモン人の中でも、伝統に縛られることなく自由に真理を探し求めた人々もいたのです。宗教は文字通りに自由だったので、誰でもその気になれば宗教家を名乗れたのです。自分が好きなことを他人に教えればよいのです。宗教家として、自分好みの生き方をすれば、問題ないのです。服装も自分好みのものにすればよいのです。ですから、仏弟子たちと似た服を他宗教の人々が着てはいけないと、特許を主張することはブッダにはできなかったのです。さらに面白いことは、宗教家の服として褐色はブッダ以前から現代まで流行なのです。いまも仏教の比丘たちとほとんど似た黄色い服をまとって生活している他宗教の人々が、インドにたくさんいるのです。
インドの宗教家は、在家の人々のお布施で生計を立てるのが普通の習慣です。お布施を貰うために旅に出たくない人々は、占い・祈祷などで生計を立てるのです。宗教が文字通りに自由であることの最終結果は、宗教が生計を立てるためのもう一つの手段になることです。財産を持たない、土地を所有できない、他に収入を得る道もない人々は、インドにあり溢れているのです。その意味は、インドは宗教大国でもあることです。それから、豊かな人々は目が回るほど豊かなだけではなく、迷信にしがみついているのです。彼らは宗教家にいくらかお布施をすることは惜しまないのです。それで「宗教経済」はうまく機能しているのです。
仕事がない人、仕事ができない人、仕事をしたくない人、楽をして収入を得たいと思う人、一般社会で対等に活動できない人などが、宗教生活に飛び込むのです。それはあくまでも身を守る手段なのです。
それで新たな問題が起こるのです。真剣に精神世界に興味ある人々、俗世間の欲から離れたいと思う人々、こころ(魂)を清めたいと思う人々も、宗教の道に入らなくてはならないのです。それで宗教世界は、性格的に言えば天と地ほども差のある人々の集まりになるのです。
どんな信仰かは関係なく、「宗教界」について一般的な規範基準を設けることは、昔もできなかったし、現代でもそれはできないのです。常識的に見れば犯罪行為ではないかと言えるものでも、宗教が割り込んでくると、宗教の儀式・儀礼・習慣になる場合もあるのです。昔は神のために生け贄を捧げたのです。
アフリカの28カ国では、いまも女子割礼という名のもとに女児の性器を損傷することが行われています。その女性たちは、後遺症で一生苦しむはめになるのです。麻薬は法律違反ですが、信仰の一つであるならば、幻覚を引き起こすキノコを食べることも、麻薬の煙を吸うことも、「ありがたい」行為なのです。
日本でも、一般人を危険にさらす遊びは法律で禁止なのですが、危険な宗教祭りはいくらでもあるのです。初期時代のローマ教皇たちも、気に入らない人々を逮捕したり、拷問したりしたのです。神の名のもとで戦争を応援したのです。第二次世界大戦でドイツ軍がユダヤ人を排斥したことに反対するどころか、ヒットラーを敬虔な信者さんとして認めたのです。
このような問題があっても、宗教界が普遍的に守るべき規範基準を定めることはできないのです。もし誰かがそれをしようとすると、宗教の自由を侵害したと批判を受けるのです。しかし信仰は何であっても、国の法律は厳重に守るべきだと言わざるを得ないのです。日本ではこれは常識の話ではないかと思うかもしれませんが、いまだに難しい問題です。国の法律を俗世間の法律にするべきか、シャリーア(イスラム法)にすべきかをめぐって、イスラム教の国々では政争が続いています。宗教家は国の法律で裁けないという不起訴特権を取りたいか、宗教的な法律を押し付けて関係のない人まで苛めたいか、どちらかなのです。
お釈迦様もやむを得ず宗教界の中で人類に真理を語らなくてはいけなかったのです。しかし、宗教界の問題は痛感していたのです。どんな信仰かと関係なく、聖職者たるものが歩むべき普遍的な道(生き方)を語るようにと努力したのです。慈悲喜捨の実践を紹介するときは、あえてそれは宗教管轄外の、また人間なら誰でも実践するべき道として、説かれたのです。もし宗教や信仰がバラバラであっても、人々が一切の生命に対する慈しみの気持で生きているならば、いままで宗教界が引き起こした社会問題はひとつも起こらないことでしょう。三宝に帰依することは、お釈迦様が一般人に説法するとき強調しないのです。ブッダが語る真理を体験したいと自発的に思う人にのみ、三宝に対する帰依を必要条件とするのです。経典を学んでみると、三宝を信仰することは要求していないと分かるのです。代わりに、一切生命に関わる普遍的で変わらない真理のみ語るのです。不殺生などの戒律を教える場合も、人間なら誰でも守るべき道ではないか、という調子で説くのです。
