智慧の扉

2012年3月号

「汚れる」という法則

アルボムッレ・スマナサーラ長老

 部屋を掃除しても、その瞬間から汚くなってしまう。それは掃除する時に観察できることです。手洗いをピカピカにしても、誰かひとり入ったら終わり。それぐらい早く汚れるのです。
 
 そこで一つの原理(principle)が見えるでしょう。「自然にしておくと汚れるのだ。汚れないためには自然を超えることが必要なのだ」と。掃除をして部屋がきれいになったというのは、結局、自分騙しです。自分の眼に汚れが見えなくなった、きれいにした気分になった、というに過ぎません。掃除機をかけても本当は、部屋はきれいにならない。自然法則とは、汚れることです。きれいという境地は、この世の次元で存在するものではないのです。
 
 もちろん仏教では、身の回りをすべて整理整頓して調えることを厳しく教えます。仏教のルールでは、掃除するべきなのは、汚れを見つけた人です。「ちょっと汚れているなぁ」と思ったら、掃除するのがその人の義務なのです。

 しかし仏教では、「汚れる」という言葉を物質ではなく、心に対して使っています。心の法則も「自然にしておくと汚れる」です。何か善いことをしても、気分がよくなるだけ。心はまたすぐ汚れます。それは法則・自然の流れであって、たまたま人助けしていい気分になっても、心が清らかになったわけではありません。私たちが日々、善を行うべきなのは当り前ですが、それでも心は汚れるのです。

 ブッダの冥想実践をして、心を清らかにしたならば、覚りをひらいて「汚れない心」に到ったならば、それはもう自然の心ではありません。その人の心は自然法則を乗り越えています。だから、仏教は超人法(uttarimanussadhamma)と言われるのです。