智慧の扉

2009年5月号

聖なる気分が生まれるとき

アルボムッレ・スマナサーラ長老

「慈悲の冥想」を念じ続けると、ある一定した気分になります。みんな幸せで居てほしいという聖なる気分が生まれるのです。その気分を育てれば、いつでもその気分で居られるようになります。「慈悲の冥想」は、私と他の生命との関係です。

 生命はひとりでは生きられない。生命だけでなく、物質も単独では存在しないのです。太陽なしに、地球が軌道上に居られますか? 太陽エネルギーなしに地球上の生命が生きられますか? どんな存在も他の支えによって成り立っています。生命が生きていくためには、必ず他の生命の協力が必要です。

 私たちの体内にも、皮膚にも、何兆何十兆というバクテリアがいて、彼らのおかげで身体の健康が保たれるのです。(日本人の「殺菌」好きは危険な思考です。)にも関わらず人間は、自分だけ良ければ、という破壊思考で、他の生命を敵にして争い続けている。その基本的な無知を破る方法が「慈悲の瞑想」です。

 難しい哲学は措いて、「生きとし生けるものが幸せでありますように」と、思考に慈しみを入れます。思考から気分へ、気分から生き方へ。やがて、こころのエネルギーと慈悲の気分がぴったり一緒になった人には、敵が存在しません。何でも希望が叶います。他の生命がそうさせてくれるのです。欲で金を儲けようとすると、必ず誰かが損します。

 慈しみの場合は、お互い幸福になる。損・得ではなく、得・得の関係になって、調和の取れた人生が実現します。慈しみを完成した人が、ブラフマー(梵天)と呼ばれます。悟った人以外では、最高の生命のことです。だから、死後も心配ありません。