No.57(「パティパダー」2004年9月号)
ケチケチ大富豪の物語②
Illīsa jātaka(No.78)
昔々、バーラーナシーでブラフマダッタ王が国を治めていた頃、イッリーサという億万長者の豪商がいました。彼は体にあらゆる障害をもち、手は不自由、足はびっこ、目は片目というありさまでした。しかも邪見があり、物惜しみをし、強欲で、人に何一つ与えませんでした。イッリーサの家は、七代にわたって施しをする慈善家として知られた家でした。けれどもイッリーサは、家のしきたりを破って施しのためのお堂を焼き払い、貧しい乞食が来ると背中を打ち据えて追い返させるほどでした。
イッリーサ豪商はある日お城に出かけ、帰宅する途中、腐った魚を肴にして酒を飲んでいる人を見かけました。そして、自分もひどく酒を飲みたくなりました。しかし、「もし私が酒を飲めば、うちの者どもも飲む。大事な財産が減ってしまうぞ」という考えが浮かび、ガマンしました。そのうちに次第に体が黄色くなり、青筋が浮き出てきました。豪商は苦しくなって、寝床にしがみつくように横になりました。でも酒のことは、決して誰にも言いませんでした。
妻が心配して色々と聞いても生返事ばかりして寝ています。それでもしつこく訊くと、やっと「酒が飲みたい」と白状しました。そこで、「どうして黙っていたのですか。町中の人に酒を振る舞いましょうよ」「人のことは放っておけ!」からはじまって、前回の話と同じように、「では、あなたお一人で飲んでください」と妻が言うまで、豪商は文句を言い続けました。一人で酒が飲めることになって落ち着いた豪商は、こっそりと酒を買ってこさせて川へ行き、川岸の茂みに隠れて酒を飲み始めました。
イッリーサ豪商の父は、生前の善行によって、死後、帝釈天(サッカ神)となって、天界に住んでいました。帝釈天はある日、下界をのぞき、息子が家のしきたりを破って慈善を一切行わなず、一人でこっそりと酒を飲んでいるのを見ました。帝釈天である父は、「息子に『行為とその果報』という因果関係を教えてやろう」と思い、人間界に降りて息子そっくりの姿に化けました。
イッリーサに化けた帝釈天は、まずお城を訪ね、「私の家には八億の財産があります。それを王様に差し上げたいと存じます」と申し出ました。王は、「その必要はない。私には十分財産がある」と、断りました。彼は「では私は施しをしようと思います」と言って、王の許可を得ました。帝釈天は豪商の家に行き、門番に「私を語って家に入ろうとする者がいたら、背中を打って追い返せ」と命じてから家に入りました。そして豪華な椅子に座り、豪商の妻に、「妻よ、私はこれから皆に施しをしようと思う」と言いました。その言葉を聞いた妻や子供や使用人たちは、「旦那様は酒を飲んで気が大きくなってしまった」と驚きました。妻は「どうぞお好きなように皆にお与えください」と答えました。帝釈天は「それでは、『金・銀・宝石・真珠がほしい人は、イッリーサ豪商の家に行け』と太鼓を打って町中にふれまわすように」と妻に命じました。
おふれを聞いた大勢の人々が、思い思いの入れ物を手に豪商の家に集まりました。帝釈天は「望むだけ取りなさい」と蔵を開けました。みんな大喜びで、あれこれと、宝物をいっぱい持ち帰りました。ある田舎者が豪商の牛に豪商の宝を満載し、豪商をほめたたえながら歩いていました。「イッリーサの旦那、万歳! おかげで私も金持ちだ。この財産は親にもらったのではない。すべてイッリーサ様のおかげです」。その言葉が、酒を飲んでいる豪商の耳に入りました。
驚いた豪商は、「男が私の財産をもらったと言っている。王様が略奪など許されるはずがない」と、茂みから飛び出しました。すると、自分の牛が自分の宝物をいっぱい引いて歩いています。豪商は慌てて、「返せ! これは全部私のものだ!」と牛の鼻紐を取りました。田舎者は「何をする! イッリーサ様が私に施してくださったのだ!」と、雷が落ちる勢いで豪商の肩を打ちすえました。豪商はその場に倒れましたが、震えながら立ち上がって泥を払い、追いすがりました。田舎者はイッリーサの髪をつかんで頭を地面にたたきつけ、立ち去りました。あまりのことに、豪商の酔いは、すっかりさめてしまいました。
慌てて家に戻った豪商は、自分の財産を持ち帰ろうとする人々を見て驚きました。「これはいったいどうしたことだ! 王様が私の財産を略奪してもいいと言ったのか!」と、皆の胸ぐらを捕まえて叫びました。人々は豪商を殴りました。痛みと混乱で狂いそうになった豪商が家に入ろうとすると、門番が竹の棒で彼の背中を打って追い返そうとしました。豪商はもうわけがわからなくなって、「もはや王様に助けてもらうしかない」と、急いでお城に行きました。「王様、なぜ我が家の略奪を許されたのですか」と王に訴えたところ、王は「そなたが自分でやって来て、財産を差し出すと申し出たのだ。私が断ると、町中に施しをすると触れ歩いたではないか」と答えました。「そんなバカな。私がすごいケチなことをご存じでしょう。私は草の先の露ほども人に与えないのです。私を語った者を呼び、どうぞお調べください」と、豪商は王に懇願しました。
