パティパダー巻頭法話

No.193(2011年3月)

最前線に立つ戦象

逆境に対応するブッダの方法 Success is the production of adversaries.

アルボムッレ・スマナサーラ長老

経典の言葉

Dhammapada Capter XXIII NĀGA VAGGA
第23章 象の章

  1. Ahaṃ nāgova sangāme Cāpato patitaṃ saraṃ
    Ativākyaṃ titikkhissaṃ Dussīlo hi bahujjano
  2. Dantaṃ nayanti samitim Dantaṃ rājābhirūhati
    Danto settho manussesu Yotivākyaṃ titikkhati
  3. Varamassatarā dantā Ājānīyā ca sindhavā
    Kuñjarā ca mahānāgā Attadanto tato varaṃ
  • 戦場で 弓の箭をよく忍ぶ 象の如くに我も亦
    世の誹謗そしりをば耐えんかな さが悪しき人多かれば
  • 調御の象は集会しゅうえに参じ 王は調御の象に乗る
    己れ調御し誹謗そしりをば 耐ゆるは人中超越者
    死して善趣に到らなん
  • 躾けられたる騾馬も良く 気高きシンドウ駿馬しゅんめ良く
    クンジヤラ-の巨象良く 調御の自己は更に良し
  • 訳:江原通子
  • (Dhammapada 320-322)

注釈書のお釈迦様と経典のお釈迦様

お釈迦様には、すべての人間を乗り越えた能力と智慧がありました。梵天と天界の神々も乗り越えていたのです。引いて言えば、一切の生命を乗り越えて、涅槃という超越した境地に達していたのです。
経典を読んでみると、お釈迦様には人間には決して敵わない能力があったことが明らかになります。その能力について注釈書で解説すると、お釈迦様が何でもできるスーパーマンのように誇張されるのです。
お釈迦様の身体から半径一メートルの大きさで六色の光が出ているとか、その光が頭頂で束ねられて梵天まで届いているとか記されています。常識はずれの現象がたくさん備わった人物が生きているならば、人々はひと言の文句もなく、その方の話を信頼するでしょう。それなら、お釈迦様の四十五年間の伝道活動が楽ちんなものになるのは当然でしょう。

しかし、現実は違いました。お釈迦様の智慧と能力が他の生命を超越していたことは確かですが、それは誰にも理解できなかったのです。はるかに優れた智慧を持つ方の智慧のありさまは、俗人に理解できるものでもありません。超能力や奇跡を見せて人を驚かせて、感動させて、自分の教えを信じるようにするならば、それは品のない詐欺師まがいのやり方なのです。仏教は智慧の教えなので、人が説法の内容に納得しないと意味がないのです。師匠の教えに納得するためには、師匠と対話しなくてはいけない。議論を出さないといけない。反論を試してみなくてはいけない。分からなかったことを繰り返し説明してくださいと頼まなくてはいけない。スーパーマン相手に、超人相手に、そんなことが出来るはずもないのです。師匠が、一緒にご飯を食べて、一緒に生活する仲間の一員なら、議論も反論も対話もできるのです。

お釈迦様が超人を演じたことは、経典には記されていないのです。しかし、TPOに応じて、自分が達している超越的な智慧と能力の中身を発表することも度々でした。それは仏教を伝道するためのセールスポイントには一切使われていないのです。お釈迦様は一般人と一緒に生活しました。誰とでも対話をする、誰でも気楽に言葉をかけられる人物だったのです。「この森は静かで美しい」などと一般人が言うような感想も述べたのです。弟子たちが、声を出して会話をしているとき、「魚売り場の漁師たちみたいにうるさい」と叱ったりもしました。比丘たちと一緒にいると、お釈迦様の顔を知らない人にとっては、どの方がお釈迦様かと教えてもらわないと、分からない時もありました。経典に見えるお釈迦様と、注釈書などで見えるお釈迦様は、似ても似つかぬ存在です。注釈書の超人的なお釈迦様よりは、経典に出てくる人間的なお釈迦様の方が魅力的だと思います。人間的なお釈迦様が、人間には敵わない人格者だったのです。