お釈迦様と他宗教の行者たちとの対話は、宗教家たるものが信じるべき真理、歩むべき道がテーマになっているのです。お釈迦様が「仏教」という特別な宗教を作ることではなく、人類に共通する誰でも歩むべき道を解き明かしたのです。たまたまその教えを実践する仲間が「仏教徒」になったので、仏教も宗教の一つとして世界に認められるようになってしまったのです。社会の組織としてみると宗教ですが、中身は宗教ではないのです。お釈迦様は自由に他宗教の人々と対話を行ったのです。議論もしたのです。しかし、宗教界の誰でも対話の相手になったわけではないのです。真剣まじめに精神世界に励む人々、真剣に真理を発見したいと思う人々だけ、対話の相手になったのです。生計を立てる目的で宗教の鎧をかぶって、好き勝手に生活する人々は無視したのです。
褐色衣をまとっている人々が多い。しかし、悪行為をしている。こころが乱れている。この悪人たちは自分の悪行為によって不幸(地獄)に堕ちるのだ、というこの言葉は、ブッダの弟子たちの生き方を心配して説かれたのではなく、「宗教界」の問題について語られた言葉だと思います。ブッダの言葉の価値は普遍的なので、現代の宗教界にしても、この言葉は適応できるのです。
人が何を信仰しているのか、ということは問題にならない。信仰する神がエホバであろうが、アッラーであろうが、ラーマ、ブラフマ、ヴィシュヌ、シヴァであろうが、天照大御神であろうが、好きなものを信仰すれば構わないのです。しかし、問われるのは人がどのような行き方をしているのか、ということです。こころが汚れているならば、その人の思考も、言葉も、行為も、汚れているのです。汚れた行為で自分を破壊し、他人にも迷惑をかけるのです。皆が不幸になる生き方をすることは、正しいとは言えないのです。人が幸福を目指すならば、罪を犯さないことと、こころを清らかにすること以外、何によっても成り立たないのです。信仰のみによっては、こころ清らかにすることも、死後天界に生まれることも危ういのです。信仰があってもなくても、こころを清らかに保つことに挑戦して、清らかな思考、清らかな言葉、清らかな行為をおこなって生きるならば、この世で幸福になることは避けられないのです。
万が一、死後がないとしても、その人は成功しているのです。死後があるならば、その人は死後も成功するのです。お釈迦様がそれを力説なさったのです。
ダンマパダでは、「頭髪が白くなったからとて〈長老〉なのではない。ただ年をとっただけならば「
「他人に食を乞うからとて、それだけでは〈托鉢僧〉なのではない。汚らわしい行いをしているならば、それでは〈托鉢僧〉ではない。」(266偈 中村元訳)
托鉢、食を乞うことは、パーリ語で bhikkhati です。出家比丘たちはパーリ語で bhikkhu と言います。原語から言うと、食を乞う人は、比丘と呼ばなくてはならない。しかしお釈迦様は、托鉢することが比丘になる資格ではないと説くのです。資格のある比丘とは、こころを清らかにする修行者のことです。バラモン人に対しても、似たような戒めをなさったのです。
バラモン人はヴェーダ聖典を唱えること、供犠を行うことで、梵天と一如になるのだと信じていたのです。
お釈迦様は、梵天はどのような性格なのかと訊くのです。相手の返事を待たずに、「梵天は一切の生命に限りのない無量の慈しみ、憐れみ、祝福、平等(慈悲喜捨)のこころを持っているのでしょうか?」と誘導するのです。バラモン人は腰を上げて、「はいはい、その通りです」と答えるのです。それでお釈迦様は、「性質がまったく相反するものは、一つに合体しないでしょう。君たちが梵我一如を目指すならば、一切の生命に対して無制限に無量の慈悲喜捨を実践するしかないでしょう。そうなると、梵天の性質も君たちの性質も同一なものになるのです。同一なものが一緒になることは確実です」と説かれるのです。
ダンマパダ183で、「一切の罪を犯さないこと。善に達すること。自らのこころを清めること。これが諸仏の教えである。」と説かれました。お釈迦様は、時代によって変化する必要のない、人類共通の宗教(生き方)を語られたのです。
今回のポイント
- 信仰の自由にも管理が必要です
- 宗教界は詐欺師のオアシスでもあります
- 信仰より人の行いが問われます
- 人類の宗教とは「こころ清らかにすること」です