パティパダー巻頭法話

No.338(2023年5月号)

常に汚れあり

煩悩を惹き起こす認識過程 Security system of consciousness

アルボムッレ・スマナサーラ長老

今月の巻頭偈

Dhammapada 1.Yamakavaggo
ダンマパダ(法句)第一章 一対の章

  1. Yathā agāraṃ ducchannaṃ
    Vuṭṭhī samativijjhati
    Evaṃ abhāvitaṃ cittaṃ
    Rāgo samativijjhati
  • あたかも粗く葺かれた家に
    雨が深く染み込むように
    修習されていない心に
    貪りは深く染みてゆく
  1. athā agāraṃ suchannaṃ
    Vuṭṭhī na samativijjhati
    Evaṃ subhāvitaṃ cittaṃ
    Rāgo na samativijjhati
  • あたかもよく葺かれた家に
    雨が深く染み込まぬように
    よく修習された心に
    貪りは深く染みゆかず
  • 参考和訳:片山一良『ダンマパダ全詩解説』大蔵出版
  • 祝福の言葉

    仏暦二五六七年になりました。釈迦牟尼仏陀の教えを実践する方々には、聖なる新年になります。新年おめでとうございます。ブッダが精密に正しく説かれた、こころに安穏をもたらす、実践する生命を皆解脱に導く、一切の生命の仕組みをあらわにする、偉大なる真理の力によって、皆様に幸福が訪れますようにと祝福いたします。正法が完全な自由を目指す皆様の旅の灯火となりますように。

    正法の特色

    ブッダの教えには偉大なる力があります。それを理解して納得することができれば、その分こころは必ず清らかになります。また、人格が向上します。結果を出せないブッダの言葉はないのです。ですから、正法は特効薬に喩えられています。一人ひとりの人間に性格の差があって、個人個人にその人固有の悩み苦しみがあります。人の理解能力も均等ではないのです。

    お釈迦様は、一方的に上から司令するような感じでは真理を語りませんでした。人々の個性に合わせて、理解できる最良の方法で真理を語られたのです。そういうわけで、たくさんのブッダの言葉が記憶され、残されています。伝統的には「八万四千の法門」とも言われていますが、いちいち経典を開いて法門を数える必要はありません。どんな人にも、自分の性格に合う、自分のこころを解脱に導く教えが、このたくさんの経典のなかに必ず見つけられるのだと理解していただければ幸いです。

    今月も、二つの法門について解説してみましょう。

    認識のプロセス

    生命は現象を認識することで生きています。認識機能がないならば、生命ではないのです。とはいえ、皆が同じものを認識しているわけではありません。地球に生きている多種多様な生命のことを我々はいくらか知っています。微生物という命のシステムがあるし、哺乳類という命のシステムもあるのです。微生物の認識は、哺乳類の認識と違うでしょう。同じ種類の生命の間では、コミュニケーションが成り立つので、認識経験の交換も可能になります。しかし、自分の経験を他人に言い伝えても、他人は決して同じ経験を認識しないのです。似たような認識になる場合もあれば、変わった認識にもなる場合もあるでしょう。笑わせようと思って使った言葉で相手を怒らせてしまった、という経験は誰でも身に憶えがありますね。ですから、プライバシーとは個の認識プロセスなのです。他人に知られたら困る自分の生き方を指して俗世間的にプライバシーと言いますが、他人にバレる可能性があるものはプライバシーではありません。プライバシーとは、他人に伝えることすら難しい、個の認識プロセスのことなのです。

    認識は汚れる

    生きるとは、認識し続けることです。これが常に汚れているというならば、大きな問題です。汚れる認識プロセスをもって、安穏、安心、幸福に生きることはできなくなるからです。突然、認識が汚れたのであれば、それを発見することも可能です。しかし、無始なる過去から、汚れる認識が流れていたのだとすれば、生命にはそれを発見することもできないのです。たとえ、正等覚者があらわれて、「認識は汚れるのだ」と説かれたとしても、人は自分の思考が汚れているとは認めたくないのです。当然、認識が汚れていると理解することも難しい作業になります。

    たとえば、人が怒ったとしましょう。怒りは汚れた認識です。それから、思考が流れるのです。それも怒りに染まった思考です。その人は、「あなたのこころが汚れている」と言われても、「怒る原因が生じたので、怒ってしまったのは当然の結果である」と弁解するのです。皆が抱いている言い訳を言いたがる気持ちは、「〈認識は汚れる〉ということを理解していない」から起こるのです。