お釈迦様の孤独な闘い

ですから、お釈迦様が超能力を駆使してマジシャンのような出し物をして、軽々と説法して仏教を楽々に広げたと思うならば、とんでもない間違いです。
一時期、世界で一番大きい宗教が仏教だったこともありました。仏教が世界三大宗教の一つであることは、これからも変わらないだろうと思います。しかしここまで仏教が世間に知られたのは、お釈迦様に超人的な能力があったからではないのです。超越した智慧があったからです。それから、じりじりと挫けずに努力したからです。

巨大なインドで、ほぼ二千年の伝統あるバラモン人の宗教文化のなかで、たったひとりだけ、覚りに達したのです。インドでは、知識人として仰がれる頃には老年になっているのが普通です。頭が良くても、若者は見習い格です。覚りに達したお釈迦様は、残念ながら若者でした。「髪の毛が黒い若者のくせに、最終解脱者と自称する」と年上の人々に批判されることも度々でした。バラモンカーストの人々は、宗教は自分たちだけの専有物だと公言していました。
「頭が禿げている、梵天の足裏から生まれた沙門たちには、聖なる世界は縁のない話だ」とバラモン人たちに貶されたケースも、経典に出てきます。沙門たちとは、バラモン人が宗教を独占して一般人を搾取していることに反対した、プロテスタント的な宗教家たちのことです。正統派のバラモンたちから見れば、排除するべき異端者以外の何者でもありません。
お釈迦様も宗教家だとするならば、正統派の一員ではなく、異端派の一員になるのです。異端者の信仰は多種多様でした。魂の永遠不滅を語る人から、唯物論を語る人までいました。学説は違っても、彼らは同じ問題を探求していたので、仲間として互いを認めていました。

ではお釈迦様も仲間にしてくれたかというと、そうではありません。異端者のグループは、釈尊をバラモン教の一員だと認めなかったのですが、自分たちの仲間としても認めなかったのです。当時のプロテスタント派は、お釈迦様を異端者としていたのです。正統派から見れば異端者で、異端者から見ても異端者でしたので、お釈迦様の立場は最悪でした。
この状況は、お釈迦様がよく理解していたのです。「自分は真理を発見しました。苦しみを乗り越えた。修行者が達するべき目的に達して、修行を終えた。自分が発見した真理は、未だかつて誰にも発見できなかった、深遠で理解しがたいものです。たとえ語ろうとしても、誰ひとりも理解しないだろう」という感想が経典に記してあります。

障害だらけの伝道活動

伝道は、不可能どころではなく、成り立たない、と言える条件がすべて揃っていました。

  1. バラモン人ではなく、釈迦族の出身でした。王家はこころの問題を考えるものではなく、軍隊を持って国を治める人々だったのです。哲学者になるものではありません。
  2. たとえ万が一そうなったとしても、お釈迦様は話にもならない若者でした。人は何かを学んで知識人になるために、何十年もかかるものです。
  3. 沙門派に属する諸宗教の修行は苦行が主流でした。お釈迦様は苦行を否定しています。
  4. 発見した真理は、既成の宗教哲学の概念とはまったく違うものでした。たとえ教えを説明しても、外国語で語られた気分になるのでしょう。
  5. バラモン教はもちろん、ジャイナ教にも何かしらの歴史的なバックグラウンドがありました。お釈迦様はただ自分ひとりだけです。出家したので釈迦族のファミリーパワーも使えません。釈迦国はコーサラ国の傘下で独立を得ていたので、その力を使おうとすると伝道にとってデメリットになります。コーサラ国に反逆者扱いされるおそれもあったのです。

このように仏教伝道が成り立たない環境で始められたお釈迦様の活動は、世界宗教になるまで進展したのです。何かをやるために、よい環境ばかり探している、うまく行かなかったら環境のせいだ、世界情勢のせいだ、などなど、失敗は他人のせいにしたがる現代を生きる我々に、お釈迦様が強いメッセージを残されているのです。最悪の環境であっても目的に達する方法を、ブッダの生き方から学べるでしょう。しかし、人間の思考と経典にある思考方法は違うので、経典を読んでも、もしかするとブッダの成功術を発見出来ないおそれもあります。

