No.337(2023年4月号)
簡単に誤る判断の世界
ものごとに価値は成り立たない Emotions defile right decision
今月の巻頭偈
Dhammapada 1.Yamakavaggo
ダンマパダ(法句)第一章 一対の章
-
Asāre sāramatino, sāre cāsāradassino;
Te sāraṃ nādhigacchanti, micchāsaṅkappagocarā.
-
不真を真と思いなし また真を不真と見る
かれらは真にいたらない 邪悪な考え持つゆえに
-
Sārañca sārato ñatvā, asārañca asārato;
Te sāraṃ adhigacchanti, sammāsaṅkappagocarā.
-
しかし真を真と知り また不真を不真と知る
かれらは真によくいたる 正しい考え持つゆえに
判断
価値判断は難しい概念だと思われるかも知れません。しかし、命は価値判断で成り立っているのです。良いか悪いかを判断しないと、生きることが成り立ちません。まず、何をどのように食べるのかと判断しなくてはいけない。食べる量も判断しなくてはならない。座るか、立つか、歩くか、止まるか、などのシンプルな行為であっても、判断によって成り立っています。人間以外のすべての生命も、判断することで命を繋いでいるのです。
動物の場合は、判断を間違ったら自分の命が無くなることもあります。長生きできれば、寿命をまっとうすることができれば、その生命の判断間違いは少なかったのだろうと言えるでしょう。人間の命も、瞬間瞬間で行う判断によって成り立っているのです。人間の場合は、判断を間違っても命を失うケースは少ないだろうと思います。判断ミスによって命を無くしそうな場合、人間は極限に気をつけまるのです。判断ミスが起きないように、知識を得たり訓練をしたりもします。すべての生命の命は、その都度その都度おこなう判断によって成り立っているのです。間違った判断は、必ずトラブルを起こします。だからこそ、判断ミスを少なくするために様々なことを学んで知識を得たり、訓練して経験を得たりしなくてはならない。それでも、人間を含むすべての生命に判断ミスをゼロにすることはできないのです。
価値
生命は、自分の命を支えてくれるものごとにポジティブ価値を入れ、命を脅かすものごとにはネガティブ価値を入れます。一般的に言われる、「良い/悪い」の価値判断です。価値を白黒に簡単に分けることができれば、楽に生きられます。しかし、世はそのようなシンプルなものではありません。価値にはランクがあるのです。ランクを付けるためにも、判断しなくてはいけない。お腹がすいたらラーメンに価値が現れます。とはいえ、ラーメンから一流の料理人が作るごちそうまで、食べられるものは数多あるのです。そこで、食べ物のランクが成り立ちます。ネガティブ価値を入れた、悪いと判断するものにもランクがあるのです。私たちは判断を行うとき、たくさんの価値あるものに出会います。さらに、それぞれランクも成り立っているので、判断すること、決定することに悩むはめになるのです。私たちは、品質、色、形、ブランド、製造する国、などのたくさんの概念を用いて、ものごとにランクをつけています。結果として人は、食べるときも、服を買うときも、服を着るときも、出かけるときも、仕事をするときも、遊ぶときも、困ることに、悩むことになるのです。ピンからキリまでランクがあります。自分がどちらにするのかと、その都度、判断しなくてはいけない。これは精神的なストレスになります。「もっと良いものを選べばよかった」「こんなに高いものを選ぶ必要はなかった」などと思って、後悔という悩みが起きます。つまり、ものごとに価値を付けることで、生きることの悩み苦しみが拡大してしまうのです。
価値観の価値
価値とは相対的で、一時的に成り立つものです。ものごとは本性としての価値を持っていないのです。場合によっては、一口の飲み水にも高い価値が現れます。飢えて死にかけている人に高価なダイヤを一個あげたところで、その時、その人にとってダイヤの価値は無なのです。普遍的に変わらない価値を持つものごとは存在しません。サーファーは高波にポジティブ価値をつけます。溺れている人は同じ高波に極限のネガティブ価値をつけるでしょう。波そのものが本来持つ価値など存在しません。現象と命の関係によって、ポジティブ価値やネガティブ価値が一時的に現れるだけなのです。
知識と感情が価値を付けるものごともあります。ルーブル美術館には、モナリザという絵画がありますね。値段を付けられないほどの価値がある芸術作品です。人の命を支えるためには何の役にも立たないけれど、知識と感情をかきたてるので、高いポジティブ価値を付けられています。
価値と精神の悩み
「価値がある」と判断した瞬間に、執着が生まれます。ものごとの価値は瞬間的ですが、執着が生まれると、「ものごとに変わらない価値がある」という錯覚を惹き起します。世に起こる殺生、盗み、邪な行為、嘘、詐欺、などなどのありとあらゆる悪は、ものごとに変わらない価値があるという錯覚の結果です。誤った価値観のせいで、戦争まで惹き起して大量に人殺しもするのです。感情が価値観を乗っ取って、人に様々な悪行為をさせるのです。人を苦しみから苦しみへと追い立てるのです。命を支えるために価値観が現れました。価値観に人を苦しみに陥らせる意図などないのです。しかし、人が行うすべての悪行為は、「ものごとに変わらない価値がある」という錯覚によって現れるのです。価値が感情に乗っ取られたから起こる最悪の現象です。
