智慧の扉

2008年1月号

「心の病気自慢」は破滅の道

アルボムッレ・スマナサーラ長老

心の中でいろんな問題があると、悩み事、心配事が心に溜っていると、冥想はしづらいものです。でも、そういう問題を無くすために冥想しているのです。「思考を止める」なんて、ふつう人がやることではないし、できることでもない。だから成功すれば解脱に達する、俗世間を乗り越えられる、と教えているのです。

解脱とは、人間としての次元を乗り越えることなのです。我々のあらゆる問題、あらゆる苦しみは妄想・思考から現れます。煩悩とは妄想であって、その煩悩が思考をさせているのです。そこで「実況中継で思考を止めてください」と教えるのですが、言ったそばから「自分は妄想で悩んでいる。どうしたら妄想を止められるのか?」と質問がくる。

やはり心は、どうしても自分を治したくないのです。心が病気ならば、治したいという気持ちになるのが常識でしょう。しかし、人間にはその常識がないのです。自分は捨てたものじゃない、たいしたものだと、心の病気を自慢するのです。だから、病気を治す方法を教えると、すごく怯えてしまう。逆に、病気が治らない方法を教えてあげると喜ぶのです。心は病気のまま、苦しみに陥ったまま、それを「いいわけ」にして生きたいのです。

いいわけがあると面子が保てるからです。心の病気を自慢する人というのは、要するに我が強い人です。自我意識はふつう誰にでもありますが、強烈な自我意識を持っている人は、それだけ強烈な幻覚に陥っているのです。

心の病気自慢に、瞑想指導者は厳しく接します。そうしないと、その人を好き勝手に振り回せると勘違いしてしまうからです。でも、仏教を振り回すことなどできませんよ。自我を抑えて、ブッダが言うとおり、仏教に従って修行するしか道はありません。心の病気自慢で自分を誤魔化して、不幸になって、一生を台無しにしてはいけないのです。