凶暴なライバルたち

いよいよお釈迦様が伝道活動をスタートしました。じわじわとブッダの教えを実践する仲間も現れます。しかし、「順調に進んだ」わけではないのです。不利な状況での、逆境での伝道活動でした。ブッダの仲間が増えるということは、それに敵対したライバルも現れるということなのです。主流のバラモン教伝統も、非主流の沙門宗教伝統も、ブッダの教えに攻撃しようとしました。その攻撃の様子は、一部が経典に記録されています。

ある時、ヴェーランジャ村のヴェーランジャ・バラモンの招待で、お釈迦様が雨安居に入りました。バラモンは、食事の面倒をみる約束をしました。しかし、雨安居が終わるまでの三ヶ月間、そのバラモンだけではなく、村人からも、スプーンいっぱいのご飯も托鉢で貰えなかったのです。その時、たまたま村に入った馬の商人が、雨季には商売できないため、村に滞在しました。彼が馬のために用意した穀物の一部を分けてくれたので、お釈迦様と比丘たちはなんとか命をつないだのです。注釈書は、バラモンと村人たちが悪魔(マーラ)に憑依されたためにそうなったと解説します。本当でしょうか? マーラにそれほど力があるならば、いつでもその攻撃をかけて、お釈迦様を妨害できたはずです。なぜ一回だけだったのでしょうか。ヴェーランジャ村のバラモンたちが、お釈迦様をいじめようと企んだのだと解説したらまずいのでしょうか。どちらの解説にも証拠がないから、結論だけ言います。お釈迦様の人生は、楽ではなかったのです。このエピソードは、私たちに理解できる範囲の攻撃です。論理的な攻撃はもっと厳しいのです。

サールナートで五人の比丘たちに最初の説法をする前にも、二人のひとがお釈迦様に質問しています。
質問に返事したお釈迦様は、はっきり言うと、彼らからバカにされたのです。幼い頃から知っていた五人の比丘も、お釈迦様の話を聞きたくはなかったのです。お釈迦様は覚るどころではなく、苦行を捨てたことで、贅沢に溺れて堕落したと、非難したのです。「贅沢に溺れて覚ったというのはどういうことか」という言葉は、お釈迦様に向かって間接的に「あなたはウソつき」と言ったのと同じです。

また、デーヴァダッタはマガダ国の将軍(王子)の後ろ盾を使って、仏弟子たちを引きぬき、違う宗教に再編しようとしたのです。これは現代的に言えば、ひとの会社を乗っ取ることに似ています。

さらに、コーサラ国の傘下にあった釈迦国は、コーサラ国のパセーナディ王の王子に滅ぼされました。また、パセーナディ王のマーガンディというお妃も、仏教に反対する活動を行いました。お釈迦様には、凶暴なライバルが数多くいたのです。

成功の秘密は「落ち着き」

では、お釈迦様が成功した秘密は何でしょうか?

第一に挙げられるのは、「落ち着き」なのです。お釈迦様は、つねに冷静で落ち着いていました。イライラ、心配、ぼやき、嫌味などは一切なかったのです。

逆境で活動していることを明確に理解して、納得していました。お釈迦様にしてみれば、攻撃は当然な流れです。期待はずれではないのです。しかし、お釈迦様のことを知らない人々も、お釈迦様の姿を見ただけで惹かれてしまったのです。その理由は超人的な落ち着きにあったのだと、経典は明確に記しています。(灯台のように光を放っていたからではないのです。)

「この落ち着き、この立ち居振る舞いは、見事なものです。見ただけで、己のこころも落ち着きます。きっとこの人は、ふつうの人間ではありません」と思われたのです。あるバラモン人が、お釈迦様を見たのです。しかし、誰かと知らなかったのです。彼が「まさか、神様(梵天)が人間に変身して降りたのでは!」と思って、追いかけたのです。ブッダの成功の秘密第一は、この落ち着きです。