    もう一つ、困った問題があります。社会から、我々がやっていることに説明を求められることがあります。たとえば、「なぜ利益が上がらなかったのか?」と説明しなくてはいけなくなる。理性のある人々は、原因の流れに沿って客観的に説明します。何事も、因縁があって起こるのです。因縁に沿ってプロセスと結果を説明するのは、客観的で正しい行為です。人が学ぶべき能力でもあります。しかし、こころの汚れに対して、因縁を持ち出して正当化しようとするのは良くない行為です。客観的にものごとの流れを説明する能力と、言い訳をして自分の行為を正当化する行為が癒着してしまうのです。これは問題です。

    汚れる過程

    人には、認識可能な窓口が六つあります。眼耳鼻舌身意(六根)です。生命にすべてのことを理解するのは不可能です。六根に触れる情報しか認識できないのです。触れるものは色声香味触法(六境)です。眼に触れる色とは、色【いろ】と形と言います。現代知識的に言えば、反射してくる光子の流れでしょう。そちらに何の情報もないのです。耳が反応するのは空気の振動の一部でしょう。そちらも情報がないのです。鼻、舌、身の場合も同じです。触れた感覚を意で概念として合成(捏造)するのです。情報とは、色声香味触法を合成(捏造)した結果に過ぎません。情報でないものを情報として合成する過程で、重役を担うのは感情です。感情はこころの汚れと言います。存在欲(渇愛)、欲、怒り、無知などが感情です。感情は、色声香味触法を合成して新たな感情を作るのです。

    我々の認識プロセスは、ありのままの事実を知るために起こるものではなく、感情(汚れ・煩悩)をかき回すための働きなのです。認識プロセスとは生きることでもあるので、生きることは汚れのプロセスにもなっているのです。

    簡単な説明

    理性のある人にしか理解できないような難しい話はこの辺でやめて、お釈迦様が同じポイントについて、誰にでもわかるように説法している偈をご紹介します。

    ダンマパダの一三偈と一四偈では、家の喩えが使われています。これは皆に経験のある、理解できる概念です。昔は、葉っぱや藁などを使って家の屋根を葺【ふ】いたのです。もし屋根をいい加減に粗く葺いたならば、家が雨漏りします。せっかく家を建てても、雨が降るたびに雨漏りするようでは、気持ちよく、楽しく、過ごせなくなります。それと同じように、こころをしっかりとガードしておかないと、貪欲(すべての汚れをこの言葉に集約している)が深く染み込んでしまうのです。

    こころにガードを付けることは特別な訓練です。人は誰でも、その訓練を受けないままで認識プロセスを続けているのです。当然、認識の流れは汚染の流れになります。現代的な単語で言い換えるならば、「あなたの人生にセキュリティ・システムが入っていますか?」ということです。セキュリティ・システムを付けていないならば、人生は悩み苦しみの流れに陥ってしまうのです。

    セキュリティ・システム

    眼耳鼻舌身意という六ヶ所に、セキュリティ・システムを付けなくてはいけないのです。

    最初に、欲と怒りが起きないように気をつけることをします。眼、耳、鼻などから刺激が入ります。それを合成して情報にもするのです。刺激が情報になるプロセスは瞬時に起こるので、停止不可能です。初心者は、あえて激しい欲の感情と、激しい怒りの感情が起きないようにと気をつけます。能力があがるにつれて、不幸な結果を出す欲と怒りの感情が起きないように気をつけます。

    修行者は、俗世間では良いと思っている欲と怒りも制御するのです。たとえば、ご飯が美味しいと喜ぶこと、蚊に刺されたときに嫌だなぁと思うこと、などです。面白いのは、眼耳鼻舌身意に色声香味触法が触れないようにとは戒めていないことです。六根に自然の流れで刺激が触れても、欲と怒りが起きないように気をつけるだけです。
    お釈迦様は、このセキュリティ・システムを道徳(sīla 戒)として説かれています。ダンマパダの一三偈と一四偈では、戒だけではなく、こころに煩悩が起きない状態に達するまでの仏道全体のことが語られているのです。

    完成したセキュリティ・システム

    家の喩えに戻ります。家の屋根が正しく葺かれている。(現代的に、職人さんが屋根瓦をしっかり葺いたと理解しましょう。)雨が降っても安心です。嵐になっても安心です。豪雨でも家の中は安心です。雨水が家の中に入り込むことは不可能です。安心で楽しく過ごせます。そのように、こころにガードを付けるセキュリティ・システムが完成したならば、私たちは幸福で安穏に過ごせます。世の中で起こる荒波に揺さぶられて悩まない、認識の流れになるのです。

    新年の抱負として、こころができる限り汚れないように日常生活を過ごすことに挑戦してみては如何でしょうか?

    今回のポイント

    • 認識プロセスが生きることです
    • 六根に触れる刺激に情報はない
    • 刺激を合成して情報にします
    • 煩悩が煩悩のために合成(捏造)します
    • 認識過程にガードを付けるべきです
    • 仏道とは、こころが汚れないようにするセキュリティ・システムです