パティパダー巻頭法話

No.196(2011年6月)

我が子よりは杖の方が助かる

親孝行は人間のモラルです Filial duty is a warranty of happiness.

アルボムッレ・スマナサーラ長老

経典の言葉

Dhammapada Capter XXIII NĀGA VAGGA
第23章 象の章

  1. Dhanapālo nāma kuñjaro,
    Katukabhedano dunnivārayo;
    Baddho kabalaṃ na bhuñjati,
    Sumarati nāgavanassa kuñjaro
  • 守財者ダナパーラカなる名の象は 激情の時 ぎょし難く
    つながれたれば一塊の 餌をも拒みひたすらに
    象の林をなつかしむ
  • 訳:江原通子
  • (Dhammapada 324)

東日本大震災によって、多くの人々の全財産が跡形もなく消え去ってしまいました。あまりにも甚大な被害だったため、人々には怖がったり悩んだり落ち込んだりする余裕すらもなかったのです。しかし日にちが経つと、何を失ったかと思い出してしまうものです。本当の苦しみは、それからです。なくなった豊かさを思い出すのは、人間にとって耐え難いことです。しかし、「消えたものは消えた。元に戻れるわけがない」と思って、心機一転するしかないのです。財産がなくなることより、こころの悩みのほうが怖いのです。何かを失ったら、こころは当然、その衝撃を受けます。その出来事を思い出すたびに、こころはほぼ同じ衝撃を受けてしまうのです。思い出すことは一日じゅう何回でもできます。ですから、こころに悩みが棲みついたら、それこそ極限に危険視するべきなのです。

なくなったものに悩んだり落ち込んだりせず、適切な対応を取ることで何とかなるのだ、と物語ってくれるエピソードがあります。

舎衛城にひとりの大富豪のバラモンがいました。彼は四人いた息子の一人ひとりに十万両ずつ財産を分けてあげて、結婚させました。全財産は八十万両だったので、自分のためには四十万両が残りました。家庭を持った息子たちは、このように考えました。「もし父親が再婚したならば、残り四十万両の財産は義母か、その子供のものになってしまう。何としてでも、残りの財産も早く分けてもらわなくてはいけない」と。

彼らは一生懸命、父親の面倒を見てあげました。口先だけでしたが、父親のことをよく心配してあげたのです。自分たちは死ぬまで、命かけてでも親の面倒を見ると約束までしました。親にとっては財産の管理は余計な迷惑になるので、自分たちに管理を任せてくださいと、隙を見ながら頼みました。父親も、「こんなにいい子に恵まれている自分は心配する必要はない」と思って、残りの財産も均等に分けてあげて、一文無しになりました。それから息子たちの家で生活することになったのです。長男の家に長く住んでいると、長男の嫁も長男も、嫌味を言い始めました。「財産は均等に分けたのに、なぜ自分にだけ迷惑をかけるのか」と。これに怒ったバラモンは次男の家に行きました。そこでも同じ結果になりました。三男の家からも、四男の家からも、出て行くはめになったのです。

大富豪だったはずのバラモンが、ついにホームレスになってしまいました。修行者のボロ服を着て、乞食をしてやっと命を繋いだのです。贅沢に慣れたバラモンの体はみるみるうちに衰えていき、歩くことさえもやっとという状態でした。彼は時々、釈尊の弟子たちからも托鉢の残りをいただいて食べていました。そこでお釈迦様のことを知った彼は「ブッダたるお釈迦様ならば、自分が陥っている不幸に対して親切に何かを教えてくれるだろう。」と考えて、お釈迦様に面会したのです。話を聞いたお釈迦様は、バラモンに歌を作ってあげました。そして、その歌を公の場で歌うようにとアドバイスしました。

産声を聴いた時、湧きあがった喜びの感情。
ひたすら幸福だけを願い、手塩にかけて育てた。
その私を、いま彼らは豚のように嫌悪する。
「親父、親父」と私を呼ぶ、悪人をもうけた。
愛しい息子に化身した四人組の悪鬼。
老いた馬さえ餌をもらう。
老いた父は他人に食を乞う。
我が子よりは杖がありがたい。
暴れる牛も、凶暴な犬も、追い払ってくれる。
暗闇で先導し、躓かぬよう避けてくれる。
倒れても立たせてくれる杖は有り難い。
(相応部7-14 マハーサーラ経)

当時は、親の財産にたかって贅沢に生きる子が親の面倒を見ないならば、死刑にすべきだとの決まりがありました。お釈迦様は、この社会の決まりをうまく使ったのです。「息子たちよりは一本の杖の方が命を助けてくれる」という歌をバラモンが公の場で歌い始めたことで、状況は一変しました。死刑を免れるために、息子たちは老いた父の面倒をみることにしたのです。もしもまた父親を追い出したら、ブッダに教えられた歌を公で歌われるおそれがあるということで、老いたバラモンの生活は安泰になりました。