自由に話しあう態度

次に、お釈迦様にライバルがいても、お釈迦様は相手がライバルだと思わなかったことです。議論・反論・争論することは、ブッダに対する健全な態度だと思っていたのです。そう思われると、ライバルたる相手はどうすればよいのでしょうか? ニコニコと穏やかに、仲良く争論するしかないでしょう。
自分の意見よりはお釈迦様の意見のほうが真理だと見えてきたら、喜んで認めるしかないのです。お釈迦様との対話では、勝ち負けはありません。相手は、真理を発見してこの上ない儲けをした気分になるのです。(お釈迦様にやられて悔しい、という気分は起きません。)やがて、お釈迦様と対話すること、お釈迦様に質問を出すチャンスを得ることは、人々の名誉に値する現象にまで発展したのです。私たちも、ライバルがいることこそ、活動ができるチャンスだと思わなくてはいけないのです。ライバルを敵ではなく、自分を育てる味方だとすれば、成功すると思います。

決して「神様」にならない

確実に人間を超越していたお釈迦様ですが、その威厳を決して人に見せることはありませんでした。
対等に話しをして、悩みを聴いたのです。人の能力に合わせて指導したのです。皆と一緒に生活し、同じご飯を召し上がったのです。(他の人に分けなかったのは、涅槃に入られる前の最後の食事だけです。
それも、その食事が消化できないことを知っていたからです。)伝道活動は師弟関係なのです。お釈迦様は師匠であって、神様ではありません。インド文化の師弟関係はとても優しいものです。師匠とは、親父以外の何者でもないのです。弟子は愛する我が子なのです。たまたま喧嘩しても、異論があっても、互いに心配すること、師匠を敬うことは絶えないのです。

次のポイント。仏教は信者さんを作らないのです。絶対的無条件の信仰で人を縛ることは、仏教にとっては猛毒です。人は自分の自由意志で仏教徒になるのです。それから、ブッダの教えに従って生活しますが、束縛されている気分はまったくないのです。自由と解放感を味わって生活するのです。

逆境を次々と好機に変える

お釈迦様の成功の秘密はたくさんありますが、最後にこのポイントだけ憶えておきましょう。お釈迦様は逆境を好機に変えたのです。

  1. 青い若者が何を言うのか、という批判を「若いのに成功に達した」という賞賛に変えたのです。
  2. バラモン・カーストではない、という批判を「人の成功に生まれは関係ない、努力すれば誰でも最高の境地に達するのです」という教えで乗り越えたのです。
  3. 人間の道は、贅沢するか苦行するか、というイエスかノーかの二元論になっていたが、真理はそのどちらでもない超越したところにあると説くことで、「苦行を否定した」という非難を乗り越えたのです。
  4. 真理は人間の言葉で語れないから、ブッダは押し付けることを止めたのです。相手の思考を理解して、整理整頓してあげるやり方で、皆に仏教の真理に納得していただいたのです。
  5. 後ろ盾がないことを、皆仲間にすることで乗り越えたのです。逆境があったからこそ、お釈迦様は成功したのです。

人間の価値とは何か

お釈迦様はご自分のことをこのように語ります。「私は戦場の最前線に立っている象のようなものです。敵の攻撃を忍耐して受けます」と。解説します。
象使いは小さな手鉤で象を操ります。手鉤が身体に刺さることを象は怖がるのです。象は痛みを激しく感じる動物なのです。戦争に行くなど話にならないのです。しかし戦象は、槍で刺されても、火矢で射られても、一向にかまわないで敵を倒す仕事をするように調教されているのです。

お釈迦様は、味方がひとりもいない人類のなかで行った伝道活動を、戦争に例えたのです。この偈は、ご自分の超越した落ち着きという能力について語られたところです。その理由として、「人々は道徳的な戒めがないので、激しい言葉で攻撃するのだ」と説かれたのです。興奮しないで、緊張しないで、混乱しないで、落ち着いているならば、いかなる逆境も乗り越えられます。ですから、人間の価値は、いかに落ち着けるのか、という調教にかかっているのです。象でも馬でも熊でもイルカでもオットセイでも、いろいろ芸を学んだところで、たいへんな人気者になります。価値が付くのです。私たちも、落ち着きの訓練をして、人間として高い価値を身に付けなければならないのです。

今回のポイント

  • お釈迦様であっても人生は平坦ではない
  • 人間は平等だと思うと敵はなくなる
  • 逆境とは有効に使うべき道具
  • 押し付けると自分の意見は却下される