智慧の扉

2011年1月号

仏教のものの見方

アルボムッレ・スマナサーラ長老

世の中に意見が二つあった場合、ベターな方が通るとは限りません。凶暴な方が通るのです。科学者は夢でインスピレーションを得ても、証拠なしにアイデアを科学雑誌に出すことはできません。一方、夢で「神のお告げ」を受けたという人の言葉なら好き勝手に語れるし、みな検証もせずそれを信じてしまうのです。
 
心には何でもイマジネーションできます。絶対神・天国・地獄などの話は、神を信仰する人にとっては具体的です。マンガを観る子供たちは、本気で喜びますが、読み終わったら現実に戻ります。残念なことに、神を信仰する大人には、妄想から「現実に戻る」能力が失われているのです。
 
事実に基づいて幸福になる道を教えても、人々は嫌がるものです。それに対して仏教は、生き方を示す場合、命令形では語らないのです。『こうしたらいいんじゃない?』と提案形で説いて、話を聞いた普通の人に選択を任せるのです。
 
普通に生きている人々は、本当は普通じゃないんです。自分の都合で、自分の主観で物事を考えて生きているのです。自分の思考・妄想を真理だと思って、他人にも強引に押し付けようとしているのです。各個人が自分の主観を相手に押し付けようとするこの世界は、絶え間ない争いに満ちた戦場です。普通ではありません。

本当に普通な人と言うためには、真理を覚らなければいけないのです。覚ったらはじめて、ごく普通な人になります。その人に、異常な行動を起こす煩悩はありません。心は平静で落ち着いています。いつでも生命の幸福を願って生きているのです。