豪商の家に使いがやられ、豪商に化けた帝釈天が城に呼ばれました。二人はそっくりです。誰にも見分けがつきません。豪商の妻が城に呼ばれました。妻は、「こちらが主人です」と、帝釈天の側に立ちました。子供たちや使用人も呼ばれましたが、皆、帝釈天の側に立つのです。困り果てた豪商は、「私の頭には髪に隠れた腫れ物がある。私の賢い理髪師を呼べば、私が本物だとわかるだろう」と考えました。理髪師が呼ばれて二人の頭を見ようとした瞬間に、帝釈天は自分の頭にも腫れ物を作りました。理髪師は二人の頭を見て「王様、二人とも同じ腫れ物があり、どちらが本当のイッリーサ様か見分けることはできません」と、次の詩を唱えました。
どちらもびっこ
どちらも片目
どちらにも腫れ物
どちらがイッリーサかわからない
イッリーサ豪商は心配のあまり気を失い、その場に倒れました。それを見た帝釈天は本当の姿を現し、「王よ、私は帝釈天です」と慈愛にあふれた姿で空中に立ちました。イッリーサは水をかけられて息を吹き返し、立ち上がって帝釈天に頭を下げました。
帝釈天は「イッリーサよ、家の財産はおまえのものではない。私はおまえの父だ。善行を積んだ徳によって、死後、帝釈天となった。おまえは強欲で、家のしきたりを破って慈善堂を焼き払い、乞食を追い払って、鬼の住む蓮池のような家にして財産を守っている。もしもお堂を元通りにして慈善行をするならよし。さもなければ、財産はすべて奪い、金剛杖で頭を割ってしまうぞ!」と叱りつけました。イッリーサは震え上がり、「絶対に慈善行を行います」と誓いました。帝釈天は空中に坐って豪商に法を説き、五戒を授けてから天界へと戻りました。心を入れ替えたイッリーサ豪商は、帝釈天の教えに従って善行を行い、その徳によって死後天界に生まれました。
お釈迦さまは過去の物語を終えられ、「その時のイッリーサ豪商はサッカラの欲張りな豪商であり、帝釈天はモッガッラーナでした。王はアーナンダであり、イッリーサの理髪師は私でした」とお話しになりました。
スマナサーラ長老のコメント
この物語の教訓
■ケチもいろいろ
いろんな種のケチがあります。子供にはあげるが、旦那にはあげない。家で節約の盾に隠れてケチをして、外で友人たちと一緒に豪遊する。金はあげても物はあげない。物はあげても金はあげない。食べ物なら分かち合っても、金や物などは絶対あげない。また食べ物だけに一貫してケチに徹する。異性には太っ腹ですが、同性には厳密に厳しい。
利口・慈しみなどを演じて、ケチ菌を養う人もいる。例えば、「他人から得たものは無駄にしないで、有効に使う人にあげるべきです。難民を援助すると、戦争する人々はいい気になって戦い続けるから援助を止めましょう。貧しい人に物をあげると怠け者になって仕事をしないので、あげること自体が不善行為になるのだ」などと言うのです。
■ケチな人は頭がおかしい
「自分が汗水を垂らして儲けたものは自分のものである。それは他人にあげる必要はない。他人に貰う権利もない。自分の金を自分が使って何が悪いのか」と思う。それはケチな人の逆さま思考です。他人の協力なしに金は儲かりません。自然・生命・人間の協力があってこそ、自分が恵まれているのです。その協力がなければ、自分一人でいくら頑張っても水の泡です。ですから、自分が得た収入も、結局は自分一人のものではありません。
「お前を食わしているのではないか」と妻を侮辱する、想像を絶するほどケチな人もいる。たったこの一言葉で、その人は自分の人生を台無しにするのです。死ぬときは置いていくものですから、財産は決して自分の物にならないと仏陀が説かれる。
「自分さえも自分のものではないのに、私に家族がいる、財産があると思う愚か者は、悩み苦しむ。」(ダンマパダ62)
他人と分かち合って生活する人は、財産にも良い人間にも恵まれるのです。道徳を守り、精神を清らかにする修行者に施しをすると、徳と智慧にも恵まれるのです。誰にあげても良いのですが、罪を犯す人を応援して物をあげることだけは、徳ではなく罪になります。完全たる真理を語り続ける、戒を守る仏弟子達にする布施は、最大の徳になる。
この物語はケチのあまりに、精神病にかかった人の話です。精神的に発病したならば、ショック療法しないと治らないのです。