能力の乱れ
生命には、食べられるもの、食べられないものの区別が必要です。この能力が無ければ生きられません。言葉を変えると、ポジティブ価値、ネガティブ価値を付ける能力です。人は大人になる過程で、ある程度それを学ぶのです。人生に必要なすべてのものを判断する能力を、一人の人間が身につけることは不可能です。自分に能力のない分野については、他人の判断に従うことになるのです。ここまでなら、命はふつうに流れるはずです。しかし、人生はうまく進むものではありません。悩み、苦しみ、落ち込み、失敗などの連続です。判断しなくてはいけないのに、判断能力が乱れているのです。この問題は、価値判断と感情を切り離してないから起こるのです。ものごとに瞬間の価値しかないのに、感情が割り込むと永遠不滅の価値があるかのごとく思ってしまう。それから、アベコベ人生に陥るのです。判断するためには、客観的に考えなくてはいけません。しかし、感情が優先になると、主観的な妄想で価値判断してしまうのです。それは当然、正しくない判断になります。正しくない判断をいくら重ねたところで、人生は幸福へと進めないのです。世界の問題、人類の苦しみは、主観的な思考によって下された判断の結果です。つまり、ものごとを判断する前に、正しく考える能力を得たほうがよいのです。
あべこべ人生
生きるために判断するのは普通です。問題は、人の判断能力を感情が乗っ取っていることです。それから、感情をかき回すために価値判断するのです。自分の人生に邪魔な人がいるならば、ネガティブ判断を起こしてその人から離れれば充分です。このネガティブ判断を感情が乗っ取る。感情が怒りに燃えることになる。それから、怒りが判断することになる。「相手は敵だ。殴るべきだ。殺すべきだ」と判断するのです。さらに、その判断を実行する。怒りの感情がかき回されて、気分爽快になる。しかし、他人に不幸を与えたので、周りの社会が自分を攻撃する。幸福に生きる自分のプログラムは、ここで終了する。幸福で長生きしたいからライバルや敵を攻撃するべき、殺すべきというアベコベの考えが現れるのです。欲しいものがあれば、手段を選ばず手に入れるべきだと考えるのです。人に対して、一方的に愛情が起きてしまう。しかし、相手はそれを断る。相手を殺すことで物語を終了する。
感情に乗っ取られたら、価値判断する能力が正しく機能しないのです。価値の無いものにポジティブ価値を見つける。価値があるものに価値が無いとネガティブ価値を付ける。それで、やってはいけない生き方をする人間になる。アベコベ人生に陥るのです。価値を付けるためには客観的に思考すべきなのに、価値観を感情に乗っ取られて、人は邪思惟(micchāsaṅkappa【ミッチャーサンカッパ】)するのです。つまり、思考ではなく、妄想するのです。それから、やるべきことではなく、やってはいけないことを実行するのです。このように生きる人の生きかた全体に、価値が無くなったのです。邪思考(妄想)する人は、生きることの価値を見失うのです。
価値の見つけ方
命を支えるか/支えないか、役に立つか/立たないか、幸福になるか/ならないか、判断するのは簡単なことです。同じように、人にとって一番難しいことも、このような正しい判断能力なのです。人の人生は全体的に、感情に乗っ取られています。怒り、嫉妬、憎しみ、落ち込み、などの感情をかきたてるために、ものごとをみだりに判断する。良いものは悪いものとして、悪いものは良いものとして判断する。まずは、このアルゴリズムを理解しておきましょう。
生きられるか否かよりも、感情の奴隷になっていることが問題なのです。感情をかきたてることによって、寿命が短くなります。生きることが苦になります。死後も不幸に陥ります。心のアルゴリズムを新しく入れ替えなくてはいけないのです。感情をかき混ぜることではなく、感情を治める生き方を探すのです。貪瞋痴を治めることに価値があると判断するのです。怒りで人と喧嘩するよりは、人と仲良くしたほうがよいと判断します。嘘をついて人を騙すより、正直になったほうが楽だと判断します。こころが清らかになる生き方が正しいと判断します。ものごとに価値をつけても、その価値は瞬間しか有効ではないと理解します。ニュースを読んでみても、価値観は激しく変わっていくことがわかるのです。ものごとの価値は瞬間しか有効ではない。そうだとすれば、ものごとに普遍的な価値はあるのでしょうか? 無いのです。すべての現象は無価値です。この「無価値」という智慧が顕れたら、感情は起きないのです。感情に勝った人は、自由になります。心の安穏に達します。ものごとを客観的に正しく思惟(sammāsaṅkappa【サンマーサンカッパ】)するならば、人は無価値から価値(解脱)に達するのです。
アベコベの人生を、ありのままの人生に変えなくてはいけないのです。
今回のポイント
- 生きるために判断が必要です
- 判断することでポジティブ価値とネガティブ価値が現れます
- 感情に支配されると判断能力を失います
- ものごとの価値は瞬間的です
- こころの自由が真の価値です