元の生活に戻ったバラモンの体は、みるみるうちに健康を取り戻しました。自分が幸福な老後を送れるのも釈尊のおかげだと分かったバラモンは、お釈迦様に感謝することに決めたのです。四人の息子が揃って自分の食事の面倒を見ていたことから、「お釈迦様に毎日、二軒分のご飯をお布施します」と申し出たのです。ブッダは布施で束縛されません。しかし、彼のことを哀れんで、「その気になったら行きましょう」と約束したのです。お釈迦様は約束どおりに、時々、四人の家に托鉢に行きました。お釈迦様と付き合ったおかげで、四人の息子たちも正しい生き方を学ぶことができたのです。お釈迦様は彼らに、「親孝行は人にとってたいへんな幸福を招く行為である」と説かれました。

お釈迦様が四人の息子たちに説いたのは、親孝行についてのジャータカ物語です。

昔々、菩薩はヒマラヤの森に千頭を超える象の群れの長と象として生まれました。菩薩象の両親は老いて体が弱かったのです。その上、失明していました。群れの面倒を見ていた菩薩象は、美味しい果物を取って両親に渡すようにと仲間に頼んでいました。しかし、孝行は自分の手でするべきだと思い、象の群れを離れて盲目の親の面倒をみるようにしたのです。そんなある日、森に入ったある村人が、迷子になってしまいました。方向を見失ったまま森を進んだ村人は、菩薩象の隠れ場所に足を踏み入れてしまったのです。あまりにも体格の大きな象を見た彼は、殺されるとひどく怯えて泣き声をあげました。菩薩象は、彼が泣いている理由を知って、「心配しなさるな、私はあなたに害は与えません。しかし、人が入らないこの場所になぜ来たのですか?」と訊いたのです。迷子になったいきさつを知った菩薩象は、彼を背中に乗せて人が住むところまで運んであげました。しかし、この村人は、恩を知らない悪人でした。彼は象の背中に乗りながら、隠れ場所からの道順を覚えていたのです。

おりしも国では王様の象隊の長が亡くなり、王様が乗るに相応しい象を探していました。それを知った村人は、「信じられないほど素晴らしい象がいます」と王に告げたのです。王の命令を受け、象隊を管理する大臣が森に入りました。自分を捕獲するために来た軍隊を見た菩薩象は、自分の体力があれば、皆を簡単に潰して殺すことができると思いました。しかし「殺生は良くない」と自制したのです。菩薩象は、軍隊が近づいても、飼い慣らされた象のようにおとなしくしていました。菩薩象を捕まえた大臣は、森からもどって王に報告しました。捕まえられた菩薩象は実に珍しい象だったので、王は金銀などでその体を飾って、ご馳走をさし上げたのです。しかし象は何も食べませんでした。王様が「王宮ではたいへん贅沢に生きていられるのに、なぜ食事を摂られないのですか」と訊くと、菩薩象は、「老いた両親のことが心配です。自分がいなくなったら両親が飢え死にしてしまうのです」と答えました。菩薩象の親への思いを知った王様は、鎖を外して解放しました。それから、王の一行と菩薩象は一緒に森の中へ様子を見に入りました。たいへんな騒ぎの声を聞いた盲目の老象ふたりは、「神々が怒っているのだ」と怯えました。怯える両親に向かって、菩薩象は自分が捕まえられたこと、国王が自分を解放して親のお見舞いに来てくれたことを告げたのです。二人の老象は、国王を祝福しました。菩薩象も国王に、善き王として国を統治する方法を教えてあげたのです。これは、親孝行する人にとっては、どんな不幸も乗り越えられるという教訓の物語です。(ジャータカ物語455 Mātuposakajātaka)

四人の息子を持ったバラモンの不幸と、その不幸から立ち直った出来事について、お釈迦様はこのように語ります。

ダナパーラという名前の象王は、誰にも調教することができなかったのです。彼は体を縛られていたのです。しかし、餌は何も食べなかったのです。象は森のことばかり思い浮かべていたのです。食べないことで死ぬはめになっても、象にとっては森が恋しかったのです。

我々人間にとっても、失った幸福を思い浮かべるのは辛いことです。悩んでも落ち込んでも、失ったものは取り戻せません。精神的に落ち着いて、「これからどのように努力すれば幸福になれるだろうか?」と、お釈迦様の智慧を学んで、着々と努力するしかないのです。

今回のポイント

  • 不幸は人につきもの
  • 訪れた不幸に悩むと立ち直れない
  • 理性は苦難を乗り越える鍵
  • 孝行は人の生きる喜び