No.33(『ヴィパッサナー通信』2002年9号)
小石を投げる男の話
Sālittaka jātaka(No.107)
この物語は、釈尊がジェータ林におられたとき、白鳥を打ち落とした比丘について語られたものです。
彼はサーヴァッティーに住む良家の息子で、小石を投げるのが上手でしたが、ある日法を聞いてから、仏教に帰依するようになり、ついには出家し具足戒を受けました。しかし彼は学問を好まず、行ないもまじめではありませんでした。
ある日、彼はある若い比丘をつれて、アチラヴァティー河に行き、沐浴をしてから河の土手に立っていました。そのとき、二羽の白鳥が空を飛んでいたので、彼は若い比丘に話しかけました。「あの後から飛んでいる鳥の目を小石で打って足もとに落としてみよう。」「どうして打ち落とすことなど出来ますか。そんなことは、まさかできないでしょう。」「まあ見ていてごらん。鳥の一方の目から、もう一方の目に打ち貫いて落としてみよう。」「あなたは、馬鹿げたことを言っていますね。」「それでは、見ていなさい。」彼はこのように言ってから、三角の石をひとつ手にもち、指にはさんで、その白鳥の後方から投げました。
それがピューという音をたてたので、白鳥は、「何か危険が迫っているにちがいない」と感じて、振り返ってその音を聞こうとしました。間髪をいれずに、彼は丸い小石を手にもって、振り返って見ている鳥の片目を巧みに打ち貫きました。そして小石はもう一方の目から抜けていきました。白鳥は大きな鳴き声で叫びながら、足もとに落ちました。それから比丘たちがやって来て、「あなたは、何ということをしたのですか」と言って非難し、お釈迦さまのもとに彼を連れて行き、「世尊よ、この比丘はこれこれのことをしました」とその出来事を報告しました。
お釈迦さまは、この比丘を叱責され、「比丘たちよ、彼がこのような技に巧みなのは今だけではない。以前にも巧みであった」と言って、過去のことを話されました。
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その昔バーラーナシーにおいてブラフマダッタ王が国を統治していたとき、菩薩はその国の大臣でありました。そのとき、王の司祭は大変なお喋りで、饒舌家でした。彼が話し始めると、他の人々はとても口を挟むことなど出来ない状態でした。王は考えました。「だれか彼の長話を切り上げさせてくれる人はいないものだろうか。」王はそれ以来、そのような人を密かに探し求めながら歩き廻りました。
その当時、バーラーナシーに、小石を投げるのが上手な一人の下半身不自由な者がいました。町の子供たちは彼を車に乗せて引っぱり、城門の下の鬱蒼とした大きなニグローダ樹のところへ連れて行き、彼を取り巻き、少しばかりのお金を与えて、「象の形を作って。馬の形を作って」などと言いました。彼は小石を続けざまに投げて、ニグローダ樹の葉で色々な形を現しました。すべての葉は破れ、穴だらけになりました。
そのとき王が御苑に行く途中、その場所に通りかかったので、子供たちは恐ろしくなって、みんな逃げてしまいました。そしてそこには、足の不自由な男だけがとり残されました。王はニグローダ樹の根もとに行って、車に乗ったまま、葉が破れたために影がまだらになっているのを見て、見上げるとすべての葉が破れているのに気づき、「これは誰の仕業か」と問いました。「足の不自由な男です、王様」と従者が答えると、王は、「この男に頼めば、バラモンの長話を封じることが出来るかもしれない」と考えて、「その足の不自由な男はどこにいるのか」と尋ねました。従者たちは彼が樹の間に坐っているのを探し出し、「ここです、王様」と答えました。
王は彼を呼び、人払いをして尋ねました。「わたしの配下に一人のお喋りなバラモンがいるのだが、おまえはそのバラモンを沈黙させることが出来るだろうか。」「ほんの一升分のヤギの糞(固くて小さくて、指三本で掴める小石くらいの大きさです)があれば出来ると思います、王様。」
王は足の不自由な男を王宮に連れて来て、穴を開けた幕のかげに坐らせ、その穴に相対してバラモンの座席を設けました。そして一升分の乾いたヤギの糞を彼の近くに置き、王のご機嫌伺いにやって来たバラモンを座席に坐らせ、話をさせました。バラモンは他の人々に口を差し挟ませず、王とともに話を始めました。そこで足の不自由な男が、幕の穴を通して続けざまにヤギの糞を投げると、糞はまるで蝿が飛ぶようにバラモンの口に入りました。バラモンは、器に油が入るように糞を呑み込んだので、すべての糞は無くなってしまい、それは彼の胃の中で、半升ほどの量になりました。
王は、糞がすっかり無くなったのを知って言いました。「先生、あなたは非常によく喋られたので一升ほどのヤギの糞を飲み込んでも気づかずにおられました。もうこれ以上消化することは出来ないでしょう。帰って薬草と水を飲んで糞を排出し、健康を取り戻してください。」バラモンはそれ以来、すっかり口を閉ざしてしまい、話しかけられても沈黙を守りました。
王は、「彼のおかげで、わたしの耳が楽になった」と足の不自由な男に、十万金の収入を得られる村を四方に一箇所ずつ与えました。菩薩は王に近付いて、「王様、賢人はこの世間における技術を備えていなければならないのです。足の不自由な男は小石を投げることだけで、この成功を得られたのです」と言って、次の詩句を唱えました。
技を持っていることこそ
賞賛に値する
不自由な者でも これほどの技がある
巧みに投げるだけのことで
四方の村を得たことを見よ
お釈迦さまはこの法話をされて、過去を現在にあてはめられました。「そのときの足の不自由な男はこの比丘であり、王はアーナンダであり、賢い大臣は実にわたくしであった」と。
スマナサーラ長老のコメント
この物語の教訓
勉強しただけで、何も出来ない人生は不幸です。勉強など出来ても出来なくても、健常者であろうが障害者であろうが、人は何か一つでも他人の役にたつ技を身に付けるべきです。このような役立つ人は、社会から無視されることはありません。
現生物語でのエピソードですが、出家しているにもかかわらず、何故この比丘は、白鳥を撃ち落とすことを考えたのでしょうか。この比丘は、伴っていた若い比丘に、自分の腕を見せて驚かせたかったかもしれません。
なぜこの若い比丘は、「白鳥を殺してはいけません」と止めなかったのでしょうか。殺人を禁ずる戒律は制定されていました。戒律項目(戒律は法律と同じ形式で、条文化するものです)に「人間」とだけあったのです。言葉の定義にも、妊娠した瞬間からの命は人間であると記しています。ですから、その他の「生きもの」は入りません。ろくに仏教を学んでいなかったこの二人は、殺生はいけないことだと気づかなかったのです。この出来事が起きてから、釈尊は「殺生するなかれ」という戒律も付け加えられたのです。仏教では、戒律を定める以前の初犯には罪を問いません。
人は、自分が持っている技を自分と他人の幸福のために使うべきであって、自分の腕前に自己陶酔するために使ってはなりません。